亡き師はかく語りき⑨ 偉大なる音楽家
私たちの世代のウィーンの弦楽四重奏団と言えば、ライナー・キュッヒルのウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団、ウェルナー・ヒンクのウィーン弦楽四重奏団、アルバン・ベルク四重奏団が筆頭ではないでしょうか?
彼ら以外にもウィーンには弦楽四重奏団はしこたまあり、つくづく弦楽四重奏というジャンルが生まれ発展した地であることを知らされます。
1番人気はアルバン・ベルク四重奏団でしたが、私はあまり好きではなかったのです。
過剰なほどの繊細さ、それゆえに響きは透明で薄い。
私には心落ち着かなかったのです。
それでも九州には外来の弦楽四重奏団の来演は稀でしたから、足を運びました。
ところが福岡市に招聘していた事務所が閉鎖し、アルバン・ベルク弦楽四重奏団を九州で聴く機会はめっきり減りました。
2003年の佐世保公演は10年ぶりくらいだったのでは?
ところが久方ぶりの彼らを聴いて驚き。
響きが全く変わっている!
かつてのような繊細さは影を潜め、響きは厚くなり、ウィーンらしい四重奏団に変容していたのです。
彼らのような世界を代表する音楽家でさえ、スタイルを変えていくのかと思ったのです。
私は嬉しくなりました。
アルバン・ベルク四重奏団のベクトルが私の嗜好に近くなり、当夜は私があの世に持っていく1曲でありますベートーヴェンの第14番 作品131を聴かせてくれたのですから。
終演後にはサイン会。
心奮える私はチェリストのヴァレンティン・エルベンに“My teacher is the student of Richard Krotschak(私のチェロの師はリヒャウト・クローチャックの弟子です)”と伝えたのです。
せつな会場中に"Ah~"というエルベンの叫びが響き渡ったのです。
驚嘆の表情で私を見て、私の手を熱く握り、もうハグされる寸前。
( ̄▽ ̄;)
思いもよらぬリアクションに驚きの私。
サイン会会場はわずかな時間ですが、「一体何が起こったのか?」という空気に包まれ騒然となりました。
私はリヒャウト・クローチャックがどれほど影響力の大きな音楽家であるかをあらためて思い知らされたのです。
事の次第を馬場先生に話したところ、「極東の日本、その西の果てでリヒャウト・クローチャックの名前を耳にするとは思わなかったのだろうね。エルベンは嬉しかったと思うよ。」と。
魔法にかけられたような不思議な時。
そのころ私は長い苦境のトンネルに入ったばかりで、この出来事から大きな勇気をもらったのです。
弦楽四重奏は、いつも私の心のともしびとなってくれます。
2021.1.30初出ですが、2.15の最終回に合わせて掲載日を変更