ポスト造型論
http://spica819.main.jp/atsumaru/1172.html 【現代俳句協会青年部 シンポシオンⅣ ポスト造型論】 より
野口る理
討議者 宇井十間 神野紗希 外山一機
金子兜太が1960年代に議論を主導したいわゆる「造型論」は、現在から振り返って見ると種々の理論的問題をともなっているとはいえ、「写生」という曖昧 な概念からはじまった近代俳句の中に一つの全く別の流れをつくったという点で歴史的なエポックであったという事ができるだろう。しかし、それ以後の時代状 況や俳句状況の変化とともにそのインパクトはうすれていったようにも見える。「造型論」の論理の大枠を近代俳句の「写生」という概念と対比してみるとき、 その帰結は現代俳句における表現形式の変遷を正確に預言していたと解釈できる面がある。もっと広義にいえば、「造型論」とは、俳句において、俳句を捨てて 世界をみてみようとした試みであったという事もできるだろう。
俳句の現代、俳句の未来を考えるとき、造型論はなにを物語ることができるのか。新世代の俳句の書き手や批評家が、造型論以後の造型性を読み解く。
宇井さん
まずは宇井十間(風邪気味)の発表から。
「造型俳句六章」(初出『俳句』角川学芸出版、1961.1-6)を中心に、いわゆる造型論の経緯をたどる。この「造型俳句六章」は、前半の三章(「主観と描写」・「描写と構成」・「構成の進展」)で近代俳句の特徴をまとめ、さらに後半の三章(「主体」・「象徴」・「造型―主体の表現」)で同時代の俳句について考察していくという風に分けて考えることができることから、金子兜太は、自分ひとりではなく、長い歴史の中で必要なものとして、造型論を書いたのだということがわかる。
宇井氏は次に、兜太の作品とこの造型論との齟齬を指摘する。
「造型俳句六章」中で、兜太の自句である「華麗な墓原女陰あらわに村眠り」を挙げ造型論の説明をしている箇所を取り上げ、宇井氏は、ここで展開されている論自体は造型論を示すものとして実によく出来ているが、この句とは合わないのではないか、と指摘する。
また、俳句の自動機械についての問題や、「暗黒や関東平野に火事ひとつ」(兜太句)は視点が単一ではないという仁平勝の鑑賞を取り上げ、造型論における「主体」と実際の作句における「主体」の問題に触れる。
造型論では、「主体(人間)」が「自然的存在」からだんだん「社会的存在」となってきたとされている。しかし、作品や発言を見る限り、兜太の主体観は「俺」であり、社会的存在としての主体というよりもまだまだ素朴な主体であると考えられ、むしろ、私探しの時代とも言われる今のこの現代こそ、主体が複雑化しているのではないか、というのが、会場の声とともに導きだされた、主体についての一応の解。
さらに宇井氏は、兜太が批判している「人間探求派・人生派」の中村草田男の「夜の蟻迷えるものは弧を描く」を挙げ、実は草田男こそが兜太の言う造形性をより洗練させたかたちで表現しているのではないか、と主張する。
この草田男句の読み方が問題となる。
宇井氏は、これは単なる夜の蟻の描写ではなく、迷っている「誰か」の存在を感じさせ読者にある種のメタファーを読み込ませる作り方に、洗練された造型的形式を感じる、と言う。
ここで神野紗希氏は「作り方の問題というよりは読み方の問題ではないか」と発言し、宇井氏の読み方も、写生であるという読み方も、双方(もしくはもっと多く)可能であることを主張する。
それを受けて田島健一氏は「いや、だからと言って、読み方はひとそれぞれ、となるのは困る」と言い、しばし議論は平行線をたどる。
そこに外山氏が「何のために読むか」ということを考えるべきだ、と発言し、会場にクリアな空気が流れる。
さきさん
次に神野紗希(最近引っ越した)の発表である。
造型論とは作者の論理であり、句を補強するものでしかないため、それよりも、「どう読めるか」ということを考えたいと神野氏。しかし、兜太が造型論を語るときに扱う作品のほとんどが自作であり、また他者の作品についても、バックグラウンドを前提とする読み方をなしているところからも、「造型論」は出来上がった作品からそのつくられ方に遡ることはできないものだ、と指摘する。
兜太自身「「創る自分」を設定したことが得意」(『わが戦後俳句史』岩波書店、1985)だと語るように、この造型俳句論において着目すべき点は、「作者」と「創る自分」を分けて考えたところにある、と神野氏は言う。さらに資料にロラン・バルト「作者の死」(花輪満訳『物語の構造分析』みすず書房、1979)を用い、
写生 作者(自分)→テクスト(俳句)
造型俳句論 作者(自分)→創る自分→テクスト(俳句)
