Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

フランス革命の道8-ポリニャック公爵夫人

2021.04.27 08:40

フランス国内でも問題が発生していた。ルイ16世が登用した財務総監テュルゴーは、重農主義者でアダム・スミスのように市場を阻害する規制をなくしたほうが、経済は発展すると考えた。しかし1775年の不作により規制をなくした穀物価格は高騰し、「小麦粉戦争」という騒乱がブルゴーニュからパリまで発生した。

テュルゴーは、またギルドを廃止し、行政官を監視する地方議会をつくろうとしたが、さすがに急進的改革は反発を招き、76年に罷免され、財務長官にネッケルがついた。彼は規制を元通りにしたが、宮廷に節約を提言したので、貴族からうっとうしがられる。

アントワネットは、ストレスを晴らしにパリで遊ぶ。宮廷ではプチトリアノン宮殿に、友達と一緒に。その友達がポリニャック夫人である。彼女は美しく美声だったそうだ。そして財産がないことで控えめな様子を見せ、王妃は正直さに感動した。「あの人と居ると私は私になれるのです」

しかしまあなんと兄皇帝ヨーゼフ2世まで77年4月19日にフランスにやってくる。彼は、なかなか子供ができない2人を個別に呼んで、子供のつくり方をアドバイスしたらしい。その結果?この問題は進展することになるが、兄はフランスの国情を視察して、やっかいな問題をこの後引き起こす。