偉人『江戸川乱歩』
前回の野口英世の記事を書いている最中図書館の思い出からふと蘇った記憶がある。小学校の頃作文コンクールの選考会のようなものがあった。毎回選考対象者の中には入るのだが選ばれないという苦い経験がある。放課後先生から添削をされ書き直すのだが・・・やはりつよし君とりつこちゃんの壁を越えることはできなかった。
最強のつよしくんは常に江戸川乱歩のコーナーに立っていた記憶がある。当時そんなに面白いのかと読んでみたものの興味をそそられなかったのだが、先週『怪人二十面相』を読んでみると案外読み易いことに驚いた。今の小学生が読むと『名探偵コナン』を思い出すのではないだろうか。
さて今回は同級生つよし君の愛読書の筆者『江戸川乱歩』の人となりを紐解いてみる。
彼は日本に於いて推理小説を定着させた先駆者的作家である。さもすれば相当なバイタリティ溢れる人物なのかと思いきや消極的と言うよりはマイナス思考のかなり強い人物であった。幼い頃の乱歩は父方の祖母の物語好きの影響を受け、母に菊地幽芳の小説を読んでもらい諳んじるくらい小説にのめり込み、小学校では一人図書館で本を読みふける少年であった。
彼が家族の影響も受け活字の世界に没頭していったのにはもうひとつの理由がある。彼は小中学校でいじめに合い登校出来ない日々が多く出席率は半分、非常に暗い学生時代を送っている。人との交流を避け自分の世界に閉じこもり始めたのは小学校の運動音痴に端を発している。彼自身が自分のことをこう卑下している。
「駆け足がぞっとするほど嫌で、器械体操も皆目できない弱虫で、その上内気者のにやけ少年であった。強いやつにいじめられるために生まれてきたような男」
第三者的視線で自分自身を駄目人間であるかのように俯瞰している発言は虚しさや絶望感を感じる。できないことへの劣等感が大きく内面に作用していることは明らかだが、彼が自分自身の存在価値さえも認められないという発言は、第三者から受けたいじめが関係しているのである。
子供というのは純粋で単純に物事を捉える特徴もある一面、男児は特に自分と他者との力関係に拘り優劣をつけたがりそれは時に残酷な一面に繋がる。大人のように場の雰囲気を読んで言葉を選ぶことは無く、ストレートに相手を傷つけてしまうのだ。たとえば小学生の頃単純にスポーツや勉強ができる子は憧れの的になり、方や運動や勉強ができない子は自分より劣ると判断するとからかいやいじめの対象になる。そのからかいやいじめに合い辛い思いをすると後ろ向きな考え方を持つようにもなり、悲観的にもなり自信が持てない人物を形成する。よって乱歩のように自分自身を肯定することができず、否定的になるのも仕方がないことなのだ。
しかし人間というものは辛ければ辛い分だけ、どこかに自分自身の心をコントロールしようとする本能が働くものである。彼は夕暮れ時の町を歩きながら空想の世界に浸ることを好んだ。そしてその空想の時間こそが自分自身の気持ちをコントロールする空間であったのだ。また心の安定をはかった後、小説や新聞記事の活字の世界に日常の辛さとは異なる非現実的な世界への憧れと喜びを見出し魅了されていったにちがいない。
人は誰しも物事の得意不得意はあるが、その日常の中でも得意なことを見つけることで子供は自分自身で活路を見出すのである。また同時に子供にとり重要なのは誰かに自分自身を認めてもらうということなのだ。
先日このような相談事を受けた。お母様自身が祖父母の仕打ちが忘れられないという。詳しく話を聞いてみると祖父母が跡取りである弟を可愛がり何かにつけて差を感じてきたこと、未だにその感情が噴出して弟に辛く当たるというのだ。これはまさしく古き時代の負の遺産である。幼い頃にふつふつと湧き出てきた感情は簡単に消えるものではない。人間は本来乳児から幼児期にかけて愛されるべき行動を取る発達プロセスが組み込まれている。そのプロセスを根底から覆されるのであるからそのような感情を持つのは当然である。乳幼児の保育や教育に携わる専門家は事の重大さを認識しているが、一般的にはまだまだ認知度が低い。子供自身が自分自身を認められる環境を作ることが親としてすべきことでなのである。
子供は誰しも『自分を愛して欲しい、認められたい』という感情を持ち、その感情を満たしてあげてこそ健全な心身の発達が成し遂げられるのである。乱歩もまたそのような感情があったに違いない。しかし彼の生きていた時代は児童心理学の研究もそこまでは追いついておらず、大人も生きることが精一杯の時代である。いじめに合うことで自分自身が駄目な人間だと自分自身に劣等感の矛先が向かうことや鬱になるのも、人嫌いになるのも当然だあったと考える。
今一度乳幼児期は子供の人格形成に重要な時期であることを認識してほしい。お子さんには分け隔てなく個々に愛している、大切な存在なんだとはっきりとした愛情表現をすべきである。私は成人した子供に今もなお言葉を変えて相当薄いオブラートに包んでその旨を伝えている。ダイレクトに表現できるのには賞味期限がある。親離れする頃には子供に敬遠されるのだから今できるときに愛を叫んでおいた方がいい。
乱歩の人生に話を戻すと彼自身が『人に認められたかった』ということが明らかなエピソードがある。
太平洋戦争の最中、彼は町内会の防災訓練長に指名され当惑しながらもその役目を全うした。その活動の様子を見ていた町内会長が彼を役員の一人に任命し、後には副会長までになtたのである。池袋の立教大横の彼の自宅は空襲の際、近所の人達が防火に努め彼の所蔵する多くの書物と自宅を戦火から守ったといわれ、それからは一転して苦手だった人付き合いを楽しむようになったのである。飲めなかった酒を飲めるようになり、近所の人々と連れ立っては酒を飲み歩き、人を遠ざけていた時間を取り戻すように人との関わりを深めていったのである。彼の町内会での働きを町の人々が認めてくれた、頼ってくれた、応えてくれたということが彼の貝の様に閉ざしていた心を開いたのであろう。彼はただただ自分自身の存在を認めて欲しかったそれだけだったことが伺える。人は自分のためだけに生きることはできず、人のために生きることで自分の持てる力の何倍もの効果を生み出すことに充足感を得たのであろう。
子供を育てるということは『あなたはあなたままでいい』『あなたの存在自体に大きな価値があり、幸せがある』と肯定感を育てることと、子供の得て不得手全てをひっくるめてどうその子らしく生きることに繋げるかを親や学校の先生などの周りの大人が導くことである。
江戸川乱歩に学ぶこと・・・親は子供の持って生まれた個性を尊重しつつ、改善すべき点を明確にし生き辛さを軽減する道を模索してあげるべきである。苦手なことを回避することや時期が来るまで待ってあげること、軽減する方向へ導くこと、苦手を克服すること、好きになるように共に楽しむことなどその時々で選択すればいいのである。乱歩の生きてきた時代は親にも余裕がなく、児童心理学的発達の研究も進んでいない時代であったからこそ、彼は65年の人生の50年余りを辛い経験として過ごした。がしかしその人生があったからこそ彼の作品が生まれたともいえる。何が良くて何が悪いとは言い難いが、我が子にはやはり心の幸せを持ち合わせて生きて欲しいと願うのは自然なことではないだろうか。
人間の人生に幸不幸の帳尻合わせという現象が起こるのであれば、その塩梅は幸せの時間を多く味わえるような人生であってほしいものだ。