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二項対立構造 の超克

2018.05.05 05:28

https://bibgraph.hpcr.jp/abst/cinii/c7e25976737a821bc869db300bae65ad 【『明暗』における二項対立構造 : 超克の可能性を読む】 より

このエッセイは、作者の死で未完成の夏目漱石の小説メイアン(1916)を考察し、テキストの根底にあるバイナリ構造を明らかにしようとしています。タイトル自体、英語での光と闇は、そのような二項対立を指しますが、本の二項の構造はそれほど明白ではありません。このエッセイは、メイアンの対照的なプロットのいくつかの例を注意深く取り上げ、著者が意図的にそれらをそこに設定したと結論付けています。しかし、バイナリー構造が設定されると、脆弱性と脆弱性が示され、脱構築の瞬間への扉が開かれます。このテキストに特有の構造的特徴の観点から、著者が津田を修復しようとする方法を追跡します。現代人と言われる拮抗薬は、体の病気(痔核)だけでなく、精神的な堕落にも苦しんでいます。著者が津田の病気に対して与える4つの治療法を分析します。 1つ目は津田の友人である小林によって実装されました。二つ目は津田がちらっと見た乞食から。三つ目は、地位の格差はあるものの、津田が奇妙な共感を覚える見知らぬ人の手紙からのもの。彼は最初、3つすべてが明らかに疎外されており、自分から遠く離れていることに気づきました。しかし、結局、彼は、たとえ彼が彼らの近くにいるとしても、彼が彼らと共通の何かを持っていることを認識する義務があります。津田の治療は、それまで軽蔑していた人にも近いという認識から徐々に実行され、津田の最後の治療として、別の男に残された清子と対峙し、彼女が本当に考えていることと彼女が本当に誰であるかを判断する必要がありますです。これらの質問は、他の女性と結婚しているにもかかわらず清子を忘れることができない津田にとって、依然として完全な謎です。このエッセイは、小説を完成させなかった著者からこの謎を引き継いで、テキストの構造パターンに照らして、津田が結論付けるかもしれない最終的な答えを導き出すために説明しようとします。最終的な治療においても、清子では、無垢と芸術という2つの相反する要素を認め、彼女の性格でそれらが調和する方法を受け入れる必要があります。


Facebook・津留晃一の世界  投稿記事  在る

「働かざるもの食うべからず」という価値観があります。「何もしない人間には価値がない」という考え方です。「その通りだ」と思われる方が多いことでしょう。

「人の役に立たなかったら生きている価値がない」という考え方が現代の道徳律の骨格にあるようです。

しかしこの考え方の裏側の作用として、役に立たない人間を裁いてしまうという結果を生みだしていることも事実です。

「今、自分は充分に人の役には立っていないのではないか」とその裏面に意識が向いたとき、「このままではいけない」という思いがわいてきます。

「自分にはもっと人のために何か出来るのではないか」と思考がまわり始める事でしょう。

そして、そんな風に考えている自分をなんだか嬉しく感じていることに気付いて下さい。

これは思考を使って自己を満たしている想念作業なのです。自我はこれで満たされるわけです。三次元の人間意識の中にある人は、こうして自己を満たすという思考ゲームを続けています。これが地球人類のこれまでのゲームでした。

特定の価値観を握ると、そこに満たされた思いと、満たされなかった思いの二極を体験することが出来ます。満たされなかった思いを満たしてやるというゲームです。

全ての価値観に表と裏という二面性があるのだということを知って下さい。

どんな考え方であれ、それを受け入れると、そこから二極の世界へ入っていくのです。

もちろん二極性の世界が悪いと言っているわけではありません。

二極的思考になれきっている我々は、「これこれはこうです」という話を納得すると、

その瞬間からそうでないものを間違っている、正しくない、異質のものとして認識し始めます。

ニュートラルな世界へ入っていくためには、数学でいう「逆は必ずしも真ならず」

という発想方法を身につけて下さい。

その反対は間違ったものでも、正しいものでもありません。ただそうであるだけです。

「あの人はこんなことを言っていたからおかしい」という考えが浮かんだ瞬間に

「あ、これは二極思考だ」と気付いていて下さい。

あなたの正しさに反するものが、間違っているというわけではないのです。

であるならば「人の役に立っていない」という状態も別に問題ではありません。

「人の価値はその存在にある」と伝えられました。

これまで人類はこの存在の価値をあまり認めようとはしませんでした。

それは存在を当たり前と受け止め続けてきたからです。

あって当たり前と思えるものに価値を見いだせなかったのは、当然といえば当然でしょう。

健康な人が健康であることに喜びを発見できないのと同じです。

病気の人が健康にフォーカスし始めると、健康であること事態に喜びを見い出すようになるように、我々は単に「在ること」事態にフォーカスし始めると、ただ「在ること」に至福を体験できるようになります。

