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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説36

2021.05.01 23:00


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



あなただけは理解を示そうとした(やわらかく、目を背け、顎を冴え背けながら)。

母がもう二度生き返ることのできないように。

永遠に眠りの淵にいられるように。

わたしは何度も母を惨殺しなければならなかった。

あの部屋。母が男から与えられていた六本木の交差天近く。

元舊防衛庁跡地の近くの極度にっ閑静な一角。

まるで、此処が六本木などではないかのような…嘘をつかれたような静かな、…窓から見えた。

あの雪の日も。

窓から、オレンジ色の東京タワーが見えた。

いつでも見えた)。

ふいに我に返ったように(そして同じ地声の儘で)霊媒師ニーは云った(だからわたしは靈がさって彼女自身が彼女自身の日本語で話しているように思っていた)。

「なんどもあなたの前で、行ったけど。…何度もね、聞こえた?聞こえないよね?お母さんもう死んでるからね…あなと、関われないからね(でも、いつもそばにいて、応援してる)。あれ、わたしが惡い。傷つけちゃったね。阿波さんが、…元方さんがあんなふうに、わたしなんかいらないと、ね?でていけ、と。もういらないから、と。けれども、元方さんの庇護、…保護?だったでしょう?わたしたち、でも、思い切れないじゃない?…だめよね。そういうとき、思い切らないとだめなのね。だから、私が悪い。でも、あの時はもう生きられなかったからね。だからあなたも捨てたね。

私ね(憶宇)あなたもね、捨てて(憶宇波)

そういうこと、自分も捨てる(憶宇)命捨てる(憶宇)あなたも捨てる(憶宇)みんな捨てちゃう(憶宇波)

手首切った時、其の時には(夜乎)なんだろう?(夜乎)あったかくなったのね(夜乎波)うではつめたいけど(夜阿)

びっくりした顔したね(憶宇)お母さんが(憶宇)福脱いで、

と、霊媒師ニーは嘲るように笑った。聲を立てて(自嘲の?)

「でも(波阿)逃げなかったね(憶宇)えらいね(波阿)ちゃんと最後まで見てたね(憶宇波)お風呂のお湯の中で、お母さんひとりでしんでくの

——お母さん、亡くなったの?

トゥイエット・ハンが耳打ちした。

わたしはうなづいた(さっきも同じ事を繰り返した実感があった)。

「なにを?

靈媒ニーは云った。

「なにをいいたい?

——あなた、だれなの?

わたしは思わず、そう云った。

霊媒ニーの眼はわたしを見ていた(その何も見ていない眼で)

「なにを、

言いかけた時に、霊媒ニーの唇が私の理解できない異世界の言語を話し始めた。

いたって普通に。

彼女の黑目は私を已に見て居なかった。

彼女はトゥイエット・ハンに話しかけていた。

その時に、それが彼女のベトナム語だったことに気付いた。

トゥイエット・ハン曰く、外人の靈に体を貸したのは初めてだったと喜んでいる、といった。私は思っていた。わたしはただ微笑む以外に術を持たなかった。

トゥイエット・ハンと靈媒師ニーの雑談は続いた(なにも深刻なものではない。

おそらく。是は単に彼等の雰囲気から推し量ったにすぎない。たぶん、靈媒の仕事についてのの話?乃至、これまでの体験談?或は、彼女の家族についての茶飲み話とか、そんなもの…)。わたしはその席を辭した。下に降りた。蘭がいないことに気付いたのだった(最初から二階にまで上がってきていなかったに違いなかった)。蘭を見に行くことをトゥイエット・ハンにだけ告げた。

霊媒士は心配そうな顔をした。

たぶん、異国語の理解できない会話に飽きたのだろうと、おそらくは私の手持ち無沙汰を案じたのだった。

大丈夫、と。トゥイエット・ハンは靈媒師ニーに云った。

下に降り、見まわしても蘭はいなかった。

或は、どこかに出て云ったかもしれない。

自分では帰って來れないかもしれない。

どこかで死んでしまうかもしれない。

それこそ、幹線道路の大型車兩にでも轢かれて?

ふと思う。タオはとがめるだろうか?

確信として想う、彼女は赦すだろう——だいじょうぶ、だよ。ごめんね、たいへんだった、ね。

と。

鼻水を咬むような聲で甘え。

タオの髪の毛の匂いを思い出した。庭に出ると日差しが直射した。正午ちかくだった。子供たちはすでにいなかった。

気付いた。

わたしは已に視界に蘭をみていたのだった。

正面の門の兩腋の二本づつのブーゲンビリア、その右りの方の木陰に蘭はこちらを向いて立って、そして眼を閉じていた。

頭の上でブーゲンビリアの赤紫と白がないまぜになって咲いていた。

木陰に蘭はひとりで翳った。

8月21日。

昨日は途中で報告をやめた。

なぜだろう?

