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藤の花を詠った松尾芭蕉の俳句

2018.05.06 14:16

https://ameblo.jp/e-okada/entry-10878850024.html 【藤の花を詠った松尾芭蕉の俳句】 より

母屋の庭に咲いた藤の花。この季節、庭でいちばんの隆盛を誇る。

年ごとに成長し、いつの間にか庭のフェンスにのびてからみつき、アルミの支柱を曲げてしまった。つるの生命力の強さに驚かされる。

理由は知らぬが、藤の花のつるは、右巻きなのだとか。日本原産の種ゆえか、古くから歌人に詠まれてきた。

なかでも松尾芭蕉の俳句がいい。 草臥れて宿かる比や藤の花

「草臥(くたび)れて」なんて、話し言葉で綴られているところに親近感をおぼえる。


https://kanko-tenri.jp/tourist-spots/south/fujinotana/ 【俳聖 松尾芭蕉が詠んだ藤】 より

 貞享4年(1687年)10月に江戸を発ち、故郷、伊賀上野で越年した松尾芭蕉は、翌年の3月、門下の杜国(とこく・万菊丸)を同道して、吉野、高野、紀伊、大和、須磨、明石を巡り、4月下旬に京に入りました。

 この半年間の旅を綴ったのが「笈(おい)の小文」です。その中には「大和紀行」と呼ばれる部分があり、この地で詠んだ「草臥(くたび)れて 宿かる比(ころ)や 藤の花」の句が載っています。

 奈良から在原寺、桃尾の滝、石上神社、内山永久寺を見物し、上街道を八木へ向かう途中のことでした。

 地元では、休憩場所に藤の花が咲きこぼれているのを見て、旅の疲れを癒され、この句が詠まれたと伝えられています。

ルート

 上街道コース沿いに所在します。大和神社から上街道を北へ進むと三昧田の集落を抜けた所で西向きに直角に曲がります。約200m程進むと右(北側)へ緩くカーブします。このカーブする地点に藤棚は所在します。

周りの環境

 集落の南端に位置します。この集落は一つの集落のように見えますが、実は三昧田町と福知堂町に細かく別れていて、藤棚のある場所は福知堂町に属しています。

ポイント

 現在、その場所には、句碑や藤棚が設けられ、地元、福知堂町の人々によって大切に維持されています。


http://www.jlds.co.jp/ebiken/blog/2016/04/-3.html 【季語で知る 江戸の季節と俳諧】より抜粋

[4月] 「藤」

江戸時代から藤の名所として名高いのは、広重の「名所江戸百景」にも描かれた亀戸天神。今まさに「藤まつり」が行われ、GWに向けて賑わいますね。また、歌舞伎や日舞の「藤娘」を思い出す方も多いはず。藤娘は、滋賀の大津宿で、旅人に土産として売られていた「大津絵」の人気の画題が元になった演目です。藤はこのように、絵にも、踊りにも、そして万葉集の時代から詩歌にも多く詠まれた人気の花でした。

くたびれて宿借るころや藤の花  松尾芭蕉

 「一日の旅程を歩きつくし、疲れ果てて宿を借りる時間となった。ふと見上げると夕暮れに、藤の花が物憂げに、薄紫の花の房を垂れていることだなあ」という句。藤の花の様子とと芭蕉の物憂さが響きあっています。『笈の小文』という旅の紀行文の中の一句です。


https://yeahscars.com/2020/01/18/huji/ 【晩春の季語 藤】 より

季語と藤の俳句(東京自慢十二ヶ月)マメ科フジ属のつる性落葉木本。つるが右巻きの藤を「フジ(ノダフジ)」、左巻きの藤を「ヤマフジ(ノフジ)」といい、共に日本固有種。4月から5月に花を咲かせる。

花序は垂れ下がり、上から下へと咲いていく。 藤の花が、春風にそよぐ様は「藤浪」という。

藤の成長は早く、絡みついた宿主を枯らしてしまうことがあり、嫌われることもある。藤の葉は、太陽光が強いときには、身を守るために閉じる。

古来親しまれてきた藤は、生活の様々なところに利用されてきた。花を天ぷらにして食すほか、蔓を椅子に利用したり紙にしたりする。また、和弓は藤蔓を巻き付けることによって仕上げる。

聖徳太子の冠位十二階では、最高の官職に藤色をあてた。枕草子では「めでたきもの」として、「色あひ深く花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」を、唐錦・飾り太刀・作り仏のもくゑに次いで挙げている。「藤」は女性の象徴とされ、男を象徴する「松」とともによく描かれている。

古事記の時代から文学に現れ、「秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫」の挿話がある。女神との結婚を賭けた下氷壮夫と霞壮夫の話で、霞壮夫の母が藤蔓で服や道具を仕立ててやると花を咲かせ、女神と結婚できたという話である。

万葉集では「藤浪」として詠み込まれることが多く、大伴四綱は

藤波の花は盛りになりにけり 奈良の都を思ほすや君

と歌っている。

中臣鎌足は、天智天皇から藤原朝臣姓を与えられ、名門藤原氏が生まれる。藤原の名は、鎌足の生地である大和国高市郡藤原にちなむ。藤原姓は全国に広がり、そこから佐藤・伊藤・斎藤など、様々な「藤」を持つ姓が分化した。

「藤」の漢字は、つるが上によじ登る草を表している。「ふじ」には、「伏(ふ)しつつ迸る(ち)」の意味があるとも言われる。

藤の名所には、ノダフジの命名のもととなった大阪市福島区野田や、藤原氏の氏神である春日大社などがある。東京では、亀戸天神社の藤棚が有名。

【藤の俳句】

草臥れて宿借るころや藤の花  松尾芭蕉