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松尾芭蕉の「かるみ」の心境で生きる

2018.05.02 03:16

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6372103/    【造化にしたがい 造化にかえる】

軽みは手放すこと、自己への執着から解放されることともいえそうです。

http://jariten034.xsrv.jp/dazai.info/%E7%B2%BE%E7%A5%9E/post-569/ 【松尾芭蕉の「かるみ」の心境で生きる】 より

今日の名言

『君、あたらしい時代は、たしかに来ている。それは羽衣のように軽くて、しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のように清冽なものだ。芭蕉がその晩年に「かるみ」というものを称えて、それを「わび」「さび」「しおり」などのはるか上位に置いたとか、中学校の福田和尚先生から教わったが、芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやっと予感し、憧憬したその最上位の心境に僕たちが、いつのまにやら自然に到達しているとは、誇らじと欲するも能わずというところだ。この「かるみ」は、断じて軽薄と違うのである。慾と命を捨てなければ、この心境はわからない。くるしく努力して汗を出し切った後に来る一陣のその風だ。世界の大混乱の末の窮迫の空気から生れ出た、翼のすきとおるほどの身軽な鳥だ。これがわからぬ人は、永遠に歴史の流れから除外され、取残されてしまうだろう。ああ、あれも、これも、どんどん古くなって行く。君、理窟も何も無いのだ。すべてを失い、すべてを捨てた者の平安こそ、その「かるみ」だ。』

(「パンドラの匣」新潮文庫より)

敗戦直後の混乱期において、希望も容易には見えてこない、そして、主人公のひばりは結核を患っている中であるからこそ、このような、悟りの境地に達したかのような言葉が出てくるのでしょう。

この「かるみ」の境地は、死を覚悟した人間だからこそ、到達できるのでしょう。

あらゆる苦難を受け入れた上で、それでも身軽に、明るく生きていく覚悟が出来るというのは、まさに、欲と命を捨て、努力をして汗を出し切ったからこその境地なのでしょう。

きっとこのような覚悟、境地に達した人が多く日本人にいたからこそ、日本の戦後の復興があったと思うと、頭を垂れるしかない思いです。

パンドラの匣改版 [ 太宰治 ]


https://www.myoshinji.or.jp/tokyo-zen-center/howa/966 【人生という旅路】 より

 東京。この地は私にとって非常に思い出深い土地です。

 というのは、私は愛知生まれ愛知育ちなのですが、大学の4年間だけは東京で下宿生活をしていたからです。私は19歳で大学に入学しましたから、子どもから大人になる過程において大切な時期を東京で過ごしたわけです。今にも増して未熟だった私は、生まれ育った愛知から離れ見知らぬ土地にやってきて、一抹の寂しさや人間関係での悩み、そして自分の将来への漠たる不安を抱えたものです。

 結局のところ、何とか4年を過ごし、卒業後すぐに愛知に戻りました。ほどなくして、修行僧として名古屋の道場に入門したのです。愛知から東京へ出て、子どもから大人への過渡期を過ごす。そして成人を迎えたかと思えばそれもつかの間、すぐに地元に戻って修行生活に移り、めくるめく日々を過ごしていました。

 禅の修行僧のことを「雲水(うんすい)」と呼びますが、これは「行雲流水」という禅の言葉に由来します。流れる水や行く雲のようにひとところにとどまらず、執着を離れた境涯のことを言うのですが、まさにそのような在り方を体現している、あるいはそこを理想の境地として精進し続けるため、修行僧のことを「雲水」と呼び慣わすわけです。

 しかし考えてみれば、修行僧のみならず、私たちの日々の営みそのものも、ひとところにとどまることもなく常に変化をし続ける、言わば旅のようなものでしょう。

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人なり。

船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす

とは、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が、自身の旅の行程や体験を記した『おくのほそ道』という作品の序文に出てくる文言ですが、まさに私たちは雲のように水のように、決してとどまることなく旅路に生き、そしてその道中に息を引き取ってゆくのだと思います。

 私はこのように生涯を旅だと捉え、雲や水のように一所にとどまらない、ということを人生訓にしています。それはなぜかと言えば、一定の場所に固執することで息苦しさを覚えた経験があるからです。

 冒頭に大学のために東京に出てきた、と書きましたが、実のところこれは私の人生の中で想定外の出来事でした。高校の頃私は、地元に残るために名古屋の大学を目指して勉強をしていました。しかし、結果は不合格。ですから、失礼を承知でありていに言えば、当時は望んでもいなかった場所に行くことを余儀なくされたのです。東京に行くと決まった時は、心の底から不安で、不満でした。なぜかと言えば、小さなころから住み慣れた居心地よい土地を離れ、別天地に独り赴くことがたまらなく怖かったからです。

