僕とギターとやり場のない感情
自分の内面を吐露できる唯一の場は、僕にとっては「曲」だった。
自分で作る、オリジナルソングというやつだ。
聴いてくれた誰かが「いい」と思う曲を作りたいと、いつからか思うようになってしまったことに気がついた。
世の中に「合わせられる人間」は、損だ。
自分の本音など、簡単に覆い隠すことができる。
ひっそりと、誰にも気づかれず。
そうやって、疲弊していく。
そんな人がたくさんいることに、僕は最近気づいた。
そして、僕もその一人だということも。
どんな生き様もいい。それは、宇宙規模の心理だと思う。
ただ、その生き様の責任を取るのは自分であるということの重大さに、気づいていない人は多い。
誰のせいにもできないのだ。
もちろん、親兄弟にも。
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4/24のライブを何らかの形で目の当たりにされたみなさまに、改めて心より感謝申し上げたい。
緊急事態宣言発令の、一日前。なんて日だ。
こうやって演奏にお越しいただけることが、なんとありがたいことか。
そして、共演してくださったaiaiさん、開催を引き受けてくださった「空飛ぶこぶたや」さん、本当にありがとうございました。
今回、新しい曲を一曲やった。
「はじまりの丘」という曲。
この曲ができたとき、新しい形の達成感に満たされた。
と同時に、どうやって演奏したらいいかが見えず、正直とても戸惑ってしまった。
今までと、全く色彩の異なるものだった。
これまでは、少なからず「イイタイコト」が存在した。
今回は、初めて「描きたい風景」だった。
でも、具体的な差し色を決めたりするのではなく、人間の生まれてから死ぬまでの一貫した儚さのような、一瞬で捉えられないものを描きたいと思ってしまった。
それを支えてくれた二人には、本当に感謝しかない。
ピアニスト、くぼなつみ。
勝手な印象だが、このコロナ禍を経て、彼女は変わった。
少し大人びて、しかしそれでいていい意味で直情的になったと思う。
彼女の素晴らしいところはたくさんあるが、耳と指の接続の良さは群を抜く。
この日も爆発的に良かったが、そのポテンシャルに、自分が甘えすぎた。
リハーサルで、いろんなことを伝えなさすぎた。随分とりとめのないリハーサルをしてしまったのだ。
それにも関わらず、彼女はとても準備をしてきてくれた。イメージを高め、フレーズも仕込んでくれた。
僕は、音楽が化学反応する瞬間がとても好きだ。だからこそ、自分が十二分に準備をしなければならなかったことを、今回改めて痛感し、反省した。
パーカッショニスト / ドラマー、矢崎良子。
彼女もまた、雰囲気が変わってきた。
落ち着きが増し、より力強い一手を打つようになった。
手数が減ったかもしれない。その分、説得力が増したように思う。
コロナ禍は、このような形でも人に影響を与えるのだろうか。
この二人のおかげで、新曲が人間の目にみえるものになった。
僕は、大変恵まれていると思った。
僕は今まで、サイトを更新するにあたりこんなに悲しい気持ちになったことはなかった。
次回のライブが、決まっていない。
お誘いをいただいたものもあるのだが、予定の関係で出演ができない。
こうなったら、別の手段でライブなりをやるしかない。
...というわけで、考えていることはあるので、もう少々お待ちいただけたら幸いである。
こういうときにお待たせしてしまうタチなのは、自分ではよくわかっているつもりなのだが...。
こう見えて、以前はもう少しフットワークが軽かった。
と同時に、ペース配分を見誤るのが常。
気づけばバテて、体調を崩す。
最近は例の感染症の事もあって外に出る機会がめっきり減り、やや体力が落ちてきているのもあるから、実は今くらいのペースで動くことがちょうどよかったりはする。
焦っては何にもならないとは思うのだけれど。
そんなに器用ではないし、キャパも大きくない。
深呼吸しながら、地に足をつけて動くしかないのだ。
2021.4.30 モリタクロウ