軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から (文春新書)ダウンロード
軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から (文春新書)
によって 細谷 雄一
軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から (文春新書)ダウンロード - 軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から (文春新書)は必要な元帳です。 この美しい本は細谷 雄一によって作成されました。 実際、この本には296ページあります。 軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から (文春新書)は、文藝春秋 (2019/8/20)の作成によりリリースされました。 軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から (文春新書)の簡単なステップでオンラインで表示できます。 ただし、ラップトップ用に保管したい場合は、ここで保存できます。
内容紹介 中国の軍事的膨張、北朝鮮の脅威、トランプ大統領が言及した日米同盟への不満……。激動の国際秩序のなか、日本の選択とは? 第一級の論者が徹底討議、政府と軍、国民の三者が築く「国民安全保障国家」のあり方を提言する。 日本の安全保障のアキレス腱は「政治」にあり 軍事組織、政府、国民の三者関係を考える 軍による安全、軍からの安全、そして政治からの安全 歴史の分岐点 近衛内閣はどこで挫折したのか? 戦後体制のなかの自衛隊 ネガティブ・コントロールからポジティブ・コントロールへ 東日本大震災、湾岸戦争から学ぶ サイバー攻撃、宇宙戦争――新しい危機 民主主義の“模範”イギリスが抱える問題 海外での軍事貢献、国民はどう捉えるか インドネシア 民主化と国軍の関係 「ナショナル・セキュリティ」が脅かされるとき はじめに 船橋洋一 「国民安全保障」を構想する 細谷雄一 三つの安全を求めて――近代日本の政党政治と軍部 五百旗頭薫 第一次近衛内閣と日中戦争――国家戦略はなぜ挫折したのか 戸部良一 自衛隊と統治機構 千々和泰明 自衛隊とは何か――戦後の政軍関係について考える 廣中雅之 イギリスにおける政軍関係――王の海軍、議会の陸軍 細谷雄一 インドネシアの政軍関係――東南アジアの民主化と国軍 増原綾子 総括 日本の選択 細谷雄一 おわりに 船橋洋一 内容(「BOOK」データベースより) 中国の軍事的膨張、北朝鮮の脅威、トランプ大統領が言及した日米同盟への不満…。激動の国際秩序のなか、日本の選択とは?6人の論者が徹底討議、政府と軍、国民の三者が築く「国民安全保障国家」のあり方を提言する。 商品の説明をすべて表示する
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軍事にかかわる政官民関係を論じた書である。消費税、英語入試、社会保障に置きかえると、類書は多い。が、軍事にかかわるとなると、多くはない。”人ごと“か、”わがごと“か、の違いなのだろう。本書は、いまや日本は、軍事を”人ごと“から”わがごと“に捉えなおす時代にはいった、と訴える。 まずは、増原綾子・教授がすごい。教授は、インドネシアで、大統領、最高裁判所など政官の14団体にたいする、国民の信頼感調査をおこなった。信頼度トップはなんと国軍であった。92.2%が信頼するとこたえた。ボトムは政党でわずか11.8%。教授はおっしゃる。「この極端なアンバランスは、インドネシアにおける文民統制の確立を妨げる一因になっていると考えられる。国民から信頼されている軍が、国民から信頼されていない政治家に、なぜ従わなければならないのかという矛盾が想起されるからである。」 五百旗頭薫教授は、戦前日本も似たようなものであったとおっしゃる。政党・政治家は、富国強兵で意見一致していたと言われるがそうでもない、賛成・反対で分裂していたわけでもない、ただ、こっちが大事こちらはもっとだと分散していた。平時はこれでもよかった。が、世界恐慌のときもこれを続けた。国民は呆れた。政治は国民の苦況に向き合わない。党利党略に明け暮れている。期待は軍隊に向かった。 つぎは、戸部良一・教授が、1937年7月の盧溝橋事件後、政治家と専門家(軍人)の信頼感の欠如を示す。近衛首相は、事件発生を聞いて呟く「まさか、陸軍の計画的行動ではなかろうな」 。杉山陸相は、閣議で軍の侵攻作戦を問われて怒鳴る、「こんなところでそんなことを言っていいのか」。 末次内相や木戸文相らは、日華和平条件を生ぬるいと言い放つ、「こんな条件で国民が納得するだろうか」。教授はおっしゃる《近衞が大本営連絡会議を休眠状態とし五相会議[首相、外相、蔵相、陸相、海相]を国策決定機関とした後、陸軍(参謀本部)がこれに反対した形跡はない。おそらく参謀本部は、軍事常識を欠いた閣僚から批判を受ける場がなくなって、かえって清々したのだろう。》 千々和泰明・博士は、逆の「清々した」戦後日本を嘆く。シビリアン・コントロールもなにも、そもそも自衛隊ってのは悪ガキ扱いで、黙って静かに隅に座っていろだった。シビリアン・コントロールって聞こえはいいが、要は監視だった。それが1990年の湾岸戦争から、使えるものになれときた。昔とはえらい違いだ。以来三十年間、木偶の坊に魂を吹き込むことに勤しんできた。国家安全保障局ができて頭脳がようやく動くようになった。八十名の局員のうち十名が自衛官だ。少しは良くなっているようだ。 最後に、細谷雄一・教授は、イギリスで軍隊にたいする国民の無関心が問題になっている、と報告する。「海外の遠方の地で危険で困難な任務に軍人が従事していることを、ほとんどの国民は知らず、理解せず、共感していない」「溝を埋めるための、具体的で詳細ないくつかつかの提案」をもとめ実施にうつしている、と。 廣中雅之・将軍は、日本はさらにひどい、周回遅れだ、とお怒りである。領空侵犯されてもできることは信号射撃がせいぜい。そのため二機を発進させ、一機が撃墜されたらもう一機がやりかえすことを現場ではしている。しかも、やられてもやり返しても全ての責任は操縦者で、例外なく刑事訴追がされる。敵前逃亡は諸外国では公民権剥奪など厳しい刑罰をうけるが、自衛隊では「軽微な罰則が科せられるだけ」 。 本書はこう締めくくる。いまや日本は、軍事を”人ごと“から”わがごと“に捉えなおす時代にはいった。 三点を提案する。①政治と軍事との間の信頼と協力 ②軍事問題に関する教育 ③プロフェッショナリズムの擁護。 現状を評価する。①は良くなっている。が、②と③はまだまだだ。おっしゃるように、軍事を”人ごと“から”わがごと“に、捉えなおす時代にはいったようだ。