ダイレクトな理解
電子書籍「信じられない真実を実験する: ダグラス・ハーディングが開発した実験による自己覚醒の方法」に、私の書いた文章が掲載されました。
この書はダグラスハーディングの「私とは本当に何か?」を知る実験の数々や自己覚醒の詳細、ダグラスハーディングのインタビューやエッセイ、実験を実践している人達のエッセイが掲載されており、私も実験を行う者として、エッセイを書かせていただきました。
この度翻訳者の髙木悠鼓さんの許可を得て、自分の書いたものをこちらに掲載します。
ダグラス・ハーディングの実験を本やネットでの解説でやってみましたが、初めて自分自身を指さす指差し実験をしてみた時は、頭がないと言われても、あるものはあるではないか?という感じで、どうもよくわかりませんでした。
でも、「頭がない方法の実験の会」に参加し、髙木さんのリードで外側の対象を指さしていき、最後に自分の頭があるところを指さしてみたら、「あっ、確かに頭がない!」と衝撃を受けました。
髙木さんは実験をリードする際によく「現在の証拠に基づいて」と言われますが、私たちは自分の体験や聞いたこと、教わったことを元に色々と判断をしています。
でも、それらを取り払い、現在の証拠だけに基づいて、頭があると思っているところを指差し、その指の先に何があるかといえば、何もないのです。
「私はいない」ということが、よく精神世界、スピリチュアルで言われますが、それが概念や思い込みではなく、ダイレクトな理解が指差し実験で生じたのです。
実験のおかげで、長時間修行したり瞑想したりしても、なかなかわからないことが、ほんの一瞬でわかってしまい、マインドはそのことにとまどいますが、近頃ではそれが当たり前になってきました。
指差し実験以外にも、歩いたり自転車に乗ったりする際に、体が動いているのではなく周りが動いている、という実験があります。
何度かその実験を繰り返していると、不動の自分があり、肉体に支配されているものは偽りの自分である、ということが表面上の理解ではなく、真に腑に落ちるようになってきます。
そして、一つの目で全体を見る、という実験(単一の目の実験)もありますが、それまでは外側にある一つ一つの対象と自分を分断して見ていたのが、一つの目で全体を見ることで、分断された対象と自分ではなく、全て一つの全体で見るという感覚になってきました。
これがはっきりしてくると、よく話題になるワンネスということが特殊なことではなく、極々当たり前のことであり、特殊なものでもなんでもない、ただあるがままの真実であることがよくわかります。
私は長年瞑想を続けていますが、ダグラス・ハーディングの実験を行うことで、瞑想がより深まり、瞑想と実験がより良い相乗効果をもたらしています。
ダグラス・ハーディングの実験を知り、実践することで、それまであやふやだった非二元がより明確になってきました。
そして、瞑想では瞑想に入っている時はいいのですが、瞑想を終えると現実世界とのギャップが生じやすいものです。実験だと現実感覚を保ちつつ、非二元の理解も明確になり、あまりギャップが生じず、非二元の理解が消えてしまったり、弱くなってしまったりすることもあまりないようです。
かつての私は典型的な修行者タイプで、自分自身を修行で磨き上げ、高めていき、自分を宇宙大に拡大していく、という思いがありました。そして修行の成果を出すには、艱難辛苦の果てに達成がある、という概念に強く支配されていたのです。
それが実験では、頑張って修行をしてようやく理解できることが、いとも簡単に瞬時に生じてしまい、修行者としてのマインドではあり得ないことが起こり、最初はとまどいました。でも、今ではそれが当たり前になってしまい、なぜかつての自分が修行者マインドでいたのか、今では不思議なくらいです。
今までこの実験を伝えてくださった方々に感謝の念がたえません。