ヘムライブラとライフスタイル
血友病とどう向き合って生きてきたかという基本的な話をします。
血友病と言えど、ライフタスクを無視した生き方を選ぶわけにはいかない。
友人を作る・恋人を作る、社会に貢献できる人間になる
およそこれぐらいはクリアできなければ、例え病気が完治するような時代がきたとしても、人として幸せな生き方は望めないだろうと思う。
しかしながら、私の親は
「とにかく生きていてくれればそれでいい」
これが、私に望む唯一のことであったと言ってもいい。
この親の願いを叶えるためには、私は、とにかく自分の行動を抑制し、出血のリスクを極力回避する人生を選ばなければならなかった。
これが達成できないことは、「親の落胆」と「自身の激痛」という酷い結果を招くことになっていた。
結論から言えば、私は落ち着きのない、失敗ばかりする子どもで、親の願いとは裏腹に、怪我や事故を繰り返すことしかできない人間であった。
「普通の子どもと同じように振る舞いたかった」
このことだけははっきり自覚している。
足が痛くても、びっこを引いて歩きたくなかった。
親におんぶされて学校に行ったりしたくなかった。
バスに乗るときに、親が私の座る場所を、他人に譲ってくれと頼んでいる姿を見るのが嫌だった。
特別扱いはすべて嫌だった。
こういったことは、あらゆる場面で起こっていた。
結果的には、無理な運動をしたり、痛くても我慢して動いたり、危ないことも他の子どもと同じようにやって怪我をしたりということを繰り返す結果になったのだ。
「恥ずかしい」こと
「格好悪い」こと
これが、本当はどういうことなのかを知るまで、ずっと無理を続けていたと思う。
何を得て、何を失ったのか。
私は、他人から普通の人と同じことができる人間だと思われようと努力してきたので、愛される努力、他人から信頼される人間になろうという努力をずっとしてきた。
結果的には、就職できて結婚もし、子どもが生まれ、今では孫も生まれている。
右の股関節がチタンになり、両肘関節が肘部管症候群になり手術をし、右手の薬指と小指には今でもしびれが残っている。
買い物等は、車椅子がないとできない。
高校の時、水泳大会のクラス代表として泳ぐことができた。
調理師の資格を取り、魚屋で魚を処理する仕事もできた。
ホテルの調理場でも働けた。
渓流を歩き、フライフィッシングもやった。
パラグライダーで、100回以上もフライトすることができた。
どんな生き方を選ぶかで、得られるものと失うものは必ずある。
大切なことは、自分で決めてきたことだということ。
「後悔」も私のものなのだ。
ヘムライブラをⅧ因子製剤の代わりに使おうとすれば、激しい運動や、自分の行動制限をしなくてはならない。
でも、私の人生で、「血友病だからやりたいことを我慢する」という選択肢はないのだ。
だから、遺伝子治療で血友病そのものが治る時代が来るまで、私はやりたいことをやるためにⅧ因子製剤を使い、その補助として、ヘムライブラを使うという選択をしようと思う。
注射なんて、痛いし大嫌いだけど、自分のライフスタイルは絶対に曲げたくない。
自分の体が血友病という病気なのだから、それをどう使って幸せに生きるのかってだけのこと。
いい薬を開発してもらって、医療費の支援もしてもらって、これで思うように生きられないなんて、人として情けないものね、
社会に対しても親に対しても、返せるものは、今の自分が幸せだと言えることだけだけど、それでいいんじゃないかなと、