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芭蕉と共感覚

2018.04.28 05:53

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/11480194?categoryIds=3430400  【芭蕉の「軽み」という志向】

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6372826  【「軽み」 高く心を悟りて俗に帰るべし】

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/13268965  【芭蕉と共感覚】

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/14035786  【共感覚】


www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/.../sensuscommunis.ht...

共通感覚の文学 「心象スケッチ」の言葉がめざしたこと

つまり音楽を聴いたら色が見えたとか、なにかの匂いから味を感じたとかいう共 感覚の現象は、共通感覚から説明することが ... 賢治はアニミズム(汎神論)的、 アニマティズム(汎生命論)的に世界を表現していると言われるが、これは対象 ...


https://tsukinami.exblog.jp/13060366/  【不易流行から軽みへ】

後世「俳聖」と称えられる松尾宗房は、伊賀上野に生まれ育ちました。生家は武士と農民との中間的な階層だったと推定されています。少年時代から武家奉公し、そこで俳諧の道に踏み入りました。当時の俳諧は、上品なおかしみを尊ぶ貞門が主流でした。

三十歳を目前にした宗房青年は、身を立てるため単身江戸へ出ます。まもなく俳号を桃青とあらため、人の意表をつく新しい滑稽である談林の俳諧宗匠として立机しました。三十七歳の冬には、日本橋小田原町を離れて隅田川の川向こうである深川に隠棲し、芭蕉庵を名乗ります。

この頃、人生の転機を迎えたと感じたものか、蕉門俳諧の確立を志して禅宗を学び、中国古典文学の教養を深めようともしました。その後、風狂の道を極めたいとの思いを強くした芭蕉は、歌枕名所旧跡を訪ね歩き、漂泊の旅を重ねます。

四十六歳で奥羽北陸の旅(『奥のほそ道』紀行)から帰ると、「不易流行」の説を唱え始めます。晩年に近づき枯れゆく俳聖の俳諧論は、どのようなものだったか。井本農一著『芭蕉入門』から引用します。

俳諧はもとより、すべて芸術の根本には、時代を越え、流派を越え、また芸術の種類を越えて、ある変わらない、一貫したものがある。それは芸術や文学や俳諧の本質的なものだと申してもよろしいでしょう。それが不易です。

しかし、個々の作品が優れた作品であるためには、常に独創的でなければならないのは当然です。時代とともに動き、新しみを求めなければなりません。それが「流行」の意味でしょう。

ただ新しみを求めよ、新しみを責めよといっても、どんな新しみを責めるのかを門人たちは芭蕉に尋ねたことでしょう。芭蕉の答は「軽み」でした。

「軽(かる)み」の反対は「重み」です。芭蕉は重くない句を作ることを具体的には主張しています。重い句というのは、第一には観念的な句です。理屈の句です。第二には、風流ぶった句です。わざとらしい風流の句です。第三には故事や古典によりかかった句です。

具体的で、即物的で、日常的でありながら、底のほうから作者の心情が僅かに滲み出ています。これが軽みです。

芭蕉もかつては、日常性の持つ卑俗さに抵抗するために、わざと非日常的な素材や表現をとったことがありますが、そういう仕方ではなく、日常性に即しながら、日常をのり越えようと考えるようになったのが、軽みの主張だろうと思います。


http://labellavitaet.blog40.fc2.com/blog-entry-162.html 【芭蕉と共感覚】より

共感覚についていろいろ調べていると気になる記事を見つけた。

共感覚と俳人・松尾芭蕉を取り上げている。

■芭蕉は共感覚者?

>>>

 Harrison、J. (2001)"Synaesthesia:the strangest thing." Oxford University Press.Harrisonの本では、共感覚か比喩かというタイトルの章で、ボードレール、ランボー、スクリャ-ビン、カンディンスキーなどと並んで、我が芭蕉がとりあげられている。鐘消えての句が上げられているが、英訳がわかりやすいので一緒にしめす。

 鐘消えて花の香は撞く夕哉

 As the bell tone fades、

 Blossom scents take up the ringing、

 Evening shade.

