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畑アカラの「大嘗祭と伊勢神宮・稲の祭」

2018.04.27 03:09

https://www.ningenclub.jp/blog02/archives/hataakara2/ 【畑アカラの「大嘗祭と伊勢神宮・稲の祭」】 より

(1)-㉕ 心御柱(しんのみはしら)の形態と八

◎心御柱(しんのみはしら)・概略

伊勢神宮においては、< 心御柱(しんのみはしら)は語るべからず >という古くからの言い伝えがあります。

心御柱(しんのみはしら)は、内宮と外宮の正殿の床下中央に建てられます。

最も大切な神秘の柱と言われている心御柱は、正殿(しょうでん)の中央に鎮座するご神体である神鏡の真下に立てられた床まで達しない柱で、伊勢神宮の中心の場所を示します。

八州(やしま・日本)の中心と言っても過言ではありません。いやいや、宇宙の中心という意味も含んでいるのです。

心御柱は、遷宮(せんぐう)のつど新たに立て直されますが、社殿からは独立して床下に20年、古殿地(こでんち)に20年、計40年その位置を占めています。

40年は、八で割り切れる数です。

なぜ遷宮年が20年なのか、諸説がありますが、40年という視点に立てば、八で割り切れるということと関係あるのかもしれません。

※古殿地(こでんち)・・・・現在の社殿が建てられる前の敷地。20年ごとに交替する。

玉石が一面に敷かれた空間。中央に心御柱を覆(おお)う小さな覆屋(おおいや)がある。

◎心御柱と八の関係

心御柱は、五色の絹をまきつけられ、「八重榊(やえさかき)」で飾られます。

そして、さらにそのまわりに、「八百枚」(八十枚という説もあり)の丸く底の平たい

「直径八寸の天平瓮(あめのひらか)」ともいわれている皿を、積み重ねられる、と言われています。

※(鈴木義一・「天平瓮について」『伊勢神宮』・所 功・講談社学術文庫・参考)

心御柱(しんのみはしら)の長さは、五尺で、地上三尺、根二尺ともいわれています。

また、心御柱の先端には、「八枚の榊の葉」が付けられる、という説もあります。

だいたいにおいて、このような説が広まっています。八の世界でもありますね。

しかし、次のような説もあり、驚かされます。

◎寛文年間(一六六一~一六七三年)に自省軒宋因が書写した『大神宮心御柱記異本』によりますと、「心御柱にする檜は長さを八尺」に切り「八角に削り」朝廷に差し出し、天皇の身長の所に印をつけてもらい、そこで切ったといいます。

そして、この柱に鏡をかけて黄金の鉢にのせ、これも黄金の榊をそえて立てたとあります。

それゆえ、「心御柱」は天皇の玉体そのものであり、黄金の色は葦牙(あしかび)を示しているといいます。(高橋俊隆・宮家準著『神道と修験道』)。

◎聞きかじりですが、外宮の心御柱は、石である、との説も耳にしたことがあります。

◎また、心御柱を立て替えるとき、心御柱を覆うのではなく、地下に穴を掘り、天平瓮(あめのひらか)八百枚を入れた上に半分埋めた形で立てて、周囲を榊で飾る、という説もあります。

かように、多くの説があります。

ただ言えることは、心御柱もやはり八の世界で構築されていることです。

(2)-㉖ 八重榊(やえさかき)

八重榊(やえさかき)は、心御柱(しんのみはしら)の周りを飾るものと思われます。

鎌倉期成立の度會行忠(わたらいゆきただ)撰『心御柱秘記』によると、心御柱の先端には、八枚の榊の葉が付けられる、と言われています。

この場合の八枚の榊の葉と八重榊とは、八州(独立国・日本)の州々(くにぐに)から

集められた榊が心御柱におさめられているという、実際はそのようでなくても、そのような意味を持たせているのであろうと、推測できます。

「一枚の榊の葉=一州」であるから「八枚の榊の葉=八州(やしま・独立国・日本)」

となります。

また、「一重榊(ひとえさかき)=一州」であるから「八重榊(やえさかき)=八州(やしま・独立国・日本)」を表します。

(3)-㉗ 天平瓮(あめのひらか)八百口と八寸

「天平瓮(あめのひらか)」については、次のように言われています。

<< 心御柱(しんのみはしら)の周りに安置されるという「天平瓮(あめのひらか)」は、古くから神秘の取り扱いとされています。

心御柱と同様、「天平瓮」は、「その図ありといえども神慮(しんりょ)恐れあり、因(よ)ってこれを略す」とか「神宮に伝来の旨ありて、その職にあらざる神官は知らざる事なり」とされている。 >>(『伊勢神宮の衣食住』・矢野憲一・東京書籍・参考)