すでに終えて仕舞った気がしてしまったのです。

だから、つづきを報告して、それから今日の報告に取り掛かりましょうか。

昨日は、あれからトゥイエット・ハンと蘭と一緒に食事をして、そして部屋に帰った。

それからアトリエに行って(蘭をつれて、…ね?さすが一日に二度も放置するのは可哀想でしょう?)カンバスに下塗りを。

いつものように、とりあえずはブラウン系の絵具を薄く説いて。

非常に、非常に薄く。

おつゆ状態だからすぐ終わる。あとは乾くのを待つ。

これに関しては、むかし東京で下地膜の強度に関して疑問視された事がある。

私の答え。知った事か。

剥がれるなら剥がれて仕舞えばいい。

それはそれで燃え尽きるより美しいかもしれない。

静かに、剥がれ落ち続ける、滅びの絵画の滅びの姿。

此の日は久しぶりに日が差した。

午前の深い時間…ちょうどトゥイエット・ハンと霊媒師ニーが降霊術終わりの雑談に興じている頃…から。雲を割って降り注ぎだした日の光、切れ目の青の久しぶりの色の下に、僕たちはホテルまで帰ったのでした。

蘭は相変わらず沈黙し、そして私は相変わらず時に蘭が傍らに存在してゐることさえ忘れる。

何をするというでもない。

薄いブランの、あらい刷毛の線の殘る画面をみていたのだ。

乾き切るのに何日かかるのだろうと思った。こっちに来てから、実は作品などひとつも書かなかったから、その感覚がなかったのだ。

日本なら夏は一日で乾く。もののみごとに。

冬は、…どうだろう?

カンバスに聞かなければわからない。

こっちの気候は常夏といえば常夏だった。

気温は曇っていても25度をさがりはしない。ただし此の處毎日雨。ただし今日はちょうど止んでいて、日も差している。

窓の向こうに、海に雲が無数の光の筋をなげ、所々に靑を垣間見せるのだ。

取り敢えず一に放っておこうかと思う。

カンバスのすれすれすれに鼻をつけて、その腐った油のような陰湿な匂いを嗅いでいた時にノックがした。

夕方、5時半。

タオは最初寝室の方にいったのだと云った。だれもいなかったからこっちに来たと。

蘭はベランダに出ていて、そして姉の背後にいることだに気付かない。

すくなくとも、反応をは示さない。

タオはこれからの夜について、自分からは切り出さなかった。

覚えているのかどうかさえ、彼女は私には悟らせない。

あるいは、本当にいま、彼女の頭にそんなことはなにも、…わすれられるよりきれいに、まったく存在してゐないのかもしれない。

私は其の儘放置した。ややあってタオはベランダに出た。

ならんで向こうを見、なにをふたりで語り合う譯でもなくてただ後ろ姿を見せていた。

風はほとんどないようだった。

衣服にはためく気配はなく、かつ髮もそよともしない。

片方は二十七、片方は十四、その差十三。片方は白く、片方は黒い。片方は豊満で片方は瘠せていた。片方は常に媚びて甘い顏をし、もう片方は冷酷なほどに他人の顏じみて整わせている。

彼女たちは他人同士に違いないとわたしは思うともなく思った。

ほんの数分程度、蘭は姉につれられて部屋に入ってきたとき、いまさらに私の部屋の中にゐたことを知ったような、そんな顏をして、そして私を見た。

タオが私にめくばせして(それが何を意味する目配せなのかは、私には終にわからなかった)わたしの眼の前を通り過ぎた時に

——じゃ、真ん中に立って。

わたしは云った。

——真ん中?

——部屋の。

わたしはそういった。

タオは從った。

いまさらにタオはブランに塗られたカンバスに驚いた。何これ?といい、どうしたの、これ?

と。

やがて一度真っ黒に塗りつぶされたカンバスを見たら彼女はなんというのだろう?

——こっち向いて

笑いながら言ったわたしにタオはふりかえり、そのまま私を見詰めた。

スケッチブックを手にとり、そして開きもしない儘に壁にもたれる私を、タオはみていたのだった。

暫くして、何か言いかけたタオに、

——動かないで

わたしは謂い、そしてそのまま彼女を見つめ続けた。

夕焼けは、此処からはどうして見えない。

だから、ただ空間は暗くなる。

空に靑みが終に消えた比に、わたしは云った。

——自分で脱いで。

行った聲に、明らかに飽き飽きした色があった。

——じっとしてて

何か言いかけたタオに入った。

——はやく。

私は云った。

彼女は嘲弄されたに等しかった。

くらがりに、とはいえ自然に眩んで云った以上、最初から目に熟れたむしろ親しい昏さに、タオは微笑み続けた私を見ていた。

タオは從った。ブラウスから、スカート。

それから、それへ。

とりたててためらうでもなく。

——黙ってて

なにか言いかけたタオに、私は云った。

——そのままにしてて。

タオの傍らを横切って、そして彼女の右のベッドによこたわり、わたしはタオを放置した。

窓の向こうの夜の空を背景にして、私はタオを見詰めた。

雲は、顯らかな姿をさらさない間にいつか、そのほとんどを散らして仕舞ったに違いなかった。

月の光が雲母の深い白みを空にまばらに広げた。

雲母は流れた。

薄いそれが月に懸かった時に、月はそこに金色におおきくきらめいた。

——しゃがむの。