祈り〜明日へ。
大切な人(我が子)を自死で喪い、『明日』を失くしていた私に、少し先の嬉しみをもたらしてくれたのは、亡き娘の親友さんたちでした。
うち一人が、高校の卒業制作展への作品で亡き娘をテーマに描きます!と語ってくださったのは去年の一月。
約一年三カ月経ち、希望大学進学の朗報を手に、二人揃ってうちへ弔問にいらしてくださいました。
玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けて驚きました。
娘が先立つ一週間ほど前、うちに泊まりで遊びにきていた三人最後のお正月に玄関先で撮った写真のお二人とは、一見別人です。
たぶん背丈も伸びたのでしょうし、しっかりメイクして自己主張のあるファッションに身を包んだ彼女たちは、当たり前ですが、あどけないばかりの十四歳の少女たちではもうないのです。
話す言葉さえ去年よりもグッと大人っぽい……というよりしっかりしていて、親友を自死で喪うというショッキングな出来事をダテに経験して過ごしてきたわけではないゆえの、『物事の見方、考え方』も、悲しいこととはいえ同年代のコたちより深みを増してしまったのかもしれません。
――申し訳ないな。
――なんでこんな事になってしまったのだろう。仲良しの親友さんたちを悲しませるなんて。
そんな思いと同時に、
――なぜうちの子だけが?
――この子たちにだってそれなりに、悩み事で眠れない夜があったはず。
――やり過ごせなかったあの子と、この子たちの違いはなんだったのだろう?
同級生の子に限らず、同年代の子たちを街角で見かけては恨めしく思ったこともあります。
そして自責の堂々めぐり。
なのにまさかその同年代の子たち……、よりによって親友さんたちに『明日』をお裾分けしてもらえるとは思ってもみなかったわけで。
もちろん、事後からの四年間に出会えた人や出来事、色んな影響を受けて私自身にも変化があったことには間違いないのですが、こんなふうに親友さんたちの人生を一点の曇りもなく応援し、祝うことができる日が来ようとは考えてもみませんでした。
久々にお会いしてお話しできて、しみじみと……、いや正直、とても眩しいのです。
でも、耐えられないような痛みを伴う眩しさには感じません。
眩しさに当てられて? 私のしょぼくれた姿も、画像編集アプリで補正されたかのような四月吉日(^_^;)。
小学校からの親友さんは、生前の亡き娘からもらった年賀状を数枚持参してくださり、俗にいう腐女子チックなイラストと文章に、顔が綻びました(笑)!
美大へ進学する親友さんは、高校卒業制作展パンフレットで、亡き娘をテーマにした油彩画をついにお披露目。
トップページを飾っていた作品は、『続*明日の話』でキャプションを載せた油彩画です。
見た瞬間、私は度肝を抜かれました。
『祈り』
【103cm✕135cm】親友Nさん作画
『大切な人達がこういう風に過ごしていたらいいなと思い、そんな世界を描きました。どうか、そこが暖かくて、美しく、一切の苦しみも悲しみもない、貴女が貴女らしく笑える、そんなところでありますように』
📷親友さんのご実家から、お母様が添付送信してくださった画像です。ありがとうございます。
実は、弔問にいらしてくれる予定日の前に、久々に夢に出てきた娘の顔の表情にそっくりそのままでした。
(しいて言えば、夢の中の娘は中学生時そのまま)
祈りに描かれた娘は、まるで親友さんたちと一緒に四歳増したように、少し大人びた表情にも感じます。
死装束に身を包んではいても、暖かい光の中で微笑む娘。
親友さんなりにその現実から目を背けず、向き合いながら絵筆に祈りを込めて描いた絵は、きっと今だから描き上げることができたものであり、私も四年経った今だから直視できるように思います。
まるで尻を叩かれた気分にもなりました。
(; ・`ω・´)ヤバイ……
私も気合いを入れて成人式の振り袖姿の娘を描こう。
『KIMONO熱再燃』で述べたように、私の念願、目標の一つなのですから。
◆自死遺族の集い