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朝はじまる海に突込む鴎の死

2018.04.22 10:29

http://spica819.main.jp/yomu/1235.html 【朝はじまる海へ突込む鷗の死 金子兜太】より

朝が来る。まっくらな、闇のかたまりだった夜の海がほぐれて、朝の光がやってくる。新しい一日がはじまるのだ。そんなとき、一羽の鴎が、海へと突っ込んだ。あがってこない。海は、いつものとおり、変わらず広く青い。多分、鴎は死んだのだ。そして私たちは、昼を過ごし、夜を迎え、また新しい朝が来る。

海に生きる鴎には、きっと、そういう死もある。むしろ、鴎とはそういうものなのだと、なかば強引に結論できる気もしてくる。「突込む」の潔さが、鴎の意志なのか、死の引力なのか、それは分からない。

『金子兜太句集』(風発行所 1961年7月)より。

今月12日(日)に、現代俳句協会青年部の企画で発表してきた。

「現代俳句協会青年部勉強会 シンポシオンⅣ ポスト造型論」。宇井十間氏、私、外山一機氏の順に、基調発表をし、参加者全員によるディスカッションをした。

(野口る理によるスピカのレポート記事はこちら)

兜太の造型論は、「写生」や「人間探求派」の創作理論に疑問を呈し、作者と作品とのあいだに「創る自分」を設定したところが画期的だった。しかし、結局、兜太が造型論の創作法を説明するときに、自作を引用せざるをえなかったことに象徴されるように、造型論はあくまで制作過程の“秘密の工房”での出来事を記述したもので、できあがった作品をどう読むかということに応用することは難しい。ある一句を見て、それがどのように出来上がったのかを言い当てることはできないし、あんまり意味があることとも思えない。

なんにも考えないで、すらっとできた句でも、どんな深遠な思想から生まれた句でも、いい句はいいし、だめな句はだめ。できあがったものが全てなのだ。

Categories:よむ, 神野紗希


http://kuuon.web.fc2.com/TOTA/TOTA.171.html 【朝はじまる海に突込む鴎の死】

昭和28/9~33/2(1953/9~1958/2) 34歳~39歳  鑑賞日2004年9月13日

 心の奥の何かが「そうだ」と首肯くような句である。難解な俳句を鑑賞していて一つの言葉が何を意味するかが自分なりに解った時に、全ての言葉かすらすらと納得できるということがある。この句に於ては「鴎の死」という言葉がそれである。

 私は初め、この句はサラリーマン等が朝出勤する時の心持ちを表現しているのかな、などと感受していたが、そのような感受だけではこの句の持つ品格に対して浅すぎる感受であるとは感じていた。「鴎の死」が解釈できていなかった所為である。

 「鴎の死」、これを私は観念の死であると解釈する。鴎が観念を象徴する言葉であるという理由はない。一昔前に「カモメのジョナサン」という観念の飛翔のような小説があったが、それも多分偶然だろう。だから「鴎の死」を観念の死と解釈するというのは私が決めたことである。

 観念あるいはそれを支えているマインドは一度死ななければならない。この小さき個我は死ななければならない。それはちょうど大我という意識の海へ投身するようなものである。そしてその時に個我はいわば宇宙我と一体の意識を持つことができる。そしてその時から本当の意味の朝がはじまるのだ。意識の光に満ち満ちた朝のはじまりである。

 この句は禅の格言のような句であると言える。


https://blog.goo.ne.jp/new-haiku-jin/e/1108c3bba35bd1ee9e9ff480a6db924c 【金子兜太の一句鑑賞(8)   高橋透水】より

  朝はじまる海へ突込む鷗の死  兜太

 日本銀行の転勤生活も神戸に移って三年経ち、俳句専念をこれからの人生と決めたころの句という。背景は神戸港の埠頭である。

 「朝はじまる」と「突込む」と動詞が二か所あり解釈を複雑にしているが、「朝はじまる」で切れるとしても、夜が明けてこれから何かが始まるということだろう。とは言え、一体「鷗の死」は何を象徴しているのだろうか。しかも「海へ突っ込む」である。

 死と生の倫理を暗示しているのか。感受性が強く、しかも実験的な作を好む作者だ。安易な解釈は禁物である。兜太の「自選自解99句」によれば、「鷗は魚をとるため海へ突っ込む。その景を見ていて、トラック島で、零戦が撃墜されて海に突っ込む景を直ちに想起した」とあるが、戦争の悲惨な記憶はいつまでも作者の脳裡に飛来し、繰り返される。