バルト 作者(自分/創る自分)―テクスト―読者
という図式、さらにホワイトボードにも図式(上の写真参考)を書き、作者とテクストと読者の関係を説明する。【この、ホワイトボードの図は、あくまで、読者から出発した矢印であるということを念頭に置いていただきたい。】
さらに神野氏は「朝はじまる海へ突込む鴎の死」(兜太句)を例に出し、この句は兜太自身が昔死んだ戦友のことを思って作ったと自解しているが、そのような自解に沿わずともこの句は読めるし、自分は自解に沿わず読みたい、と話す。つまり、生身の作者と切り離して読みたい、ということである。
しかし会場からは、生身の作者と切り離したくない、いやそもそも切り離せないだろうと言う意見も。
外山氏は、なぜ結局兜太は切り離さなかったのか、なぜ今の我々も切り離すことを選ばずぐずぐず足踏みしているのか、ということを考えるべきだ、と話す。(またも会場にクリアな空気が流れる)
外山さん
最後に外山一機(マヨネーズが嫌い?)の発表。
外山氏は造型論は現在進行形でこそ活きるものであった、とし、今の我々にとっても兜太の句が難解であるかというとそうではなく、もう我々は作り手として兜太っぽい句を作れてしまう、と話す。
また造型論は、自分の感覚を疑わないということ、つまり主体を大切にするという論であり、それは同世代の高柳重信、阿部完市、さらには「豈 49号」(2010)の山口優夢の論をあげ、彼等にもまた、共有しているものだと語る。
そして、「海程調」なるものに触れ、現代における造型俳句の活路は、この「海程調」にあるのではないか、と言う。そもそも、新しい俳句ではないからダメ、という考え自体が古臭く、新しい・古いという区分けに限界がある。新しい表現でなければならない理由などなく、自分の感覚を信じて「造型俳句」を作ればいいではないか、という主張である。
外山氏は今、ブラジル移民たちの俳句を読む作業をしているそうだ。彼らは句会の前に、滅びゆく同士を思ってお祈りをするのだそうだ。彼らの作品は、上手下手ということで語られるものではなく、だからと言って切り捨てて良い物ではない。俳句とはなにかということを、実に考えさせられると外山氏は言う。そういうことを踏まえて氏は、月並みな俳句を作り、自分の足元を見ることが大切だと話す。
以前、スピカでも取り上げたが(2011年5月・第5回 おまけ 外山一機「Ooi Ocha(父俳句編)」を読む)、外山氏は「Ooi Ocha(父俳句編)」(「俳句 3月号」角川学芸出版、2011)という作品を作っている。私は、外山氏のこの作品を、氏の他の作品や批評活動を踏まえ、ニヒリスティックな試みとしての作品であると思っていたが、氏にとってこの作品は自分の足元を見るという実に素朴で純粋な試みであったのかということを、思い知った。そのものを知るための、実践。外山氏の言うところの月並みな俳句を作り自分の足元を見るという試みを通して、氏は果たしてなにを掴んだのだろうか。
結局、この自分の足元を見るために月並み俳句を作るという行為は、作者のための行為でしかない。外山氏自身が詩客の時評(俳句史の困難 外山一機)で
「お~いお茶」の句にも「高さ」はある。それは表現としての「高さ」ではなく、表現するという行為の尊さの謂であろう。
と述べているように、これは、作品ではなく、作者の態度としての尊さである。つまり、作品の良し悪しとはまた別の次元であることを、作者も読者も了解した上で、成り立つものだ。そもそも、この引用した外山氏の一文自体が、「お~いお茶」の句には表現としての「高さ」がない(あるとは言えない)、ということを前提とし認めている。立派な態度を持つ作者が作った作品こそが立派である、という暴論かつ極論的仮説を設定しそれに反駁するまでもなく、我々は、作者の評価と作品の評価は、もちろん近い場合はあれど、同一ではない、ということを引き受けた上で、良き読者であろうとすべきなのだ。良き作者であろうとするときも同様である。なおかつ私(我々、とは言いません)は、「作品」にとって、良き読者でありたいと思う。
・・・ずいぶん話が逸れてしまった。ごめんなさい。その言い訳、という訳でもないが、このシンポシオン自体、「ポスト造型論」というテーマであるにも関わらず、全体的に「読みの問題」に寄っていたのであった。
作り手の問題から読み手の問題へシフトしてゆくあたりが、「ポスト」造型論、といったところであろうか。
会場
ビッグニュースを聞いたり、あちこちでドラマティックな場面があったりの二次会・三次会を終えて駅へ。
ホームの看板には「さんげんぢゃや」と書かれてあり、いつも「さんげんちゃや」と読んでいたことを少し申し訳なく思いながら、でも「ち」のほうがいいなと思いながら、電車に乗り込む。