 ところが引っ越しを済ませ、1か月、2か月、3か月…と日がかさむごとに、不思議な変化が起きてきます。大学の中には友人も増え、アルバイト先も決まり、勉強や学外活動も思っていた以上に面白い。「住めば都」とはまさにこのことで、次第に東京の方が居心地よくなっている自分に気がつきます。

 そうなりますと、4年後に修行道場に入るために愛知に戻るときにはどうなっていたか。今度は、愛知に戻ることへ強い不安と不満を覚えていたのです。そして修行道場では、恥ずかしいことに「雲水」という立場でありながら、その実は全く行雲流水の境地を体現できていませんでした。楽しい思い出だけを思い返してはその心地よさにすがりつき、そして「辛い修行生活」という現実との板挟みに息苦しさを感じていたのでした。

 このことを踏まえて私が学んだことは、「住めば都」と感じた後が大切である、ということです。どういうことかと言えば、私たちは「都」、つまり自分にとって居心地のよいすみかを見つけると、どうしてもそこにずっと居たいという欲に駆られがちです。しかし、旅の道中に見える景色が変わるがごとく流転する人生において、一所にとどまることがままならないこともあるでしょう。すると理想と現実との隔たりを自ら作り出し、無いものねだりの息苦しさに見舞われることになりかねません。

 無論、それは場所に限ったことではなく、私たちは「あの頃は良かった」「今はもっとこうあればよいのに」と、頭の中にしかない自分なりの理想郷にしがみついてしまうことが往々にしてあります。

 もちろん過去を捨てることはできませんし、その必要もないと思いますが、肝要なのはその「都」に固執しないことではないでしょうか。ときには居心地の良い都を離れ、芭蕉の言うように旅をすみかとしてたださらさらと流れてゆく―そのようなとらわれのない心持ちで、日々ゆったりと人生という名の旅路を歩んでいきたいものです。

林昌寺副住職・野田晋明


https://next.rikunabi.com/journal/20201216_t11/ 【自分をラクにする秘訣─「執着を手放す」ための3つの方法】 より

行雲流水という、「物事に執着せず行動すること」を表した言葉がありますが、そのような境地にはなかなか至れないものです。執着を捨てることができれば、ストレスから開放されるかもしれない…わかっていても、簡単にはいきません。

女性のキャリアに特化したコンサルティング事業を手掛ける川崎貴子さんご自身にも、執着まみれの過去があったものの、ある大事なことに気づき、今では執着を手放すことができているそう。

そんな川崎さんに、今回は「執着を手放すためのアイディア」について語っていただきます。

なかなか手放せないがゆえの「執着」

20年以上、キャリアカウンセリングに始まって、今では男女関係や夫婦関係のカウンセリングまでを手掛けている私は、いつも相談者さんに対して思うことがあります。

「この人の、〝この執着″を取り除けるなら何とか取り除いてあげたい」と。

自分の抱えている執着の正体にすぐに気づいて前を向いて歩ける人は良いのですが、執着を手放すのに時間がかかる人、いつまでも苦しみから逃れられない人、なかには執着の存在に自分で気づいていない人まで、執着と悪戦苦闘している人はたくさんおります。

かくいう私自身も、定期的にカウンセリングを受けていますが、自分自身の執着にはなかなか気づけず、気づいても切り替えるのは容易ではなく、相談者さんたちのお気持ちは痛いほどわかるのでした。

特に最近ではコロナの影響で、より強いグリップであらゆる物に執着し、苦しんでいる人が増えているように思います。

執着というと「恋愛関係」を連想する人が多いかもしれませんが、夫婦関係でも、親子関係でも、仕事や会社、友人知人、お金や持ち物などなど、ありとあらゆるものが執着の対象となり得ます。特に環境の変化による不安から、ますます「手放すまい!」と、頑なになってしまいがちなのです。

なぜ「執着」してはいけないのか?

例えば「真実の愛情」と「執着」、例えば「あきらめない気持ち」と「執着」は線引きが難しいという質問をよく受けるのですが、一番大きいのは「視野の広さの違い」だと私は考えています。

自分の愛情に目がくらみ、相手の幸せを考えられないのは「執着」ですし、俯瞰して自分の立ち位置を冷静に見定める見ることもせず、やみくもに続ける努力は人から応援されづらく、「執着」に映ることでしょう。

自分ひとりで、誰にも迷惑をかけずに遂行するなら問題ありませんが、「執着」は、強ければ強いほど、対象者や仲間、生活を共にする人にとっては少なからず負担や迷惑がかかるものです。また、自分自身にとっても「執着を手放さない」弊害はあります。

執着真っ最中の人間というものは、それを「純粋な愛」「不屈の精神」だと思い込もうとします。

なぜなら、そのほうが自分にとって都合が良いから。自分を正当化できるし、自分自身深く傷つかないからです。

「本当は独りになるのが不安」「私は愛されるに値する人間じゃない」「自分に才能なんてない」というような絶望的な気持ちを自分に対して巧妙に隠したい時、人は視野狭窄に陥り、美しくパッケージ化しようとします。

