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ダムダム団鈴木さんのダムダム感〜電氣ブランについて〜

2021.05.08 17:46

先日のクロメ企画で対バンした皆様から、

「こんな美人さんだとはおもいませんでした。」

「なんでサングラスをしているのか。」

「かわいい。」

等と口々に言って戴き、老婆心ながら密かに大歓喜した。

その度に、

「ドラムのひとにやらされています。」

と、鈴木さんを示して言い、鈴木さんが

「じゅんじゅんは、そのままだとかわいい感じになっちゃうんで。」

といつもの解説をするループが為された。

ライブ以外はキャッキャしている為、ダムダム団のメンチ切りボーカルと気付かれなかったり驚かれたりする。



ダムダム団入団当初は、全然普通に唄っていた。

その頃はじみちゃんがいなかった為、鈴木さんドラム、ジンさんギター、じゅんじゅんがボーカルの3人で練習したのち酒をカッ喰らい士気を高め合う時期であった。

最初のリハーサルの日は、人生でベスト5に入る緊張具合で、まじで内臓器が口から出そうだった。

元々活動していた電氣ブランは大学の後輩達と組んだバンドであった。

バンドが停止してからは、ほぼソロのみ。

呑まないと人見知りプラス、馴れ合い基盤の無い人間と音楽を演る免疫が無かった。

加えて、ダムダム団は高校時代から好きだったバンドであるので、元ボーカル高橋さんの代わりなんて出来るのかという恐れ多さもあった。

月2くらいのリハと飲酒を経て、緊張感は割とすぐに消え去った。

しかし、ダムダム団において要となる"ダムダムしているか否か"の問題が立ちはだかった。

明確な言語化は難しいが、とにかくダムダムしているか否かが重要であった。

当初の私は、"ダムダム感の決定打が無い"と、誰よりも己が分かっていた。

歌い方を含め迷走していた私を慮り、鈴木さんが、

「じゅんじゅんはソロでもブルータルだからそれをもっと出していければ最高。」

という助言をしてくれた。

私はブルータルの意味がなんなのか分からず、

「ブルータルってなんですか?」

と問うたところ、

「まああれだ、ブルージーで、なんかすごい感じだ。」

というような返答をしてきて逆にモヤっとさせられたと同時に、"あっ、この人語彙力スカスカだ"と気付かされたりもした。

鈴木さんの、

「やっぱり顔面白塗りで、大きく"悪"って書いてもらうしかない。」

という80年代アングラサブカル案が採用されそうになったり、私がそれをやんわりと賛同し兼ねたり、内なる押し問答が繰り広げられていたある日の事。

「じゅんじゅん、ちょっとフード被ってみて。」

と、その日着てきていたパーカーを羽織ってフードを被るよう指示された。

スタジオでは暑いので勿論上着は脱いでいたのだが言われた通りにし、両手をポケットに突っ込んでと言われそうしたと同時くらいに、

「おおおぉ!!これだよ!!最高にクールだよ!!!」

と、鈴木さんが大興奮し出した。

冗談半分で言ってたつもりだったので、ちょっとビビる。

そして、唄っている最中は動くな、と言う。

正直、こんなんでいいんだろうかと思った。

止まって唄う事は出来ると思うけど、果たしてそんなナメ切った体力温存スタイルでダムダム出来るのだろうかという懸念しか無かった。

しかし、フードを被りポケットに手を突っ込んで唄ってみたところ、いつもよりダムダムしている気がする。

驚きである。

そのまま練習した後、確信を覚えた様子で、

「これにサングラスだな!」

と、心の目で見えたヴィジョンを宣う鈴木さん。

そんな感じで、ダムダム団における私のメンチ切りスタイルが爆誕致しました。

顔面白塗りで、大きく"悪"って書かれなくて本当によかった。

先日のクロメ企画から帰還中の鈴木さんin電車のホーム。

毎回ライブやリハの帰りは、大体泥酔して路上やホームに寝転がっている。

最近撮られるのを待っている節があり、この人本当に自分大好きだなと思った。

一昨日の配信ライブの時にふざけ半分でドラムの椅子に立ってみて、これは人が立つための物では無いと本能的に感じた。

