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生死を目の当たりにして「生きる」ことを選んだ男 ~熊本の復興とサッカーに情熱を注ぐ~ その2

2016.12.05 22:30

3.11の東日本大震災、教え子が津波に流されたのだという。

http://ameblo.jp/plusninetask/entry-12224933981.html

昨日↑の続き↓


いてもたってもいられないガタさんは、すぐに被災地にボランティアとして向かった。

その着いた当日、遺体は発見された。。。


地元の人に言わせたらラッキーらしい。


未だ遺体が見つからない方がいたり、損傷が酷い遺体だったりする中、遺体が綺麗な姿で発見されたのはラッキーということなのだという。


自分が来るのを待っていたのか? 自分には何ができるのか? 行動しろと言われているか? そんなことを色々考えながら、絶望的な悲しみの中、自分の無力さを痛感し、もっと行動しなければならないと考えたという。


そして昨年、SMCを受講するのだが、その前にもきっかけになる大きな出来事があった。


大動脈解離という大病を患った。

激痛と高熱、本当に生死をさまよっていた。しかし、教え子は恩師が後を追うのを許さなかった。

先生もっと女子サッカーのためにチャレンジしてください!

そう言っているようだった。


医者が驚くほどの驚異的な回復で、なんとか文字が書けるまで復活したガタさんは、新たな学びにチャレンジするため、履歴書と願書を書いた。

SMCを受講するためだ。


指導のライセンスや実績はあるが、クラブ作りやマネジメントをしっかり学びなおしたかったのだという。


8ヶ月間SMCで学び、3月に無事修了することができた。


そして3月は、ちょうど教え子がなくなって5年がたった月だ。SMCの修了証を受け取ったその足で仙台に向かった。


チャレンジしたことの報告、これがスタートであることのお知らせ、いろんな思い出手を合わせた。

もう一度サッカーや熊本のために頑張ろう!!そう決意した時だった。


今度は、そんな熊本に地震が来たのだ。

当日、最初は何が起きているのかわからなかったという。急に地面が下がったり上がったり、叩きつけられる様な揺れが襲った!


慌てて家族で家の外に出ると、地面が揺れている。それを見て地震だ!と気が付いたのだという。

そこから自分たちも被災者となり、避難所での生活、車での生活など経験したが、ガタさんは家族を安全なところへ避難させると、真っ先にボランティアとして活動したのだ。いてもたってもいられなかったのだという。


本当に偶然、SMCで講師を務めた、studio Lの内海さんたちが、ボランティアとして熊本を訪れて、避難所での様々なケアを行っていた。そこでもすぐに手を挙げ、ボランティアを申し出て行動した。


その全てがチャレンジだった。


SMCを受講した方ならわかると思うが、WHY?(なぜ?)の連続だ。

なぜ自分は生きているのか?生かされているのか?何ができるのか?何がしたいのか?

そんな頭の中を整理するように、外の瓦礫を整理し、人とふれあい話を聞きながら、その答えを探していった。


俺は「生きるんだ!」生かされるのでもなく、ただ息をしているのでもない、自分で考え思いっきり行動する。その中で、地域の人たちとふれあい繋がることで自分を認識し、また新たなチャレンジをさせてもらう!そんなことを考えながら行動している。


まだ震災から数ヶ月、外は瓦礫の山。

しかしガタさんはそんな中でもチャレンジをやめない、フットボールセンターの話だって、熊本の復興そしてサッカーの発展のためにどうあるべきなのか?そこで自分はどんなお役に立てるのか?そんなことを考えている。


そして教え子のためにも、「生きる=チャレンジ」ということを忘れずにこれからもチャレンジしていくようだ。


そんな話をした後、「なんか説教くさい話になっちゃたなぁ~」なんて恥ずかしそうに笑いながら、残りの焼酎お湯割を一気に飲み干した。