④『逃げ恥』主題歌“恋”は臆病なJ-POP? それとも愛の両義性をとらえた大名曲?
小林「他に結婚ソングとかってありましたっけ?」
田中「木村カエラの“Butterfly”とか?」
小林「確かあの曲も、結婚する女友達に向けた曲ですよね」
木村カエラ / Butterfly
田中「そうそう。だから、西野カナの曲は木村カエラの“Butterfly”の系譜なんだよね」
小林「要は、二番煎じっていうか」
田中「西野カナのことは悪く言わないで」
小林「さっき『すごくない?』とか言ってたくせに!」
田中「でも、“Darling”以降の西野カナが書くリリックというのは毎回トピックが明確だし、具体的だし、きちんと練られてるじゃん」
小林「この前も、西野カナの歌詞の話、熱弁してましたよね」
シャムキャッツ夏目知幸と考えた。西野カナ、小沢健二、サニーデイ・サービス、嵐のラヴ・ソングと、“マイガール”はどう違う?
小林「でも、ちょっと視点が広告代理店的じゃないですか?」
田中「いやいや、今の海外のポップとか、ヒップホップなんて、そんなのばっかじゃん。どんなトピックを選択して、それをどんなメタファーとかアナロジーを使って書くか?ーーひたすらそれの競争だったりするじゃん」
小林「確かに。最近だと、デザイナーの“パンダ”とか、リル・ヨッティをフィーチャーしたD.R.A.Mの“ブロッコリー”とか。どっちもずっと全米トップ10入りしてましたしね」
Desiigner / Panda
D.R.A.M. / Broccoli feat. Lil Yachty
田中「J-POPとは違って、常にサウンドも新しく更新されてくんだけど、それ以上にリリックの目新しさ、面白さも更新され続けてる。だからこそ、馬鹿ウケしてるわけでさ」
小林「で、そういうことを日本できちんとやってるのは西野カナくらいだ、と」
田中「でっす!」
小林「まあ、“トリセツ”とかにしてもアイデアありますもんね。あ、でも、言ったら、“トリセツ”も結婚ソングだ?」
田中「そうそう。でも、きちんと具体性があるんですよ。J-ROCKとかにありがちな『とにかく苦しいんだけど、頑張ってます』みたいな抽象的で観念的な歌詞じゃなくて」
西野カナ / トリセツ
小林「でも、木村カエラの場合も嵐と同じで『ゼクシィ』のCMソングだったわけじゃないですか? でも、西野カナの場合、特にそういうタイアップじゃないですよね。これ、広告代理店的な発想というよりは、やっぱり本気ってことなんじゃないですか?」
田中「本気?」
小林「だって、西野カナの曲のナレーターって、自分はまだ結婚していないわけじゃないですか。友達が先に結婚しちゃって。なんか、その妬みが感じられて、どっか怖くないですか?」
田中「ホント心がすさんでるな」
小林「いや、そこが『結婚したい、でも出来ない!』と思ってる人たちの共感を呼んでるのかな、と」
田中「なわけねーだろーがよ」
小林「J-POPに免疫ないんですよー」
田中「それよりむしろ、当初は西野カナってギャル受けする、満たされない孤独な恋愛についての曲を書いてたわけでしょ」
小林「“会いたくて 会いたくて”とかですよね。携帯世代の孤独な心を射貫いた、とかっていう」
西野カナ / 会いたくて 会いたくて
田中「知ってるじゃん、J-POPも!」
小林「さすがにね」
田中「でも、“Darling”以降、サウンドだけじゃなく、髪形や服装のスタイリングも変えていったわけじゃない?」
小林「ギャルじゃなくなりましたよね。タナソウさんがいつも言ってる『西野カナが孫になった』っていう変化。音楽的にもヴィジュアル的にも、元ネタとしてのテイラー・スウィフトからのヒントがあったんだろうけど」
田中「そうそう。でも、それ以前の西野カナは、基本的に同世代の女子に向けて語りかけてた」
小林「まあ、そうでしょうな」
田中「ところが、“Darling”以降、安心できる娘、自慢できる孫っていうポジショニングに間違いなく歩を進めてきたわけですよ」
西野カナ / ダーリン
小林「まあ、“トリセツ”とかだと、ギャル時代の奔放で孤独な恋愛というよりは、確実に結婚を視野に入れた女の子の歌だというのはわかります」
田中「で、夏前のシングル“Have a nice day”だと、歌のナレーターは就職して、働き出した」
小林「まあ、それ以前の曲だと、せいぜいバイトしてるか、何ならパラサイト感ありましたからね」