それと同時に、この鈴木さんという生き物は、モノを見て為すべく事を絞るのではなく、己のやりたい事をやるにはどうしたらいいかに知恵を絞るタイプの人間だと思った。

ひとつの小さな例として、ライブで用意している『一期一会』の掛け軸はマイクスタンドを借りて掲げている。

掛け軸自体は、書道家の方に依頼して書いて戴いた、ガチのモノである。

私なら、ちゃんと書いて戴いているしやはり最後まできちんとせねばと、掛け軸を掛ける為の何某かを調べて用意すると思う。

しかしこの人の場合、マイクスタンドに引っ掛けるし、時に、

「あそこに丁度いい釘が出ているからそこに掛けよう。」

と言い出したりする。

そして、実際うまくいっちゃっていたりする。

「ドラムからダイブしたらカッコいいじゃん」

という感覚だけで、20年間あそこから飛び続けている人。

MV撮影のオフショット。

ゴールデンアックスと称し、ハイハットを掲げるポーズの歌舞伎バージョン。

鈴木さんは語彙力スカスカだし、泥酔してやらかすし、それはないわという提案を星の数ほどするのだが、肝心要でセンスと運とをめちゃくちゃ発揮する。

"ブルータル"と同じくらい説明のつかない"ダムダム感"という表現だが、この人を見るとなるほどと思ってしまう。

私は懸念を捏ねくり回し疑念を膨らませ、己の迷宮に閉じ篭ってしまいがち人間なので、羨ましかったりもする。

でも人間、適材適所があるので、私は私に出来る事をしたいし、そういう立ち位置を漸く確立出来た気もしている。

ダムダム団のオーガナイザーは、鈴木さん以外にいないし、鈴木さん在る限りダムダム団は存在し続けるのだろう。

こんな事を書くと辞める伏線と思われそうだが、今のところその予定は無いので、安心して戴きたい。


私のTwitterの名前は、"じゅんじゅん◆電氣ブランVo."になっている。

じゅんじゅんという名前の人が山ほどいるので検索しやすいようにと、当時演っていたバンドの名前を入れて、そのままになっている。

今は活動していないが、電氣ブランを解散したつもりはない。

元メンバーと音楽で繋がってはいないんだけど。

2016年11月25日に渋谷サイクロンでダンフィーノ企画に全パートサポートメンバーで演ったのが最後。

解散って、もうその形態というか、その表現方法がおしまいになったら宣言するものかな、となんとなく思っていて。

周囲を波立たせる為だけの解散とか、軽々しい活動停止宣言とか、あんまり興味が無い。

名前も頑張って考えてしっくりきているのに、なんでちょっと先の目処が立たないだけで破棄せないかんのかと思う。

私は辞めていないし止まったつもりもないし、私が私の曲をバンドで指揮を取って演る時に、電氣ブランという名前を用いようと思っている。

元のメンバーをメンバーと思っていなかったわけではない。

以前の形態は、私がバンドの運営なんかに疲れちゃって自然消滅してしまった、と自覚している。

ブッキングとか、リハーサルスタジオ取るとか、ツアースケジュール調整とか、そういうそもそもの部分。

そんな事を言ったら、やりたい事なんだから当たり前じゃんと言われるかもしれないんだけれど、

「あれ?私しかやりたくないのかな?」

って気持ちが一瞬勝ってしまって、その虫喰いに、一瞬にして心を潰されてしまった。

連絡をしなくなった後、メンバーからやりましょうよという具体的な連絡もやんわりあったのだが、そのまま時間だけが経って、何年も。

でもあの時は、きちんとやりたい、ライブで震撼させたいし、震撼したいと思っていた。

スランキーサイドみたいに、ダムダム団みたいにと思って演っていた。

ポシャったって事は、私の表現したい欲ってそんなもんだったのかな、と思わないでも無かった。

私は多分、百万馬力の燃料タイプで、舵を取ったり、整えたりには向いていないんだろう。

だから、乗組員が自分1人だけのソロでやってきた。

1人でやった結果、馬力はバッチリあるけれど、やっぱり運営も営業も苦手だなと思った。

そもそも、自分を布教したいという欲求が無い。

自分がやっている事に対して、目の前にいる誰かからいいねと言って戴けたり、それに乗じてお金を戴ける事があったり、そういう仕組みの中で息が出来たら、とても嬉しい事だとは思うし、それが理想だと思う。

