老舗へ嫁いで 顧問 森裕子
皆さん、こんにちは。森からし蓮根の森裕子と申します。
私が、森からし蓮根へわずか19 歳という若さで嫁いで、早五十余年の歳月が流れました。あっという間の五十余年です。
商家へ嫁ぐということに、それなりの覚悟はありましたが、大変なことでした。
優雅な妻の座など全くありません。いきなり3 時起きです。
森の父親は、それはそれは、今思えば立派な人物でした。何もわからない私に、森の歴史、しきたり、由来、からし蓮根の作り方等々、ひとつひとつ、丁寧に分かりやすく教えてくれました。その父が他界した時、弔問客の方から、「あ…、熊本の人間国宝が一人亡くなられた」と、涙をいただきました。
また、義理の母は、明治生まれのなかなかのしっかりした女性で、箸の上げ下ろしから、家庭のことまで厳しい人でした。今、思い起こしてみれば、私を十七代目の女将として、世間様に恥ずかしくないようにと育ててくださったのです。
そして、一番つらかったのは、昭和の終わりから平成にかけてです。辛い時の心の支えだった駆け込み寺の実家の母が急死。続けて、優しかった義理の父親が他界。追い打ちをかけるように、からし蓮根の食中毒…。辛い試練続きでした。
幾つもの試練を乗り越え何とか頑張り、回復の兆しが見えてきた頃、嬉しいことに長男が結婚!可愛い孫にも恵まれました。森は安泰だと平和な日々を送っていましたが、またまた試練…。長男の嫁が幼い二人の孫を残して、29 歳という若さで他界。私は気が狂ったように泣きました。やっと歩ける小さな足で、棺まで目覚まし時計を持って行き、「ママ!ママ!」と、泣いていた孫の姿は、今思い出しても涙々です。
その孫たちも皆様のおかげで立派な社会人に成長し、現在、森からし蓮根の跡取りとして頑張っています。たくさんの試練がありましたが、今の私を造る肥やしだったのだと思います。世の中すべてのことに感謝です。
<商工ひのくに 4月号>
熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』
コロナ禍で令和3年も女性会活動を自粛中です。
〈女性会活動報告〉ページでは、
会員紹介及び近況報告や女性会への想いを掲載することにいたしました。