ファミレス
近所のファミレス(とは言っても車を走らせていく)を朝訪れると、大抵は同じ店員さんに出迎えられる。自信のなさが指先や目線、歩き方にありありと顕れているので、勝手にシンパシーを抱いている。人の年齢というものがいつもよく分からないため、ざっくりとだけれど、二十代後半から四十代前半くらいだと思う。背が高くてひょろんとしている。いつも丁寧に繊細に、テーブルやドアを拭いている。
でも行く度に、毎回、他の店員さんに怒られている。注意を受けるというよりは、怒られるとか叱られるといった表現が当て嵌まるような形で。苛立ちや失望を含む声が聞こえる度に、「あーあ」と思う。怒られると「はい、すみません」と今にも消え入りそうな声で謝るから、更に「あーあ」が増大する。まるで自分が怒られたみたいに胸が痛くなって逃げ出したくなるけれど、それと同時に、負の連鎖だなとも思う。ミスの指摘やお店を良くしていくための提案を超えた高圧的な注意には、何の意味もない。あくまでも持論なので、人によってはこういうやり方がベストだと考える人もいるのかもしれないけれど。ミスの指摘に留まらず、その人そのものの尊厳を否定するような言葉をかけたり態度をとったりする人を、このファミレスのみならず、何度も見てきた。どの職場にも一人や二人はいるのかもしれない。それでも、仕事の範疇を超えていると思う。“出来ない人”のレッテルを貼られてしまうと、自信をなくす。すると態度にも出るし、そこをまた理不尽に突かれる。自信がないとミスをする。感情論を排して考えてみても、全くもって非合理の極みではないか。
ただ、人を変えることはなかなか難しいので、自分が変わるしかないんだろう。ミスした事実のみを受け止めて、反省して、次に活かせばそれで良いと思う。ネガティブできつい言葉ばかりを内に溜めず、明るい言葉の方を大切に蓄積していくべき。きっと未来を光で照らしてくれるのはそっちだから。店員さんにも前向きに頑張ってほしいなと思う。
全然関係ない話だけれど、トーストの食べ方にいつも迷う。昔、ちゃんとしたレストランで食事をしたときに、パンはちぎって食べるんだよと教えてもらった。そのとき食べたのは丸いパンだった。齧りついたことをかなり恥じた。でも、トーストをちぎると、ぼろぼろ崩れる。一応検索してみたけれどよく分からなかった。ナイフで切って食べるという可能性も浮上したけれど、それこそぼろぼろになりそうだなと思った。
そういえば、小中学生の頃に給食で出てきた食パンは、ものすごくぼさぼさしていた。食パンが出た日の教室の床はパンくずだらけだった。あそこまでぼさぼさのパンには、給食以外の場では出会ったことがない。