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ZIPANG TOKIO 2020「『 寄稿文 』姫路城を臨む日本庭園の極致 【 好古園 】から思うこと」

2016.12.03 15:00

鶴岡市城祉公園 "致道博物館内にある、広壮な大名屋敷の面影が残る御隠殿の北側に残る築山池泉を配した古庭園”

表記サイト拝読しました。 今回、姫路城もさることながら、それに負けない風格の好古園!その命名と移設は徳川四天王の一人、酒井藩主時代だったのですね?                                         そして徳川家を支えた家老の酒井家は大老となって明治を迎えました。 姫路城とセットになって、歴史的な主人公の移り変わりとともに歩み、その残影をとどめた庭園は、それが美しい程、当事者でなくとも諸行無常、栄枯盛衰の哀れを覚え、歴史の重みを教えて呉れるようです。この胸を突かれる思いの正体は、一体何であろうか?と目を閉じると…はっと、気付いたのが、私の住まう山形県の庄内藩酒井家の辿った歴史秘話でした。 庄内藩は奥羽越列藩同盟の最強戦力でしたが、最後に降伏。明治維新を迎えた後、3000人の藩士たちは職を失い、大変惨めな立場になりました。しかし、彼らは高い志しと不屈の精神で、自らの生活と藩の基盤産業を支えるために、一致団結して立ち上がりました。

 

 彼らは刀剣を鋤や鍬に替え、鶴岡市郊外の雑木林地帯を開拓し、松ケ岡開墾場として養蚕農業に転向したと謂われます。今も養蚕室として使われた、立派な2階建て木造大建造物が10棟程残り、様々な展示場となって当時を偲ばせています。 一方、古くは三河が本拠地だった酒井家はある時代から7つに分かれたようで、一旦、明治以降、解体した幕藩体制の庄内藩、姫路、小浜の御3家は伯爵、その他の家は子爵の位を受けたようです。 さて、前述の致道博物館とこの開墾場は、今も市民からお殿様と呼ばれ、慕われている酒井家18代当主酒井忠久氏が博物館長として、活躍されています。全国的に珍しいことですね? そして松ケ岡開墾場の方は御夫人酒井天美氏が"松ケ岡シルク"としてそのクォリティの高さを誇る松岡物産株式会社会長に就かれ、御長男の酒井忠順氏が社長となり、これらの運営に当たられています。 中心部にある酒井家の御屋敷や藩校、広大な庭は市民の博物館や公園となって、内陸部、山形市のイメージとはまるで異なり、如何にも端正で威厳に満ちた美しい日本庭園の佇まいをみせております。 好古園の話題から、庄内藩酒井家とご当地の格調高い美意識には遠い昔から共通する深い因縁を感ぜずにはいられませんでした。  色紐子


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