ここでは、消えゆく鐘の音(聴覚)が花の香(嗅覚)とまじりつつ、夕暮れ(視覚)に広がっていく様子が描かれている。Harrisonは、共感覚者では一方の感覚の刺激でもう一方の感覚を同時に感じる事を指摘し、この句で表現されている、鐘のringingから花の香のringingへの遷移は、共感覚者の経験の描写ではなく(他の証拠がないと芭蕉自身が共感覚者でないという結論は出せないがと断りつつ)、花の香のringingは比喩的な表現だと結論している。この結論は妥当であると思う。むしろ興味深いのは、西欧人の眼からみて、芭蕉が共感覚者かと真剣に問題にしている点である。

<<<芭蕉と共感覚より

もう一つ芭蕉の句と解釈を見てみよう。

 牛べやに蚊の声暗き残暑かな

 In the cowshed

 mosquito voices are dark

 the lingering heat

ここで興味深いのは、『芭蕉は共感覚を用いて“蚊の声暗き”という表現と”残暑”という季語から、夏の終わりとまもなく訪れる秋を予感させているのだ』と解釈しているところだ。しかしこれらは明らかに共感覚ではなく、共感覚比喩というべきだろう。

■ある俳句入門サイトで“construction techniques for haiku:Synesthesia (sense switching)/俳句の構成テクニック:共感覚(感覚の切替)”とあるのが、「sense switching」はある感覚を他の感覚を使って形容することを指し、この場合の「Synesthesia」も同様に共感覚比喩である。

[参考]詩人や小説家が多く共通に持っているものは共感覚ではなく比喩表現力である,BBC

比喩表現か否かは日本人ならば感覚的に分かりそうだけど。古くは和歌、百人一首や俳句のように、自分の中にある情景や想い・感性をルールの枠内でいかに豊かに表現するか。その創意工夫の中で日本語はさまざまな表現方法を模索してきたのだろう。「まったり」「こっくり」などフランスよりも日本の方が味の表現が多いと言われるのも納得。

■日本語と共感覚比喩(synesthesia metaphor)

体系

日本語において、共感覚比喩とは昔から言語学的に論じられ、体系化されている。共感覚比喩にみられる比喩の左から右への一方向性、つまり「一方向の右端に位置する視覚・聴覚の形容詞が、本来未発達で非常に貧弱であるために、他の感覚分野から借りるばかりで、それゆえ共感覚比喩に頼っている」という仮説は長く奉じられてきた。しかし、この「一方向性の仮説」に近年は反論の声も上がってきているのだが、そのあたりは共感覚と離れてしまうのでここまでにする。

[参考]比喩(メタファー)研究について

■芭蕉はなぜ共感覚比喩を用いたか

芭蕉と共感覚では「なぜ芭蕉は共感覚的な表現を用いるようになったのか?」という疑問に対して、禅の影響を指摘している。

>>>

禅では、概念やシンボリズムによってではなく、具体的身体的な経験そのものに密着し、これを組み替えることによる、あらたな視点の獲得、悟脱を目指す。禅林詩における共感覚表現技法はこうした背景から生まれたものである。もちろん芭蕉の俳句は仏教的思想の表現ではないが、芭蕉の俳句における共感覚的表現などに、感覚への密着を通じ、一種の日常を越えた視点を表現しようとしたものがあるのは、禅の影響によるものだろう。有名な「静けさや岩にしみいる蝉の声」などの句は、共感覚表現とは言えないだろうが、声が岩にしみいるという比喩、声の静けさという撞着語法がつかわれ、より禅語録に近い表現になっている。

<<<

この、『禅と共感覚表現;感覚への密着と切替』というキーワードでまたいくつかおもしろいエピソードを思い出したけど、それはまた別の機会に。。

参考資料

Synaesthesia and Synaesthetic Metaphors

Synaesthesia, metaphor and right-brain functioning

リルケの「世界内部空間(Weltinnenraum)」について