もう終わりにしよう、命を金で買う選択肢。
ここ数日、悪評高い業者クー○クの情報を幾つか目にしていました。
100円で幼齢の子犬を投げ売りしていた件、生体半額、などの謳い文句で祭り上げたイベント、優良ペットショップ部門で五冠を達成した件、その裏で元店員が見た企業の闇についての暴露が公開されたり。
不衛生な環境や、病気、障がいの発覚など、購入者からの悪評が後を立たないにも関わらず、この企業は続々と新規店をオープンし、右肩上がりの年商は飛ぶ鳥を落とす勢いなのだから、何とも歯痒く、居た堪れない思いに駆られます。
ただ、皆様もすでにご存知の通り、こういった企業を厳しく取り締まり、廃業に追い込むことだけでは、問題の本質は解決しないように思えます。
このような業者の存在が業界を腐敗させているのは言うまでもありませんが、何より問題なのは、彼らを最大手企業へと押し上げてしまう消費者の需要であることを、私たちはもっともっと強く意識しなければならないと、
今改めて痛感します。
需要と供給のシステムは余りにもシンプルです。欲しがる者がいるから、売る者がいる。
業者にとって、利益をあげるための商品は、つまり"モノ"です。
商品(モノ)を売るには、
商品(モノ)を生産しなければならない。
商品(モノ)を多売するために、
次第に命への扱いはぞんざいになります。
欲しがる者がいる限り、
利益が業者へ還元され、
命の搾取の分だけ、
業者が肥え太ります。
仮にクー○クやその他の劣悪な企業が消えて無くなることがあるとしても、業界は痛くも痒くもないでしょう。特定の業者を追いつめ、弾き出したとしても、また別の形で悪徳企業は次々と生まれて来るはずです。
特定の企業に加担していた消費者も、一旦は周囲に合わせて同調するかも知れませんが、
喉元過ぎればまた別の形で新たに生まれた企業へ加担の鞍替えをするだけでしょう。
避け切れない負のパワーは、むしろ消費者の方に、より大きく傾いているように感じます。
厳しい法規制に加えて、消費者が毅然とした態度で、生体販売を利用しない、つまり命を金で買わないことが、この負のループを止める不可欠な要素になることは疑いようがありません。
まさに今、動物福祉というテーマが国内で大きなうねりを作っている一方で、未だ生体販売の闇に無知な人口は多く、コロナ禍で新たなペットブームに火がつき、ぺットショップの売上高も例年の2倍以上に跳ね上がったと言われています。更に悪いことに、その数ヶ月後には、飼育放棄ブームが到来するという結果に。
現在、世界各国の中で、動物福祉において救い難い遅れをとっている後進国日本と先進国である欧米諸国とでは、その歩みに100年ほどの違いがあると言われています。
世界規模でこれ程の距離感があるにも関わらず、さらには国内にさえ、この絶望的な温度差があるのです。
知ることで、加担を止められる。
知らないということは、加担し続けること。
愛護に尽力される方の理解と活動力が、今後益々増強し、邁進する反面、その一方で無知無関心な人々が平然と安易かつ軽率な消費を続けているのは、とても愚かで、悲しい現実です。
命の救済と命の搾取も、
壁一枚のこちら側とあちら側。
それを隔てるのは、知るか知らないか、行動を起こすか起こさないかの、私たちの意識の壁です。つまりそれが、小さな命の生死を分けている。
今回の数値規制においても、これほど多くの悲願が、苦しみや痛みや怒りや涙の結集が、実に地道に積み重ねられてきた その対極に、あまりにも簡単に、あまりにも呆気なく命が製造され、販売され、そして容赦なく廃棄されていく現実があります。
例えば、崩壊したブリーダーから瀕死の数匹を救おうとボランティアさんが決死の思いで
