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日本男声合唱史研究室

河西秀哉 「うたごえの戦後史」

2016.11.29 08:55

 日本の合唱について論じる本はほとんどない。戸ノ下達也/横山琢哉共編「日本の合唱史」か長木誠司「戦後の音楽」第二章「合唱とうたごえ」ぐらいだと思う。長木はこの少なさの理由について,日本の戦後音楽史から排除されてきた合唱音楽と吹奏楽で,共に基本的にアマチュアのものであり,それゆえ創作様式の発展史としての戦後音楽史からは除外されてきたという主旨のことを述べている。同時に,社会的影響が大きすぎて持て余し気味だったとも。

 私がこの「日本男声合唱史研究室*」なる大げさな名前のホームページで調べたことを発信しているのは,そういう状況を残念に思っているからだけど,この本が出たおかげで「合唱史への渇き」が少し癒やされた。

 * https://male-chorus-history.amebaownd.com/

 著者の河西は(敬称略),戸ノ下たちのような音楽(史)の研究者ではなく,天皇制の研究者であるが,以前から合唱史に対する興味をもち,また「葡萄の樹」という合唱団の団員でもあり,その意味で合唱者の視点からみた合唱史をかける可能性があり期待して読み始めた。

 構成は,清水脩や秋山日出男という年配の男声合唱愛好家には懐かしい二つのビッグネームを介して戦前の娯楽と意識統制を取り上げ,敗戦後はコンクールを軸に合唱連盟が立ち上がり組織化され,同時に「うたごえ」運動が活性化していく様を取り上げる。世界的にまれな「あかあさんコーラス」についても民主的・男女平等思想の切り口から考察し,最後に最近のメディアに取り上げられた合唱,たとえばTBSの「表参道高校合唱部」などを紹介して終わる。

 随所に参考になる記述があり,特に男声合唱に集中している自分には,「おかあさんコーラス」,一般の女声合唱団でありながら既婚女性の合唱団であることを看板にしている存在についての分析は面白かった。個人的に「樋口マリ子」さんの名が出ていたのは嬉しかった。

 また,現在では組曲「月光とピエロ」などの作曲家だとしか思われていない清水脩が,職場合唱の指導者であったことを述べたのも良かった。残念ながら,清水の作品は次第に忘れられつつあり作曲家としての認識も合唱界では薄れつつあると思うが,清水の多面的な合唱への貢献はもっと正当に評価されるべきだと思う。合唱に限定しても,作曲家・指揮者・翻訳作詞家・評論家・全日本合唱連盟理事長として,戦後の合唱を形作った功労者である。本書にも引用されている,昭和23年にアポロ出版社から出た「日本合唱連盟」の機関誌「合唱の友」の編集者でもあった*。

 * 「合唱の友」は,河西が言うように3巻までしか発行されなかった模様。「合唱界」創刊号に清水が「もつとも,七八年前に,同種のが出たこともあったが,二三号で潰れてしまつた」としているからである。

 GHQ占領下で出されたためか,国会図書館では「憲政資料室」というところで参照できる。他に東京文化会館の音楽資料室や大阪音楽大学が1-3号を所蔵している。

 一方で,合唱史の記述は上位構造の記述が中心に成りがちなのだけど,この本もそのきらいがある。清水・秋山や,あるいは津川主一や長井斉など,合唱界の中心人物の言動や考えを元に合唱を切っていくスタンスになる。「うたごえ」のようにある種の思想が背景に見える運動は,比較的分析しやすい。

 これはもちろん重要なことで,合唱の位置づけを社会的に分析していくことは学者ならではの視点がなければ無理なこと。一方で,思想的背景を深くは持たない一般の合唱団が,何をどう考えて行動したか,その結果どうなったかという,もうすこし「地べたの」論考はなかなか読むことができない。紙数の制限もあるだろうから,個別の事象をまとめて方向性を確かめていくことは大変なのだろうけど,そういう論考はぜひ読んでみたい。

 わたくし事で恐縮だけど,今進めているのは明治から1960年頃までの男声合唱レパートリー(演奏曲)のリストアップと変遷に関する分析。入手した部誌を読み,ネットで探りながらデータを貯め,ああでもないこうでもないとその要因を考えている。こういう地をはう作業を進めていくことにも意味がありそうな気がしてきた。