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人体冷えて東北白い花盛り

2018.04.22 13:52

https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20040412&tit=20040412&today=12it2=2004%2594N3%258C%258E1%2593%25FA%2582%25CC%2520title= 【人体冷えて東北白い花盛り  金子兜太】より                          

季語で「花」といえば桜を指すのが普通だ(当歳時記では便宜上「花」に分類)が、さて、この花はいったいなんの花だろうか。桜と解しても構わないとは思うけれど、「白い花」だから林檎か辛夷などの花かもしれない。戦後の岡本敦郎が歌った流行歌に「♪白い花が咲いてた……」というのがあって、詞からはなんの花かはわからないのだけれど、遠い日の故郷に咲いていた花としての情感がよく出ていたことを思い出す。掲句にあっても、花の種類はなんでもよいのである。注目すべきは「人体」で、「身体」でもなく「体」でもなく、生身の身体や体をあえて物自体として突き放した表現にしたところが句の命だ。つまり、作者自身や人々の寒くて冷えている身体や体に主情を入れずに、大いなる東北の風土のなかで「花」同様に点景化している。もう少し言えば、ここには春とは名のみの寒さにかじかんでいる主情的な自分と、そんな自分を含めた東北地方の人々と風土全体を客観的俯瞰的に眺めているもう一人の自分を設定したということだ。この、いわば複眼の視点が、句を大きくしている。と同時に、東北地方独特の春のありようのニュアンスを微細なところで押さえてもいる。一般的に俳句は徹底した客観写生を貫いた作品といえどもが、最後には主情に落とすと言おうか、主情に頼る作品が圧倒的多数であるなかで、句の複眼設定による方法はよほど異色である。読者は詠まれた景の主情的抒情的な解釈にも落ちるだろうが、それだけにとどまらず、直接的には何も詠まれていない東北の風土全体への思いを深く呼び起こされるのだ。発表時より注目を集めた句だが、けだし名句と言ってよいだろう。『蜿蜿』(1968)所収。(清水哲男)

https://blog.goo.ne.jp/new-haiku-jin/e/cbc5bbc4f6e73e07d5b55c5ac1b6e6f4?fm=entry_awp_sleep 【人体冷えて東北白い花盛り 兜太 】 より

金子兜太の一句鑑賞(12) 高橋透水 

 句集『蜿蜿』に収録されているが、初出は「海程」昭和四十二年八月号である。東北・津軽にてとあり、十三湖から弘前を経て、秋田に向かう途中での句という。  

 暦の上では春といっても、日本の南と北では温度差にかなりの違いがあり農耕の時期もずれてくる。確かに北国の春は遅いが、その分花盛りは一斉にやってくる。特に林檎の花は、農家の人達には美しいだけでなく、摘花など収穫に向けての本格的な農作業が始まる季節でもある。また花盛りを迎えたといっても、風はまだまだ冷たく外出の体はすぐに冷えてくる。冷えるのは何も人間だけでない。動物も植物も同じである。

 鑑賞句は白い花のみえる東北の自然にいながら、外気温の変化についてゆけない敏感な人類に焦点を当てている。だから「体温」でなく「人体」という言葉を選んだのだろうか。このぶっきらぼうな表現がむしろ効果的になった。どうやら作者は列車で津軽を通過したらしい。白い花は車窓からも眺められた。列車が進んでゆくと、どんどん白い花が増えてゆく。梅の花、林檎の花だけでなく、目に飛び込んでくる花はみな白かった。それは兜太にとって初めて見る光景だった。

 しかし窓外の農民は決して裕福な姿には映らなかった。まだまだ寒い季節だ。体の冷えは自分だけでなく、むしろ働いている農民こそ寒さに耐えていると感じた。この句は兜太自身がいうように「津軽の早春の頃の農耕者」を詠ったのである。高度成長前の貧しい農村を象徴した「人体冷えて」だったのである。

 兜太の自選自解99句によると、

 「五月初め、津軽での作。リンゴもさくらも一緒に咲いた。まさに『白い花盛り』。しかし空気は冷え冷えとしていて、農家の人たちは頬被りをしていた。その冷えた体で農作業ははじめられている。『人体』ということばを遣ったのは、津軽そして東北地方の農家の御苦労を込めたため」とある。秩父の農民の苦悩をつぶさに見た観察眼がここにもある。

  俳誌『鴎座』2017年7月号より転載


https://ameblo.jp/sawara20052005/entry-12545188661.html 【俳句 金子兜太 人体冷えて東北白い花盛り】より

『響き合う俳句と書 下』(金子兜太監修/天来書院)より選句、習字

金子兜太(とうた) 人体冷えて東北白い花盛り 

桜の咲くころの一時的な冷え込みのことを「花冷え」というが、この言葉は京都で生まれた表現との解説。東北は、人体冷えるなか、りんごや辛夷(こぶし)などの白い花が咲く。よって、「花冷え」でなく「人体冷え」か。なるほど。

花冷えのある句

秋桜子 花冷えや剝落しるき襖(ふすま)の絵

真砂女 花冷や箪笥の底の男帯

NHKのEテレ、俳句講座で、秋頃、俳人・鈴木真砂女が紹介されていて、初めて人物の一端を知る。花冷えの頃、訪れる男(ひと)には違いないが、箪笥の底の男帯は誰のものか、気になる。

汀子 花冷も雨もホテルの窓の外

汀子 マロニエの花冷つづる旅便り


https://plaza.rakuten.co.jp/kamomeza/diary/201103240000/ 【人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太/人体に花も涙もヤポネシア 松田ひろむ】 より

都知事選の告示。今日は金町浄水場から乳児が摂取できる基準値を越える210ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。いよいよ水パニック。これまで原子力発電を推進してきた原子力安全委員会の班目春樹委員長が22日福島社民党委員長の追求に「割り切り方が正しくなかった。十分反省している」(「日刊ゲンダイ」3月24日付)とこれまでの安全神話を反省してみせた。23日には、福島第一原発で一番危ないのは1号機。「核燃料がかなり溶融して可能性がある」(「日刊ゲンダイ」3月25日付)と指摘している。毎日注水を続けても炉内温度が400度を越えているという。(設計温度は302度)。まったく予測できない事態が日替わりで起きているのだ。

あれも危ない、これも危ないというのなら、われわれ自身で放射能を測定する必要だろう。その計器を大量に配布して自分で安全を確認しなければ、水も飲めない、野菜も食べられないということになる。

今日の一句

人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太

人体の句といえばまっさきに思い浮かぶ句。昨日の拙句もそれに学んだもの。この句の「花盛り」は桜などをひっくるめてのものと考えられ、季語というよりも無季の句としてもいい。東北のイメージなのだ。その東北がよもや巨大地震に見舞われるとは、兜太も予想していなかったこと。

人体に花も涙もヤポネシア 松田ひろむ(2011年)

まさに細身の日本列島つまりはヤポネシア(Japonesia)それは島尾敏雄の造語。日本を指すラテン語「Japonia」に群島を指すラテン語の語尾「nesia」を追加したもの。琉球とヤマトを一体化した概念。

立子編『虚子一日一句』(朝日文庫)は

谷の寺元黒谷の霞けり 虚子(1954年)

比叡山横川。そこに出来た虚子の塔のあるところ。虚子の塔は「逆修爪髪塔」というらしい。つまり生前に爪髪を納めたもの。傍の句碑は「清浄な月を見にけり峯の寺 虚子」。横川は虚子の小説「風流懺法」の舞台。それにしても「谷の寺」という上五はそっけない。