田中「そうそう、『もらとりあむタマ子』的な」
映画『もらとりあむタマ子』予告編
小林「まあ、時代の変化もありますよね。『逃げ恥』もそうですけど、さすがにモラトリアムとか言ってる余裕はない時代になってきたっていう。で、元ギャルも就職するに至る、と」
田中「ご両親もジジババも一安心ですよ」
小林「まあね」
西野カナ / Have a nice day
田中「で、メッセージ的には自分応援歌なわけじゃん、この曲」
小林「自分応援歌とか苦手なんですよね」
田中「で、“Dear Bride”に至っては、雇用という安定と安心をもたらしてくれる社会的な契約に続いて、新たなる契約ーー結婚も視野に入れたってことでしょ?」
小林「ご両親もジジババも一安心だ」
田中「着々と階段を上ってるんですよ、大人の階段を」
小林「で、同世代だけじゃなく、上の世代の支持も得るようになったっていうのが、タナソウさんの説ですよね?」
田中「だって、実際、俺、“ダーリン”以降の西野カナのファンじゃん」
小林「いやいや、そんな定性的な調査の結果いらないです。定量的なエヴィデンスを出してほしいっていうか」
田中「だって、もし仮に付き合うなら、“Darling”以前の西野カナだけど、娘はむしろ最近の西野カナみたいであってくれた方が安心じゃん」
小林「まあね」
田中「俺は父親としては放任主義の極みだから、娘には“Darling”以前の西野カナみたいにたくさん間違って、たくさん傷ついて、経験して学んで欲しいとは思うけど」
小林「火宅の人の言い訳は別にいいです。偉そうに」
田中「すいません」
小林「娘さんもよく無事に成人しましたよね。こんな父親なのに」
田中「すいません」
小林「まあ、要するに、話のポイントは、西野カナにしろ、嵐にしろ、いまだ結婚っていう形式そのものが西洋社会よりも日本では重視されてることの反映として位置付けることも可能だっていう視点ですよね。わからなくはないです」
田中「でも、星野源ちゃんの“恋”は違うじゃん」
小林「確かに」
「恋」
星野源
(Victor)
田中「ここまでじっくり話してきたら、俺が何を言わんとしてるかはわかるでしょ?」
小林「要は、この曲の言わんとするところって、『夫婦を超えていけ』っていうパンチ・ラインに集約されてるって話ですよね」
田中「なるほど。それで?」
小林「人と人との繋がりとか、結びつき、要するにコミットメントというのは、必ずしも結婚という契約の形は不可欠なものではない、もっと多種多様な形の可能性があるんだ、っていうメッセージでしょ」
田中「もちろん。実際、『夫婦を超えていけ』っていうライン以外にも、いろんなところでそれが仄めかされてる」
小林「コーラス部分の『それは側にいること』とか?」
田中「それ以外にも、『みにくい』と『白鳥』という言葉を対比させた後に、『当たり前を変えながら』っていうラインが続くでしょ?」
小林「そうか、『みにくいアヒルの子』の引用なんですね。要するに、親子関係についても血縁は不可欠じゃないっていう」
田中「あと、この“恋”という曲のリリックが優れているのは、恋愛や家族という現場におけるネガティヴな側面というのをきちんと描こうとしてるところだよね」
小林「具体的に言うと?」
田中「コーラスに入る前のブリッジ部分だね」
小林「うん? 例えば、ひとつめのブリッジの最後の『この世にいる誰も/二人から』っていうのは、人というのはすべて一組の男と女のつがいから産み落とされるってことですよね。これがネガティヴ?」
田中「LGBTのつがいの間には子供は産まれないよ」
小林「いやいやいや、そこまで意識してないでしょ?」
田中「じゃなくとも、少なくとも自分自身がひとりだって意識してる人にとっては生命の誕生に携わることが出来ないと感じることって、やっぱ悲しみでしょ」
小林「それはそうですけど」
田中「それが証拠にさ、二つ目のブリッジは『恋せずにはいられないな』で始まるわけじゃん」
小林「つまり、人が他の誰かを求めることというのは、かけがいのない喜びでもあると同時に、業のようなものだってことですか?」
田中「でしょう。極論すれば、それって、染色体の中に組み込まれた病でもあるわけだし、呪いでもあるわけでしょ」
小林「つまり、二つ目のブリッジの最後の『愛が生まれるのは/一人から』というラインは、人は必ず孤独に苛まれる生き物だっていうネガティヴな側面を描いているってことですか?」
