亡き師はかく語りき① リヒャウト・クローチャック
私のチェロの師、故・馬場省一先生は、レッスンの後にいつもとても興味深い話をしてくれました。
それは《音楽夜話》という形容詞がふさわしい内容で、中でも1960-63年にウィーン留学時代の話は、私をどんどん弦楽四重奏の沼へとはまらせていくものだったのです。
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長い連載となりますが、先生の《音楽夜話》を皆様に伝えたく、どうぞお付き合いをお願い申し上げます。
m(__)m
留学先のウィーン国立音楽大学での師は、リヒャウト・クローチャック。
このチェリストの名前を知る人は純粋で熟達した弦楽四重奏オタク、また情熱的なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 贔屓ではないでしょうか?
1904年生まれ、’89年没。
クレンメス・クラウスやフルトベングラー時代のウィーンフィルの首席奏者です。
お手元に1930年代-50年代のウィーンフィルの録音がありましたら、それらの首席チェロ独奏はクローチャックによるものです。
またウィーンフィルの首席奏者で組織されたウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団の初代であるシュナイダーハン弦楽四重奏団、および2代目のバリリ弦楽四重奏団のチェリストとしても録音を残しています。
ウィーン国立音楽大学の教授も務め、元首席のフランツ・バルトロメイをはじめとする60歳代から90歳代の元ウィーンフィルのチェリストのほとんどはクローチャックの弟子です。
ウィーンでは影響力の大きなチェリスト、音楽家でした。
クローチャックについての詳細は、下記Wikiのリンクをご参照くださいませ。
先生は、留学する以前より、弦楽四重奏に憑りつかれ、バリリ四重奏団に憧れていました。
ですので、クローチャックのもとで、そして弦楽四重奏の発祥の地でありますウィーンで学ぶことが宿望だったはずです。
そして、先生が大学4年生の時に決意をする出来事が。
2020.12.12初出ですが、2.15の最終回に合わせて掲載日を変更