亡き師はかく語りき③ ウィーン留学前夜
東京藝術大学の学生だった馬場先生はウィーン留学への野望を燻らせるが、資金の工面などの問題を抱えていました。
当時、音楽の勉強には現在よりもお金がかかり、海外の渡航費がしこたま高く留学はなおのことでした。
また簡単に渡航できず、制限があったそうです。
(;一_一)
ところが58年、東京藝術大学専修科(現在の大学院修士課程の前身?)を卒業した年、馬場先生に思わぬオファーが舞い込んだのでした。
日本の弦楽四重奏団の草分け、プロムジカ弦楽四重奏団(1953‐?)からの代演の依頼です。
主宰は故・岩淵龍太郎氏。
岩淵氏は1928年生まれで、その2年前までNKK交響楽団コンサートマスターを務めて いました。
28歳も年上の日本の音楽の重鎮の一人による、有無を言わさぬ四重奏団からの依頼。
卒業間もない馬場先生にとって、それはそれは光栄なことです。
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
この依頼内容は録音だったのか?演奏会だったのか?申し訳ないことに記憶が曖昧です。
m(__)m
ところが、これはオーディションでもありました。
何かの事情でチェロの松下修也氏が四重奏団を一時離れることになり、急遽ピンチヒッターを要したのです。
見事合格。
( `―´)ノ
馬場先生にとって、クァルテット漬けの2年間の日々が始まったのです。
365日のほとんどは演奏会とリハだったそうです。
全国津々浦々から招聘され、どこも満席だったという。
弦楽四重奏で生活ができる時代だったのです。
今では考えられません。
( ̄▽ ̄)
娯楽が少なく、多様化していない戦前と戦後、日本でクラシック音楽が最も支持された時代だったと、馬場先生は懐古するとうに言われていました。
そして当然、この四重奏団での経験は先生にとても大きな糧となり、弦楽四重奏へと深く向かわせるようになったのです。
<(`^´)>
プロムジカ弦楽四重奏団のおかげで、先生はウィーン留学の渡航費と学費を得ることができたのです。
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【管理人注】上記記事に対して入れられた永田明氏の下記コメントが、大変興味深かかったので、併せて掲載させていただきます。
私の京都芸大時代は学長梅原猛、器楽関係でもヴァイオリン岩渕龍太郎、チェロ黒沼俊夫、ピアノ園田隆弘、オーケストラ山田一雄各氏、その他も壮々たる陣容で毎週オケ二回、室内楽一回、そしてコンサート週一という恵まれた状況、しかも授業料年額1万8000円だったのですから感謝しかありません。そうした方々の何気ない一言が貴重なアドバイスとして今でも生きています
弦楽四重奏という分野も今より盛んで私も国内の四重奏団はもとより外来の四重奏団のコンサートにも足しげくでかけていました。九州内の活動がほとんどであった為、知名度はそれほどなかったものの福岡モーツァルトアンサンブルの功績は大であったと思います。世の中は今、コロナ禍にありますが私は先々室内楽ブームの再来の予感がしています。
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2020.12.19初出ですが、2.15の最終回に合わせて掲載日を変更