そしてこの「在ること」に意識を向け続けると、その悦びの大きさに、人はだんだん圧倒されてくるようになってきます。

あまりに偉大すぎるその「存在」に強烈なエクスタシーを体験することでしょう。

自分が存在することの至福を体験し始めた人は、これまで自分の抱いていた「無価値感」という概念がいつの間にか消滅してしまっていることに気付くでしょう。

「自分はもっと人の役に立つべきだ」と思っている方は、何か行動を始める前に、役に立ちたいという思いはどこからやって来ているのか、その源に意識を向けてみて下さい。

「この思いはいったいどこからやって来るのか」と内側に問いかけてみて下さい。

この尊い考え方も、ひょっとして、エゴの欲望を満たそうとする、自己満足的活動であったかもしれないと・・・。

自我が「良いこと」と判断して取る行動は、あくまでも純粋動機に基づく行動ではありません。全ての「良い」、「悪い」の価値観を手放して委ねていると、あなたの肉体を通して存在の源から純粋な動機がわき上がってきます。

あなたの価値判断を使うことなくそれはやって来ます。それが「大いなる一つ」の活動欲求です。その「大いなる一つ」の欲求に従って行動していくとき、あなたは世界一役立つ人間そのものになっていることでしょう。

そんな人が「何かしないといけない」と、不安を感じることはありません。

そんな人は、たとえ今何もしていなくても「このままではいけない」というエゴの脅迫にたじろぐこともありません。存在の至福を理解できる人であるからです。

そして自我を超越し、ハイヤーセルフに委ねて生活している人が、忙しさを体験することもありません。

全ては完全なゆとりの中で、穏やかな環境の中で生活が出来るようになってきます。

もしあなたが忙しいと感じているとしたら、それは時間を焦っているということです。

もう一度全てを手放し委ねきりましょう。

あなたは存在している事に価値があります。

あなた一人がもし欠けたとしたら、この宇宙はその瞬間消滅すると伝えられました。

あなたの存在がこの宇宙を支えています。

たとえそれが寝たきりの障害者であったとしてもです。

あなたはそんなかけがえのない一人です。

何かすることがあなたの役割ということではありません。寝たきりの人は寝たきりでいる事がその人の役割です。看病をしたいというその人のために自らその身を横たえ奉仕しているわけです。

地球を救いたいと活動している方はそれが役割です。

そんな方々に奉仕するため、地球は病んだふりをして人に奉仕される事を許しています。

感ずるままに地球救済活動をなさって下さい。

私は地球人類を五次元世界へ誘うのだと、途方もなく楽しいゲームに夢中です。

感じるままにこのゲームを堪能しています。

「自分は果たして役に立っているのだろうか」という疑問を持つこともありません。

そんなことは5%しか機能していない脳で考えても解りっこないと悟っているからです。

人の思考は全て表面意識に属しています。表面意識は自我の領域です。

すなわち自分の思考とは、全て自我の思考であるわけです。

真に人の役に立ちたいのであれば、もう自分の思考を使わないことです。この時あなたは超人となります。

どうぞ自分の存在について意識を向けてみて下さい。積極的に、そのことに時間を割いて下さい。

「何をすべきか」と問いかける前に・・・。存在とは何であるのか、自分とは何であるのか、人間とは何であるのか、生きるとはどういうことなのか、そしてあなたの頭で絶対に考えないで下さい。答えを頭で探さないで下さい。

答えは単なる結果です。

答えが来ると人は満足を覚えますが、そうするともう問いかけることを止めてしまいます。

答えを求めるという活動を通して人は神へと帰っていきます。

答えそのものに意味があるわけではありません。

答えとは三次元的結果にすぎません。

 問いかけて、

  問いかけて、

   問いかけて、

    問いかけて、

     問いかけます。

それこそが積極的覚醒行為であるからです。

問いかけるというあなたの積極的なエネルギー操作によって、あなたは一歩一歩

ハイヤーセルフに接近していきます。

しかし私がこの事をどんなに強調してみたところで、あなたは決してこのことを実行しようとはしないでしょう。

そのことにそれほど必要性を感じないからです。

そこであなたのハイヤーセルフは考えます。

あなたの最も強く望んでいるものがうまくいかないという結果を創ってみます。

これはうまくいきます。

必ず「あれ、どうしたのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう?」と、

自然に意識が内側へ向いてきます。

これこそが純粋な内側への問いかけ作業です。それがあなたの葛藤です。

葛藤があなたの意識を高めることになるゆえんです。

あなたは「存在」です。あなたの為す行為によって産み出される付加価値は、あなたの存在に付け足されたほんの些細な価値にすぎません。

あなたの存在の価値の大きさをたとえていうなら、それは地球大かもしれません。

もしあなたの存在価値が地球の大きさだと仮定してみるならば、あなたが生涯頑張って築き上げた功績という付加価値の大きさは、ちょうどあなたの住んでいる家一軒分にすぎないでしょう。

「何かすべきだ」と思うその前に、あなたがするべき事があります。

それはあなたの内に初めから眠っている自分の存在価値に目覚める事です。

とても簡単なことです。それは初めからあるのですから。

ただ「何かしなければ価値がない」と信じている人に、この内なる存在価値は発見できないでしょう。ないと思っているモノは見えないからです。

それはあります。間違いなくあります。あなたがこれまで永い永い間、外に向けていたあなたの意識を、内側に向けることによってそれは簡単に見えてきます。

初めからあった自分の膨大な存在価値の大きさに、あなたは目が眩んでしまうかもしれません。