心御柱におさめられる、神秘の取り扱いを受けている「天平瓮(あめのひらか)」について、私なりに推測してみようと思います。

天平瓮(あめのひらか)の大きさは八寸です。

八咫鏡(やたのかがみ)の咫(た)は、周制の八寸のことを表しています。

ならば、< 天平瓮の大きさ=八寸=咫 >となります。よって、「咫(た・八寸)の天平瓮(あめのひらか)」と言えます。

八咫鏡(やたのかがみ)の「八・や」は、数の八を意味すると共に、大きい、立派な、素晴らしい、神秘的、等々の意味を含みます。

また、数霊(かずだま)の霊威も持ち合わせています。

それは、尊称、美称でもあります。仮に、天平瓮(あめのひらか)に尊称・美称の「八・や」を付ければ、「八咫天平瓮(やたのあめのひらか)」となります。

やはり、単なる「八寸」ではありません。「八寸」の意味は、かように重たいのです。

また、天平瓮を心御柱に八百口おさめることは、古代日本の聖数「八・や」の意味を含んでいるものと思われます。

なぜ八口ではなく八百口なのかは、私の全くの憶測ですが、神秘性ゆえ「心御柱」を覆ってしまう必要から、その数になったのだと思います。

勿論、八寸、八百口は「八州・やしま(独立国・日本)」の意味も含んでいます。

さらに、想像をたくましくするならば、「八百口」は「八百万神(やおよろずのかみ)」をも象徴しているのではなかろうかと推測できます。つまり、天神地祗(てんじんちぎ)です。いずれにせよ、八寸、八百口は、聖数・「八」のこだわりの発露です。

「天平瓮(あめのひらか)」ですが、『日本書紀』の神武紀に記されています。神武天皇の大和入りに際して、< 天香具山(あまのかぐやま)の土で天平瓮(あまのひらか)八十枚(やそち)を造り祭れ >岩波文庫)との夢の中の啓示を受け、その通りにしたら敵を降伏させることができた、と語られています。

また、『日本書紀』崇神(すじん)天皇紀に、< 物部(もののふ)の八十平瓮(ゆそびらか)を以(も)て、祭神之物(かみまつりもの)と作(な)さしむ。

即(すなわ)ち大田田根子(おほたたねこ)を以(も)て、大物主大神(おほものぬしのおほかみ)を祭(いはひまつ)る主(かむぬし)とす >(岩波文庫)と記述されています。

『古事記』においては、大国主神(おおくにぬしのかみ)の国譲りのあとに、「天(あめ)の八十平瓮(やそびらか)」が登場します。

『記紀』によると、「天平瓮(あめのひらか)」は、どうやら物部と関係があり、しかも八十(やそ)でなくてはならないようです。

「天の八十平瓮(やそびらか)」とは、敵対する相手側の霊地の土で「天平瓮(あめのひらか)」を作ることによって、あるいはもともと敵対していた物部(もののべ)の「天平瓮(あめのひらか)」を作ることによって、国を平定鎮護するという呪術の意味合いがあったのです。

即ち、伊勢神宮の心御柱におさめられた「天平瓮(あめのひらか)八百口」は、元々大和(やまと)を支配していた物部(もののべ)氏の土地と神様はもとより、八州の国の全ての土地と神様を象徴している、と思われます。

心御柱(しんのみはしら)は、< 八州(やしま・独立国・日本)の土と八百万神(やおよろずのかみ)を象徴する、「八咫天平瓮(やたのあめのひらか)」(造語)によって守護されている >のです。

(4)-㉘ 心御柱と抜穂(ぬいぼ)「八荷(か)」の神事

       ・・・八の世界

神宮では神嘗祭(かんなめさい)の大御饌(おおみけ)が終わった九月十六日の朝、「抜穂の神事」が行われていました。

「八荷(か)=六十四把(わ)」を正殿(しょうでん)の御床下(みゆかした・心御柱)におさめる神事です。

この神事は明治維新後の神宮の諸祭儀の改革で廃止されました。

外宮だけの神事であるとされていますが、はたして内宮にはこの「抜穂の神事」はなかったのでしょうか。

豊受大神を象徴する、外宮の心御柱(しんのみはしら)におさめられる抜穂の「八荷(か)・六十四把(わ)」は、一荷が一州、八荷で八州(やしま・独立国・日本)を象徴していると推測できます。

つまり、「八束穂(やつかほ)」であり、「八州穂(やしまほ)」(小生の造語)でもあります。

また、「抜穂八荷」は六十四把であるところから、八卦及び六十四卦(易経)を意味していると思われます。

勿論、この「抜穂八荷」は、北斗八星と豊受大御神の出自である、八天女も意味しているのです。

(5)-㉙ 内宮の心御柱は北極星と、外宮の心御柱は北斗八星と

       繋がっている・・・天地に描く宇宙軸

伊勢神宮は、天武天皇がそれまでの伊勢神宮をリニューアルして、ほぼ現在の姿にしました。

心御柱はどのような意味を持っているのでしょうか?心御柱は、内宮と外宮にあります。

◎内宮の心御柱(しんのみはしら)