 初出は「俳句」昭和三十一年七月号。「港湾」という題で二十五句発表して冒頭に置かれた句。同時に、〈山上の妻白泡の貨物船〉〈強し青年干潟に玉葱腐る日も〉などの作品がある。後に兜太は『わが戦後俳句史』のなかで、この句の背景と動機について、「神戸港の空にも防波堤にもたくさんの鷗がいて、ときどき海に突込んでは魚をくわえてきました。私はそれを見ながら、トラック島の珊瑚の海に突込んで散華した零戦搭乗員の姿をおもい浮かべて、〈死んで生きる〉とつぶやいていたものでした」と述べている。

 さらに、兜太は回想的に「この映像の根はトラック島でときどきぶつかった零戦が撃墜されて海に突込むときのことなんで、鷗と零戦が重なっているんです。死んで生きる、ということです。」(「兜太百句を読む」ふらんす堂)と時代を経ても様々なところで、種明かし的に句の解説を重ねている。

 当時の兜太は単なる写生句を批判しつつ、見たものを頭のなかで創り直すという「造型俳句」理論を発表する頃で、実作への試みを示したとも考えられるが、これらは果たして作者の思い通りの作品になったかどうか。


http://kokuminrengo.net/2018/02/21/%E8%BF%BD%E6%82%BC-%E9%87%91%E5%AD%90%E5%85%9C%E5%A4%AA%E6%B0%8F%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84/ 【[追悼] 金子兜太氏の平和への思い】より

インタビュー(2017年8月3日 熊谷市のご自宅にて)

 2月20日金子兜太氏逝去への追悼として、前年の「日本の進路」9月号のインタビュー記事をここに掲載する。

 現代俳句の重鎮、金子兜太氏は「アベ政治を許さない」という文字を揮毫して、安倍政権と闘う全国の人々にエールを送った。同氏の平和への思いを伺った。(談 文責・編集部)

 私は1918年、大正8年生まれで97歳になります。

 神戸港のある町で日銀に勤めていた頃の句ですが、朝はじまる海へ突っ込む鷗かもめの死

 私は戦時中、日本銀行に勤めていましたが、海軍主計科士官・中尉としてトラック島に赴任し、そこで敗戦を迎えました。神戸港で海に突っ込む鴎とトラック島沖で海に突っ込む零戦闘機の姿が重なって、この句を作りました。

 敗戦後、日銀に復帰し、アメリカの銃剣で押しつぶされた2・1ゼネストの頃は日銀従業員組合の書記長として「これからは労働組合の時代」という職場の女性の声に励まされ、組合運動の先頭に立っていました。

 当時、妥協的だった日銀の労組で賃上げ交渉も徹底して闘い、職場集会をやり、満額回答を勝ち取るなど、かつてない成果を上げました。しかし、2・1ゼネストの時期でしたのでアメリカの占領政策のもと私も「レッドパージ」され、福島、神戸、長崎と約10年間、本店の土は踏まされず、人事部からは組合活動は一切やらせないという監視下に置かれました。

 いくら「レッドパージ」と言っても組合運動を理由に首にはできない。しかし、官側の圧力を抑えるためにどうしても本店から追放することが必要と人事部は判断したようです。

 しかし、このおかげで地方を回り日銀の仕事はほとんどやらず、句作に励むことができました。

 当時は、日銀から染み出す清水のようなものをすすって生き延びて、銀行に行けば普通のサラリーマンとして勤務しながら、家に帰ると闘争心を磨くという毎日でした。

 当時はあまり考えが及びませんでしたが、以降、日本は対米従属のもとで、トランプ政権登場後もアメリカに追従している安倍政権につながります。

 いつまでもアメリカに従うだけでなく、中国やアジアに目を向けた日本の生き方が求められると思います。このままでは戦争に再び向かうのではないかという危機感から、「アベ政治を許さない」という文字を揮毫しました。

 東京新聞でいとうせいこうさんと共に「平和の俳句」を選者としてやっています。

 私がこれまで作った句で一番印象に残っている句は

水脈みおの果て、炎天の墓碑を置きて去る です。

 この句は、トラクック島を去るとき、駆逐艦の船尾から眺めながら作った句です。

 島を去る直前に、墓碑を建てることを依頼してきましたが、どうもそれは現在も確認できていません。

 トラック島で敗戦の中での食料も尽きた極限状態を生き延び、私はやっと日本に帰ることができましたが、多くの死者たちを残してきた。

 戦争の悲惨さを思い、二度と戦争をしてはならない。その思いが私の原点ともいえます。