田中「もちろん、それって福音でもあるんだけどね。でも、世の中のすべての事象には必ず正の側面と負の側面があるんですよ」
小林「イン&ヤンだ、と」
田中「二つ目のブリッジに『似た顔も虚構にも』っていうラインがあるのも、そういうことでしょ」
小林「要するに、誰かを好きになったと言っても、愛とは名ばかりの自己愛の表出な場合もあれば、メディアの向こうの手の届かないセレブリティやファクションの登場人物に夢中になる場合もあるんだ、ってことですよね」
田中「たった数文字の言葉だけど、この部分は恋愛の多様性を祝福してるっていう解釈も可能だし、孤独を逃れるためにはどんな相手にも恋してしまうっていう人間という生き物の業の深さを指摘してるという解釈も可能なわけですよ。両義的なわけ」
小林「ホントかなー」
田中「優れたテキストの必要十分条件のひとつは、いくつもの解釈の可能性に開かれてるってことだから」
小林「まあね」
田中「で、この曲のブリッジというのは、曲調的にもコーラスで和声的にも一気に弾けるためにドミナント終わりでしょ? そこに敢えてネガティヴにもポジティヴにも解釈出来る宙ぶらりんな言葉を持って来てるんですよ」
小林「なるほど。ブリッジ部分で和声的にも意味的にも緊張感を高めておいて、コーラスになるなり一気にポジティヴな視界が開けることになる、と」
田中「だから、音楽と詩がきちんと呼応し合っているんですよ。本当に練り込まれてる」
小林「まあ、それを直感で作る人もいますけどね」
田中「でも、そんな風にいくつもの伏線が貼ってあるからこそ、曲の最後の3つのシンプルなラインがいろんなニュアンスで受け取ることが出来る仕組みになってるんだよ」
小林「最後って、『夫婦を超えていけ』、『二人を超えていけ』、『一人を超えていけ』っていうところですよね」
田中「もうここはしつこく話さなくてもいいでしょ」
小林「読者にもっといろんな想像力を働かせて欲しい、と」
田中「曲っていうのは、作者じゃなくて、聴き手のものだからね」
小林「でも、ちょっと複雑すぎないですか?」
田中「そうは思わないけど、まあ、少し抽象的ではあるよね」
小林「そこはやっぱ良くも悪くもJ-POPっぽいなと」
田中「そうだね。あらゆる聴き手に開かれた作りなんだけど、あまりにそれを意識しすぎてるきらいはある」
小林「ちょっとディフェンシヴですよね。誤解されることを周到に避けようとしてるっていうか」
田中「そこは仕方ないよ。日本の風土がそうさせるんじゃないかな。だって、もし誰か日本人の作家がリル・ヨッティの“1ナイト”みたいな曲書いたら、フルボッコでしょ?」
小林「要するに、あの曲、『僕は君と結婚するつもりはないけど、今夜一晩だけセックスしようよ』って言ってるだけの曲ですよね」
田中「絶対に許されないわな、日本じゃ」
小林「でも、アメリカじゃ、大ヒットじゃないですか」
田中「まだアメリカの方が表現の自由が担保されてるってことなんじゃないの?」
Lil Yachty / 1 Night
小林「言ってしまえば、世間一般の常識とは別のオプションを提示してるっていう意味においては、星野源の“恋”と同じわけですよね。たったひとつのオプションだけど」
田中「しかも、敢えてインモラルなオプションを提示したっていう意味では挑戦的だとも言える。いまだキリスト教的な価値観が強固な国でね」
小林「もちろん、どちらがいい悪いじゃないんですけど、そう考えると、日本でポップ・ソングを書くのは大変なんだなって思っちゃいますよね」
田中「逆に、西野カナみたいな曲を書いても、誰も目くじら立てたりしないんだけどね」
小林「僕ら二人でやっちゃいましたけどね」
田中「でも、俺たちにしたって、西野カナの曲を糾弾してるわけじゃないじゃん」
小林「そこは人それぞれですからねー。普通に恋に落ちて、普通に幸せな結婚をする人だっているにはいるんだから」
田中「でもさ、実際、そこはどう思う? 来年には結婚する人つかまえて訊くのはなんだけど、結婚とかしたいの? したい? 本当に?」
小林「したくないですね」
田中「でしょ」
小林「なんて言ったら、とんでもないことになるじゃないですか! やめてくださいよ!」
田中「でもさ、『逃げ恥』見てて、思うんだけど、みくりって本当に結婚願望なくない?」
小林「確かに」
田中「みくりの結婚願望の希薄さというのは、このドラマを観ていく上で、何よりもすごく大事なポイントだと思うの」
小林「というと?」