だけど、売りに出す行為が心底、苦手。

自分が守銭奴なのもある。

CDに値段を付けて売るのには、だいぶ慣れてきた。

偶然、2013年11月14日(木)、当時メインで出ていた八王子RIPSのライブDVDを見つけた。

2011年から出ていた箱で、担当だったスタッフの松山さん、大貫さんが辞められる時のライブだった。

「松山さんに、"君たちは素直過ぎるからいろんな意見を真に受け過ぎちゃいけないよ"って言われて、他の箱に出たりして、本当にそうだなあって思って。」

なんて、めっちゃ偉そうなMCをべらべら喋っている、23歳の私。

私は、今のロングヘアからは想像もできないめっちゃ短いボブカットで、声量もリズム感も詰めが甘くて、でもなんかすごく情緒と気持ちに溢れてるライブを演っていた。

自分がこうありたい、っていうのが、すごいある人の唄だと思った。

最近、高音の練習をしていて、

「"こうありたい"が無いと、音程は正しく出せたとしても、ドンピシャな良い歌声は出せないなあ。」

と自覚したところだった。

探して、見つけたと思ったら、元々持っているはずで、ハッとして、でもまた失くしていく。

私はいつも、ぐるぐる繰り返しているなと改めて思う。

奇跡みたいなライブを見て、奇跡みたいな夜を夢見てライブハウスに出て、奇跡みたいな夜が来ない事を憂いて。

奇跡みたいな夜が来るまでには、びっくりするくらい平凡な夜があることを知らなかった。

そもそもある奇跡みたいな夜を、自分が平凡な夜にしてしまっていることにも気付かずに。

だから私はとても凡人で、ちょっと吹かれたら揺らいでしまうような人間で、今ここにいられるのは、ただただ間抜けでも不恰好でも、しぶとく続けていたという、それだけだと思う。

その間に、たくさんの素敵な人と出会った結果なんだなあと思う。

今ある関係とか、今は無いけど懐かしい人とか、ありがたいなあって、そればかり思う。



昔の自分の音源を聴いて感じるのは、誰かの所為にして強気に出てるよねこいつ、ってこと。

誰かや何かの為という献身を掲げて、その誰かや何かの所為にする準備しているよね?、ってこと。

自分は悪くないって心のどこかで思っているよね?、ってこと。

私はいっつも、少し昔の自分を見て浅はかだなあと思う。

小学校一年生の時、幼稚園児のいとこに、

「ガンダムはすごい良かった」

と知りもしないのにヘタクソ過ぎるマウント取った時から、ああ自分てなんて恥ずかしい人格なんだろうって思った。

降霊術なのかな。

たまに、すごく自分じゃない人が喋っていて、後で死ぬほど恥ずかしくなる現象が起こる。

精神病なのかな。

その表現はガチでちょっと笑えないからやめておくか。

ははは。

それくらい、常識がくるくるとして、眩暈がする。

でも山田かまちが書いたように、

「発言には常に最後に"(仮)"が付いているから、改訂も撤回も可能なんだよ。」

と、あわてふためく自分に言い聞かせる。

だから今思った感じた事をきちんとハッキリ書いていいし、言っていいし、宣言していいんだよ、と、言い聞かせて今日も認める。

そんな、てんやわんやばかりの私でありんす。

昔の音源や映像がぽつぽつ出てきたので、なにかの折に公開か特典で付けようかな。

うける。

じゅんじゅんの貴重なイキりMC、乞うご期待。

電氣ブランでのライブも、いつか演ろうなあ。

そのうちに。

今の心持ちとしては、ブラスバンドで即興ジャムセッションやりたい。

即興、やりたいよなあ。



家の缶ビールを全部呑んでしまった。

はて。

なぜ。

配信の時には、ちゃんと買ってこようっと。

歯磨きして寝よう。

おやすみなさい。