内宮の心御柱の真上には、八咫鏡(やたのかがみ)が鎮座しています。

内宮の心御柱は、真上の八咫鏡を貫き北極星に通じています。

宇宙の中心・北極星の神を、八咫鏡を貫き、心御柱に降ろしていると思われます。

となると、北極星の神は、八咫鏡(天照大神)と習合して心御柱に降ろされることになります。

つまり、心御柱は、天地を繋ぐ宇宙軸なのです。この天地の宇宙軸、つまり心御柱により、天照大神と北極星は習合していることになるのです。

また、天皇は、北極星のことです。つまり、太一です。

よって、心御柱は、天照大神でもあり、北極星でもあり、天皇でもあるのです。

この内宮の心御柱と北極星を結ぶ軸を、第一の宇宙軸と名付けます。

◎外宮の心御柱(しんのみはしら)

さて、外宮にも心御柱があります。外宮の場合はどうでしょうか?

内宮の御正体(みしょうたい)は、八咫鏡(やたのかがみ)です。

では、外宮の御正体は何なのか?案外、この件については、語られていません。

やはり、内宮同様、御鏡(みかがみ)であろうとされています。

雄略(ゆうりゃく)天皇の御代に、天照大神が、豊受大神(とようけのおおかみ)を外宮として呼び寄せましたが、その時に、籠(この)神社にあった御神鏡も、豊受大神のご神体として移られた、とされているようです。

内宮のご神体は勿論のこと、外宮のご神体も「鏡」なのです。

外宮の心御柱は、真上にある御鏡を貫き、北斗八星に届いています。

北斗八星は、豊受大御神であり、八天女でもあります。

北斗八星は、外宮の御鏡(豊受大神)を貫き、心御柱と通じています。

つまり、外宮の心御柱は、天の中心である北極星を輔弼(ほひつ)する北斗八星と天地を繋ぐ宇宙軸なのです。これを第二宇宙軸と呼びます。

地上にも北極星と北斗八星が誕生するのです。

地上の北極星は内宮、地上の北斗八星は外宮、となります。

地上の北斗八星である外宮は、天の北斗八星の動きに同期して、地上の北極星・内宮を、一日、一周するという、バーチャルな真実が浮かび上がってきます。

これが、天武天皇が、伊勢神宮に施した呪術の基本です。

私はいつも、伊勢神宮をリニューアルした時の天武天皇の呪術のことを考えています。

それは、天武天皇が現在の伊勢神宮の姿(リニューアル)にしたからです。

伊勢神宮においては、天武天皇以後、多くの変化があったと想像されます。

特に、鎌倉時代、伊勢神道の活動などもあり、変化したものも多くあります。

しかし、いま以て、基本形は変わっていないと思います。

それは、伊勢神宮と大嘗祭はセットだからです。この二つがセットならば、伊勢神宮のみを変えてしまう、ということは出来ないと思われるからです。

さらに言えることは、御遷宮(ごせんぐう)のときに御正体(みしょうたい)を覆う錦の紋様がありますが、

①内宮が屋形紋(やかたもん)、そして②外宮が刺車紋(さしくるまもん)を使用していることが、そのことを証明しています。

※内宮の屋形紋(やかたもん)は、天皇(北極星)の居場所である「大極殿」・「紫宸殿」を表現しており、北極星と太極を表現。

※外宮の刺車紋(さしくるまもん)は、北極星を輔弼(ほひつ)する「北斗八星・帝車」を表現しており、北極星(習合・天照大神・天皇)の自家用車を表現しています。

私は、いつも、密かに思っていることがあります。

天皇皇后両陛下をお乗せするナンバープレートの無い菊の御紋入りの御料車(ごりょうしゃ)は、北斗八星でもあるのだ、と。

屋形紋(やかたもん)と刺車紋(さしくるまもん)の意味付けは、今日まで、千三百年にわたって続いているのです。

そのさらなる意味付けは、夜空に輝く北極星と北斗八星に、世界最強の呪術として、そして日本の素晴らしい国柄として、描かれているのです。(この件については、既に何度も述べています)

天武天皇は伊勢神宮をリニューアルし、大嘗祭を創設しました。

天武天皇のその動機を知れば、大局は真実として動かないのです。いやいや、動かしてはならないのです。

天武天皇の大嘗祭創設と伊勢神宮のリニューアルの動機を尊重しなければならないことは、独立国・日本建国の気概を表現している、素晴らしい動機からも分かります。

この件については、既にブログ・講演等々で何度も述べています。

出来れば拙著『大嘗祭・天皇号・伊勢神宮』を、ご一読くださいますようお願い申し上げます。

(また、拙い講演DVDもあります)