③ドラマ『逃げ恥』や主題歌“恋”は「結婚ソング」へのアンチテーゼ?
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』、そろそろ佳境になってまいりました。みくりと平匡の行く末に本当にヤキモキしますね。ドキドキしますね。しかし、『逃げ恥』の面白さはそれだけではない、と興奮したところから始まった、この『逃げ恥』対談。当初のパート1とパート2で我々が話したことの主眼は、こういうことでした。まだ未読の方で、お時間がある方はこちらのリンクから飛んで下さい。
ただ乱暴に要約すると、まずはドラマ『逃げ恥』は雇用と結婚という現代的な社会問題に切り込んでいるシリアスなドラマだ、だが、それを押しつけがましくなく、ラヴ・コメディという形式に盛り込んでいるところがさらに見事、ということです。
そして、このドラマの主要テーマたる雇用と結婚のふたつというのは、どちらも社会を円満に円滑に転がしていくための契約システムだということ。でも、そのシステムそのものが機能不全を起こしているんじゃないか? だからこそ、『逃げ恥』は雇用と結婚というシステムを新たに再定義しようとしているのではないか。そういう話でした。
そこから話題は、「結婚ソング天国」たる日本の文化的磁場に話が及び出したところです。例えば、西野カナの“Dear Bride”。例えば、嵐の“愛を叫べ”。それに比べ、『逃げ恥』主題歌“恋”はまったく別の地平を見ているのではないか? そこから会話は続きます。
あ、もし「わざわざ別のものを比べて、その優劣を競う必要なんてあんの?」と思った方がいらしたら一言だけ。
優劣をつけることが目的ではありません。批評というのは、比べて評することです。そもそも比べなくてもいいものを比べることで、そこに別な視点、パースペクティヴが浮き上がる。まるで視界が開けるような体験が巻き起こる瞬間を目指すものなんです。願わくは、この対談がそうあることを願って。では、お読み下さい。
「恋」
星野源
(Victor)
田中「いや、源ちゃんの“恋”の話よりも、まずは西野カナと嵐の曲の話をさせてよ」
小林「焦らしますね」
田中「やっぱ音楽評論家としては、いくつかの曲を比較対照させながら、全体を横断的に見ていきたいんですよ」
小林「御託はいいから、さっさと話して下さい」
田中「だって、西野カナにしても、嵐にしても、ちょっとあてられない? この詩の世界」
小林「どちらも結婚っていう形式に対する一ミリの疑問もないのはさすがにちょっとあてられました」
田中「でも、結婚式の二次会用に新婦の友人が歌うには最適だったりもするわけでしょ?」
小林「まあね。21世紀の“てんとう虫のサンバ”っていうか」
田中「だから、時代や社会について歌うというポップ・ソングの役割とは別なものではあるけど、具体的なオケージョンを意識した商品としては優れてるわけですよ」
小林「ポップ・ソングというのは商品である以前にアートなんだ、って普段から言ってるくせに」
田中「そんな考え方、いまどき流行らないんだって」
小林「なんすか、それ。さっきも『表現には時代を表象するという意味において責任がある』とか言っておきながら」
田中「いやいや、その当たり前の話が通らないのがJ-POPの世界なんですよ。ホント世間知らずだな」
小林「でも、そりゃ、ビヨンセの『レモネード』みたいな作品は日本からは出てこないわな、って納得しましたよ」
Beyoncé / Hold Up
田中「ホント日本の文化に免疫ないね、君」
小林「普段からメインストリームのJ-POPとかまったく聴かないもんだから、ホントびっくりしました」
田中「俺は修業の一環として、『ミュージックステーション』毎週録画してるから、免疫あるよ」
小林「いつも『マジすごいよ、J-POP!』とか言ってますもんね」
田中「ただ、西野カナの“Dear Bride”にしても、嵐の“愛を叫べ”にしても、詩作的にフックとなる設定がきちんとあって。そこはさすがにしっかりしてんだよね」
小林「というと?」
田中「ほら、方や親友の女友達が結婚する、方や幼馴染のマドンナ的な存在が結婚する、それを参列者側の友人からの視点で描いてるわけでしょ。そういう意味では、詩作としては現代的だと思う」
小林「以前はそうじゃなかった?」
田中「90年代からゼロ年代にかけてって、僕と君との世界しかないセカイ系のポップ・ソングだらけだったじゃん」
小林「まったく存じ上げません」
田中「でも、西野カナの“Dear Bride”にしても、嵐の“愛を叫べ”にしても、登場人物が3人以上いるわけじゃん」
小林「3人目っていうのは、花嫁の結婚相手ってことですよね」
田中「そうそう。曲のナレーターとその友人、そして友人の配偶者が登場人物として設定されてる。で、花嫁の結婚相手というのは、ナレーターからは少し距離があって、少し手の届かない場所にいるわけじゃん」
小林「つまり、セカイではなく社会を描いてる、と」
田中「その通り。社会というのは2ではなく、3という数字から始まるんですよ。アダムとイブだけじゃなくて、蛇の存在があって初めてようやく社会が生まれるっていう」
小林「社会の基数というのは3であって、二人の登場人物だけでは社会を描くことは出来ないんだ、と」
田中「そういう意味じゃ、きちんと現代的なのよ」
