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亡き師はかく語りき⑧ 弦楽四重奏三昧

2021.02.14 23:00

 「伸治の大好きなバリリ四重奏団はね、ウィーンではウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団と呼ばれるのだよ。」

 レッスン後のいつものダベリの時間、亡き馬場先生はこう切り出したのです。

 ウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団はウィーン楽友協会ホールの小ホール、ブラームス・ザールの専属四重奏団です。

 コンサートマスターと首席奏者からなり、初代のシュナイダーハン四重奏団以来、その定期演奏会は今日も伝統的に開催されています。

 バリリ四重奏団は2代目。

 そしてコンツェルト・ハウスの中ホール、モーツァルト・ザール(小ホールのシューベルト・ザール?)でも専属四重奏団を擁し、定期演奏会を継続しています。

 さらに先生が留学していたころは、ウィーン外の弦楽四重奏団のシリーズもあったそうです(現在は判りませんが)。

 3年間、先生はその3つの定期会員になり、全てを聴いたのでした。

 残念ながら、先生が留学した1960年の前年に、ワルター・バリリは腕の故障で現役を退いていました。

 残されたバリリ四重奏団のメンバーはウィーン・フィルのコンサートマスターであったウィリー・ボシュコフスキーを迎え入れ、3代目のウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団として活動を開始したばかりだったのです。

 バリリ四重奏団を聴くことができなっかたにしても、馬場先生にとって憧れのチェリスト、エマニエル・ブラベッツ(当時首席)の演奏をかなりの頻度で堪能できたのですから、至福だったはずです。

 「だけど途中で(62年)ロベルト・シャイバインに交代しちゃったら、面白くなくなちゃってね。シャイバインは達者だけど、ウィーンらしくないチェリストだからね。」と嘆く先生。

 初代ムジークフェライン弦楽四重奏団であるシュナイダーハン弦楽四重奏団&第1期バリリ四重奏団のチェリスト、リヒャウト・クローチャックのもとで修行。

 学友たちとのアンサンブル。

 3つの弦楽四重奏シリーズを堪能。

 まさに弦楽四重奏三昧の留学時代です。

 先生が亡くなられた時、棺にバリリ四重奏団の写真が供えられていました。

 どなたが入れてくださったのか?

 私はとても嬉しかった。


2021.1.25初出ですが、2.15の最終回に合わせて掲載日を変更