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白露もこぼさぬ萩のうねり哉

2018.04.24 06:34

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/siratuyu.htm 【白露もこぼさぬ萩のうねり哉】 より

(真蹟自画賛)(しらつゆも こぼさぬはぎの うねりかな)

風にゆれる萩の花

 元禄6年秋。杉風の別邸採茶庵<さいだあん、又はさいたあん、さいとあんとも>の邸前の萩を見ての句とされる。画讃句として詠み出されたのかもしれない。

白露もこぼさぬ萩のうねり哉

 萩の葉に露があふれるようについている。そよ風がふいてそれが大きくうねっているが、萩は上手に露を乗せたまま揺れている。

東京巣鴨新義真言宗真性寺。裏面には杉風の句がありました。(写真と文:牛久市森田武さん)


http://www.basho.jp/senjin/s0610-2/index.html 【白露もこぼさぬ萩のうねり哉】

芭蕉 (真蹟自画賛・秋・元禄六) より

萩がこぼすものは萩の花ときまっているが、その花はもちろん、花に置いた白露さえこぼすことなく揺らめいていることだ、という意。萩の露が月明かりに美しく見えたとき、おそらく白露という言葉が生まれた。中国の昔から、遠く靄のかかった景色を言ったこの言葉は、古代の日本に根づいて、次第に露の玉を指し示すようになる。この句も同じである。月を背景にした、ひとかたまりの萩の花が、その小さくあやうい露の玉をこぼすことなく、細い枝々に揺らめいている。それは萩の気品であるが、同時に秋風の配慮でもある。杉風筆採荼庵什物によれば、彼の深川の草庵に秋萩を移植した際に芭蕉が詠んだ句ということだから、杉風を称える挨拶句であろうが、そのような詠作の事情をうかがわせない表現で、すぐれた作品は時空をこえて読者の心を写すという好例のひとつであろう。連歌以来、萩は露と結ぶことが多く、取り合わせとしてはありふれているのだが、露を涙や命や浮世などの比喩として用いていない点が品位の秘密である。なお露は古代から秋季だが、ここは萩の句であるから、季重なりをいう必要はない。


https://www.ziel-magazine.com/haiku-001/ 【しら露もこぼさぬ萩のうねり哉——芭蕉はどんな情景を詠んだのか】しら露もこぼさぬ萩のうねり哉——芭蕉はどんな情景を詠んだのか

芭蕉が杉山杉風の別邸採茶庵に咲く萩を見て詠んだ句

しら露もこぼさぬ萩のう(憂)ねり(利)か(可)な

俳句:しら露もこぼさぬ萩のうねり哉(しらつゆもこぼさぬはぎのうねりかな)

作者:松尾芭蕉(1644−1694) 出典:真蹟自画賛(こがらし、栞集) 季語:萩(秋)

意味:白露をいっぱい溜めた萩の花。風に吹かれて大きくうねっても、その露を落とさずに揺らめいている

1693年(元禄6年)秋、芭蕉が杉山杉風の別邸採茶庵に咲く萩を見て詠んだ句だと言われています。「白露」も季語ですが、この句では「萩」が主役なので、「萩」が季語です。

松尾芭蕉は1694年に亡くなっているので、晩年の作品となります。

季語になっている「萩」は、マメ科の落葉低木です。山野に自生し、初秋には白や紅紫色の蝶のかたちをした小さな花をたくさんつけます。秋の七草の1つです。

紅紫色の萩の花

1695年(元禄8年)刊『こがらし』では、「白露をこぼさぬ萩のうねりかな」と詠まれ、1812年(文化9年)刊『栞集』では、「白露もこぼれぬ萩のうねり哉」と詠まれています。

「しら露もこぼさぬ萩のうねり哉」は、芭蕉の真蹟(芭蕉が直筆であると証明されていること)として書かれた画賛(絵の余白に書き記された文言や詩文のこと)なので、記事の冒頭に記載しました。

私個人的には、「露をこぼさないぞ!」という萩の強い意思が感じられるので、「こぼさぬ」のほうがいいなと思います。

実は大学時代に書道をやっていたのですが、卒業して約2年半ぶりに筆を持ちました。集字や構成を考える作業がとても懐かしくて、久しぶりに何かに没頭した時間になりました。

俳句の意味のとおり、もう少し「萩」が揺れる感じができたらよかったなぁとか、平仮名が多くなってしまったなぁとか、反省はいろいろありますが……。それも生かしつつ、次もチャレンジしてみたいと思います!