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全体と定義を捨てること

2021.05.05 21:57


また、話しを全体に戻してみます。

全身とか全体と呼ばれているものは、一つの点と考えられます。 

??? 

と思われる方もいらっしゃると思いますが、一般的な知識で考えると人の身体は目があり鼻があって、どちらが前で、どちらが後ということが定義されています。定義は後付けされたものであって、最初からある訳ではありません。これに注意してみてください。

だから目のある側が後でも良かった訳ですが、前という定義を誰かがして、それが採用されたから前になったということです。 それを定義した人は、ある意味天才です。


例えば自分自身がアメーバのような存在になったと仮定します。本来、前も後もないアメーバです。自分自身の目(目はないかも)から見た場合、人間を前とか後と特定できるでしょうか? 


アメーバ自身は前でも後ろでもない訳ですから、他を見ても前とか後という見方ができるはずがありません。きっとアメーバという目から人間を見たら単なる一つの塊でしかないはずです。

自分自身とは違う、いびつな塊という存在でしかないのではないかと思います。 この状態になってこそ、人間を一つの塊である全体と考えることができるのだと思います。 


何を言いたいかというと、一般的に全体を調整するという意味は真の全体ではなく、前後左右上下の区別をした中での全体です。どの部分に異常があり、その平均をとったことを全体の治療としているはずです。真の全体を治療しているのではなく、前後左右上下を定義された概念を通して身体の中のアンバランスな部分を治療しているということになります。つまり、このような概念での治療は定義された人間の思考がもたらす全体だということです。 


だから本当の意味での全体ではありません。全体を全体として捉える為には、自分自身が前後左右上下もない存在であり、その目から人間を見た状態でこそ全体と捉えている訳です。つまり見る側に前後左右上下の概念があっては全体とは言わないということです。 概念なんていくらでも変えられると思っている人もいるかもわかりませんが、今まで目のある方が前だとしてきた概念をそう簡単には捨てられない。


これが真実です。


そんな馬鹿なと思っていたことであっても、何度も何度も人に言われたり、テレビで報道され耳に入ってくると、それを捨てるような目を持つことは、かなり難しいということです。

冷静になって考えれば、前も後も単なる定義でしかないのですが、その定義に縛られすぎて自由な発想ができていないということが起こるということです。そこから抜け出そうと思っても、どう抜け出せば良いかわからないということも起こります。

アホになるというのは、今まで訓練されてきた定義を全て捨てるということだと思いますが、真剣に定義を捨てないとアホにはなりきれません。

その為には、術者自身が変態しないとならないということです。