でも、当然ですが、自分をごまかしているにすぎないので根本の問題は解決しません。恋愛の場合だと、すがるように「私のこと愛している?」と聞きながら常に不安で、ずっと孤独を味わい続けるのです。

こんな風に、「執着」は周囲の人間も、自分自身も、誰も幸せにしないもの。早々に自覚して手放して、次の局面に進もうではありませんか。私はいつも、過剰な執着を抱えた相談者に出会うと、そんなふうに、アドバイスしています。

ここで、執着を手放すためのアイディアを3つ紹介します。

執着の手放し方その1:必要とあらば損切りの判断も

私たちは何かを判断するとき、費やした時間や労力やお金に目を曇らされます。本当は別れたほうがいいと思っている腐れ縁の彼も、「5年も付き合ったし、こんなに尽くしたんだから」と自分に納得させてだらだらと付き合ってしまう。

これは、会社や仕事も同じです。もっと良い道がほかにあるのに、これまでのやり方に執着して機会を損失してしまうことはよくあります。幸せな人生に軌道修正するために、ときには「損切り」も大切。

執着の手放し方その2:過去の成功や「なんとかなった」ことにフォーカスする

まずは自分が隠している「本当の不安」は、何から来ているのか分析してみましょう。

例えば「両親が厳しくて甘えられなかった」とか「幼少時から人見知りで、なかなか人の輪に入れない」とか、人はそれぞれ要因となるものを何かしら持っているわけですが、その時の感情を認めてあげましょう。

これは誰かに話を聞いてもらってもいいし、自分で書きだしたりしても良いです。悲しかったり不安だったりした自分の感情を認め、外に出すことが大切です。

そして次に、成功体験を思い返してみてください。努力の末に得たもの、「ラッキーだった」と思うもの、どちらでも構いません。「成功体験なんてないよ…」とすぐには思い当たらない人がいるかもしれませんが、「なんとかなった」レベルのできごとも成功体験として考えてください。じっくり振り返ってみると、なんとかなったことは割とあったことに気づくはずです。

不得意な教科があってもなんとか高校を卒業できた、とか、大学は第2志望のところだったけどそこで生涯の友に出会えた、とか、就活が思うようにいかずしぶしぶ入社した会社だったけど思いのほかやりがいを得られる場所だった、とか。

私たちは不思議なことに、傷ついた経験や失敗体験はよく記憶し続け不安材料にする一方、うまくいった体験やラッキー体験は忘れがちになる傾向があります。でも実は、この「なんとかなったこと」が、執着からの開放のヒントになることがよくあるのです。

「なんとかなった」のは、執着を捨てたからではありませんか?

自分が今必死でつかんでいるものを手放しても、大丈夫だったのではありませんか?

もしそうだとしたら、「難しく見える状況でも実はなんとかなるかも」と過去の経験が教えてくれたことになります。それを活かして、「今を生きること」に注目しましょう。

自分自身が思いもしなかった方向へ動くことによって歴史は変わるわけであり、今を変えることによって未来が作られるのだとイメージしてゆきましょう。

執着の手放し方その3:完璧主義をやめて自分マターで生きる

執着するということはすなわち、自分じゃない誰かや物など、何かしらの対象が存在するということです。

あ、「若さや美への執着」なんていうのもありますね。これは多少努力が及ぶ部類かもしれませんが、「老い」に逆らうにも限界がありますから、「理想主義」を貫こうとするのはほどほどにしておきましょう。自分自身はおろか他人の価値観まで否定するようになり、周りの人を傷つけることになりかねません。

また、他人の評価に振り回されたり、自分がしたことに対しての見返りを求め続けたりするのもやめましょう。本当の自分はどう生きていきたいのか、本当はどういう状態が幸せなのかを、この際とことん考えてみましょう。

他人には寛容で、自分自身の軸をしっかりと持ち、自分マターで生きることが「執着」を遠ざけます。

最後に私は今40代後半なのですが、10年前はもっと執着にまみれていたように思います。(今も修行中ですが!)

それには私のエネルギーも関係していると思っていて、年月を経るうちに生物として弱ったから収まってきた、という自覚も否めません。エネルギッシュであればこそ、他人の芝生はどうしようもなく青く見えて、他人や物に執着してきたというわけです。

しかし、一応そんな嵐の時代を終えたからこそわかるのは、「自分を真から幸せにできるのは自分だけ」という、至って普通でまっとうな事実(真理でもあります)でした。

夫でも子どもでも友人でも部下でもない、私自身が私を幸せにしないで誰がするんだ!という矜持と、「この後の人生もなんとかなりそう」という楽観主義に支えられ、今はかなり快適な人生を送ることができています。

手放せない執着は、不安の上に不安をどんどん上塗りするようなものです。自分の人生のハンドルは自分で握り、好きな方向に好きな速さで、ドライブしてゆきましょうね。