小林「なるほど。同じ結婚ソングにしても、90年代にメガ・ヒットした安室奈美恵の“CAN YOU CELEBRATE?”とかだと、確かに曲のナレーターは花嫁だったわけだし。そこに工夫と進化がある、と」
田中「もちろん安室ちゃんの“CAN YOU CELEBRATE?”にしたって、リリックの中に背景としての社会の影はあるにはあるんだけどね」
小林「でも、舞台の書き割りの町並みって感じですよね。赤塚不二夫の漫画のバックみたいな」
安室奈美恵 / CAN YOU CELEBRATE? feat. 葉加瀬太郎
田中「で、勿論、2人だけの登場人物で描かれたラヴ・ソングがダメなんだ、って話じゃないのよ」
小林「そういう話になると、いつもタナソウさんが日本の作家の中じゃ一番偉大だって言ってるaikoの曲の大半はダメだってことになっちゃいますからね」
田中「でも、aikoのラヴ・ソングというのは、これまたまったく別物だからなー」
小林「というと?」
田中「aikoの場合はむしろ、社会という制約からは時には食み出してしまう恋愛という狂気をモチーフにしてるわけでしょ?」
小林「なんですか? なんかすごそうっていうイメージしかないけど」
田中「なんかすごそう、ってどういう意味だよ?!」
小林「でも、aiko本人も恋愛は狂気だって風に認識してるんですかね?」
田中「いや、わかってると思う。恋愛感情というのは常に他人を傷つけ、時にはその周りの人間をも傷つけ、何よりも自分自身をズタボロに切り刻む。その凶暴さたるや、時として社会的な暴力をも凌ぐわけですよ」
小林「そういう恋愛感情を取り巻くメカニズムだけをaikoはずっと描いてるんだ、と」
田中「ただ恋愛感情というのは往々にして狂気なんだけど、うまく制御してやりさえすれば、これほど人を強くするものはないわけじゃん。そして、強さだけが人を優しくする」
小林「きっとそうなんでしょうね」
田中「ホント恋愛に興味ないんだな!」
小林「普段から『すべての恋愛感情は社会的な錯覚にすぎない』とか言ってる人に言われたくないです」
田中「でさ、aikoに“キラキラ”って曲があるんだけど、これって、誰かを心の底から愛することだけが人を強くするってことについての曲なんですよ」
aiko / キラキラ
小林「なるほど。実際に『あなたのこと愛するだけで/あたしは変わった』って歌ってますね」
田中「この曲のナレーターはそのことで強さを身にまとう。俺なんかはホントその強さにこそ感動するんだけど」
小林「聴く度に号泣する、とか言ってましたもんね(笑)」
田中「まあね」
小林「でも、この曲って、なんか『仕事に出掛けたオトコを自宅でひとりで殊勝に待つオンナ』って解釈も出来ますよね。ちょっと反動的っていうか」
田中「頭の悪いフェミニストみたいなこと言うな、君」
小林「言ったら、あみんの“待つわ”みたいな」
田中「まったく違う。“待つわ”のナレーターはずっと変わらないままなんですよ。むしろ愛情が執着に変わることで、自分自身の可能性をひたすら自分自身でそぎ取っていくわけじゃん」
あみん / 待つわ
小林「なるほど。でも、“キラキラ”のナレーターの場合、ひとりきりの時間にひたすら経験値を上げて、成長してるんだ、と」
田中「孤独であることの痛みと不安を引き受けて、ただただ強くなっていくんですよ。ある意味、この曲はマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの“エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ”に匹敵する世紀の名曲なんだから」
Marvin Gaye & Tammi Terrell / Ain't No Mountain High Enough
小林「ただ、ストーカー犯罪とかまさにそうですけど、さっきタナソウさんが言った通り、愛情というのはそれが執着に変わった瞬間に暴力になりうるものだし、何よりも当事者以外の人々に対する無関心を助長する装置でもあるわけじゃないですか」
田中「愛は盲目っていう?」
小林「そうそう」
田中「だからこそ、狂気だし、危険だっていうね」
小林「つまり、そもそも恋愛感情というのは社会とは対極にあるものだし、ずっと社会から排除されてきたのが恋愛なんだ、ってことですよね」
田中「だって、結婚っていうシステム自体も、恋愛という狂気を社会的に手なずけるために発明されたわけでしょ?」
小林「確かに」
田中「でも、aikoの場合、結婚のことは歌わないのよ」
小林「へー、なるほど。つまり、人と人が結ばれることと結婚という制度は必ずしもイコールではない、そう考えてるはずだ、と」
田中「だから、aikoの大半の曲のナレーターというのは、恋愛という狂気を何とか自分自身で制御することで、社会という場所のはじっこに慎ましやかに咲かせることだけをひたすら探ってる」
小林「ある意味、反社会的な存在なわけですね」
田中「少なくとも、世間が抱いてるだろう安全なイメージとは裏腹に、aikoの曲というのは聴き手のアウトサイダー的な部分に訴えかけてるところが大きいと思うな」
小林「しかし、aikoとなると、話が長いな!」
田中「aikoの名前を出したのは君だからさ」
小林「じゃあ、aikoとは対極にある結婚ソングに話を戻しますか」
田中「さすがに脱線しすぎたから、飛ばして行こうぜ」