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食文化創志科 耕し日記

昭和の日のカボチャ

2021.04.29 14:55

昭和の日、昭和天皇の誕生日だった4/29、平成・令和の現在は「昭和の日」として改めて祝日に。「昭和の日」って? 調べてみると・・・「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」と定められていました。昭和は戦争も経験した激動の時代です。学校にも昭和生まれの先生方もたくさんいますが、全ての先生方は戦後の生まれです。戦前・戦中・戦後間もない時期のことは、高校生のみなさんと同様に想像することしかできませんが、一緒に「昭和」を(で・に)学んでいきましょう!

食文化創志科の地域の食の学びでは、ふるさとの食を通して、その地域の歴史やその時代時代の人々の暮らしぶり、そこに生きた人々の思いに触れることができます。

日本で初めて西洋カボチャの品種が誕生したのは、今から88年前の1934年-昭和9年のこと。いつもお世話になっている美里町小牛田の渡辺採種場から発表されました。現在私たちが食しているカボチャのほとんどは西洋カボチャですが、その元祖となる品種は、実は宮城県で誕生しました!

日本カボチャが主流の昭和初期〜戦後まもない頃までは、容易にまた大量に栽培することができ、保存もきくカボチャは、日本の食卓では食糧難の際のご飯の量増しなどでも使われていたようです。西洋カボチャに比べると甘さもホクホク感も無く、美味しいさや豊かさをイメージさせる食材ではなく「生きるための食糧としていただく」という野菜だったようですね。昭和9年に発表された「芳香青皮栗」という名の栗カボチャ、甘くてホクホクの栗カボチャは、すぐには普及せず、「量より質」を求めるようになった戦後の昭和30年代に一気に普及しました。

八木山動物園のアフリカゾウと一緒に取り組むカボチャのプロジェクトも、今年で7年目を迎えました。現在の動物園のある場所は、昭和初期は野球場でした。現在、ゾウ舎の北側にはベーブルースの銅像が立っています。


昭和9年の河北新報の記事にベーブルースとカボチャの記事が並んでいました。地域のカボチャの学びから地域の歴史をひもとくことができます。そして地域のこういったものやことを活用しながら、現在から未来にむけて「新たな食の価値や地域の豊かさ」を生み出していければと。昭和の日「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」、日頃食べているカボチャからも多くのことを感じましょう。