糞尿まみれの廃墟に突撃しているのと同じ日に、繁殖場では、それ産め、それ産めと、ボロボロの母体に鞭打って何百匹もの子犬や子猫を産ませている現実があり、また同じ日に保健所には、「もう飽きた」という熱のない一言を添えられて、数百匹もの罪のない子たちが飼い主のその手に抱かれ、ゴミのように持ち込まれています。
環境省による2019〜2020年の統計資料によれば、保健所引き取り件数は年間で8万5千頭以上にのぼります。つまり一日平均230頭強の犬猫が何らかの形で収容されている。これでは、救済の手が幾つあっても足りません。
消費者が人間本位の愛玩具として命を安易に販売業者に求め続ける限り、結果多くの供給を生み出す必要に駆られ、杜撰な繁殖場で命が生産されていく。小さな命は繁殖マシンのように酷使され、良い商品を生み出し続けて力尽き、残虐なやり方で殺され、闇に葬られる。
軽はずみな消費者の手に渡った命は、軽はずみにスタートを切った飼育と同じレベルで、
軽はずみに放棄されていく。
その経緯には、いかなる命の重みも尊厳も存在していません。
そろそろ、国全体が、足並みを揃えなければいけない時が来ています。
一人一人の意識改革で、温度差を、距離を、
縮めなければいけない時が。
生体販売の闇を知り、もう無関心ではいられなくなった私たちが出来ることとして、福祉に則った適正な数値規制の実現のためにアクションをすることのほかに、それと同じラインで、悪徳業者に消費の加担をする人々や企業に、真実を伝えること、があると思います。
私たちの周囲には、闇を知らずに生きている人々、何となく聞いたことがあっても、具体的なシステムや犠牲については、殆ど知らない方々がまだまだ沢山います。
身近なところで、ご自身の家族や友人、隣人に、生体販売の恐ろしさについて、業界が生み出している犠牲について、ご自身の言葉で伝えてみてください。
特に未来の国の倫理観となる子供達へ、この国の真実を包み隠さず話すことは、より良い国作りを求めるための彼らの権利を守る上でとても重要です。
また、悪徳業者の確かな情報をSNSで不特定多数と共有し、消費に加担しないように啓発することもできます。
ペットショップを併設した地域のショッピングモール、ホームセンターへ、生体販売廃止の要望を伝えたり、移動販売に会場提供する企業や告知CMを放映するテレビ局に抗議の電話やメールをすることも一つです。
伝える方法はそれぞれのやり方で良いと思います。身近な方になら、話して伝えても良いし、共感出来る投稿をSNSで共有したり、文書をリーフレットにして配ってみたり、心に残る書籍をプレゼントしても良いですよね。
私は毎週、図書館に行って、動物愛護の児童書を何冊か借り、週末には8歳の子供達に読み聞かせをしています。
初めは驚いて泣いてばかりいた彼らも、今はしっかり向き合っていて、一緒に意見交換が出来る様になりました。
いずれ、書いた物語をまとめて冊子にして、
関係施設等に配布することを
今は小さな目標にしています。
気張らず、自分らしいスタイルで、伝えたいことを実直に届けていく。時には侮辱されたり、否定されたり、心苦しいこともあると思います。しかし、理解を得られる機会も必ずあります。
簡単なことばかりじゃないし、立ち上がってもすぐへし折られることもある。けれども、だからこそ、思いというものは強くなるのだと思います。
一人が一人へ、一人が一企業へ伝えるだけでも、その小さな努力は後にきっと、絶大な力になり得ます。
例えばそれが100人になったら。
1,000人になったら。
10,000人になったら。
知ることが全ての始まりです。
知らせることはとても重要な活動です。
いつの日か、生体販売が終止符を打つ日が来るならば、その重要な要素の一部を担うのは、「他の誰か」ではなく、私でありあなたです。
諦めず、伝えましょう。
恐れず、伝えましょう。
小さなことから一歩ずつ、
ぜひ、一緒に頑張ってみませんか。