Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

フッサールの現象学(時代背景とその成立)

2021.04.23 04:00

19世紀末のヨーロッパにおいては、実証科学の興隆のもと、数学・論理学の領域で、心理学主義・生物学主義的な、心理的現象から論理を基礎づけようとする思想が席巻していた。心理学主義とは、あらゆる学問の基礎を心理的な過程に基づけようとする試みである。数学の研究から出発したフッサールの関心も、はじめは心理学から、当時の数学界において論争となっていた数学基礎論を心理学的に基礎づけようとするものであった。この考えのもと、フッサールはブレンターノの記述心理学の立場から数学の特に算術の解明を目指した『算術の哲学――心理学的、論理学的諸研究』を1891年に出版した。

しかし、この著作は数理哲学者G.フレーゲなどのきびしい批判を受けることとなった。その批判とは、もし数学や論理学などの客観的なものが主観的な心的表象に還元されてしまうならば、いかにして学問の客観性を保つことができるのか、というものであった。この批判を受けて、またフッサール自身このような心理学主義の原理的困難に逢着し、「論理学の本質についての、特に認識作用の主観性と認識内容の客観性との相互関係についての一般的な批判的反省」へと、すなわち現象学へと進んでゆくことになった。

フッサールは、大学で約2年間師事したフランツ・ブレンターノの「志向性」(独: Intentionalität) の概念を継承した。ブレンターノにおいて、「志向性」とは意識が必ず相関者(対象)を指し示すこと、言い換えると意識とは例外なく「何かについての」意識であることを意味する。ブレンターノ自身は、志向性の概念を心理作用の分類に用いただけであったが、フッサールは、「意識はつねになにものかについての意識である」[3]という命題に端的にあらわされている、意識と相関者(対象)が常に相関関係にあるという志向性の特徴に着目し、この相関関係における対象の実在を留保することで、志向性の概念を認識論的に発展させていった。また、現象学的還元との関係において、意識体験のうちにふくまれるものを内在(独:Immanenz)、ふくまれないものを超越(独:Transzendenz)と呼び、この対概念によって純粋意識としての志向性の構造をあきらかにしようとした。さらに、後述するように、フッサールの志向性は意識と理性への超越論的な考察のもとに、より豊かで動態的な志向的能作の概念として捉えなおされてゆくことになる。