"ヴィーガン"に思うこと
私の友人にも何人かヴィーガンの子がいるの。
お肉を食べず(ヴィーガンにも色々あるみたいで、お魚は食べる子もいるわね。)菜食主義を貫いているわ。
ヴィーガンは単純に菜食主義とも訳せないというか、色々な考え方があるみたいね。そして実はヴィーガンの始祖は日本の宗教家で、菜食で健康になれるという医学的根拠は実はない、と書いてあるものもあって、確かに「動物性たんぱく質も必要」という声もあるわね、なんて思ったり。
何故急にヴィーガンを調べたりしたかというと、SNSで、人間が動物をもののように扱う残酷な動画を掲載して、ヴィーガンの素晴らしさを解く投稿を立て続けに目にしたからなの。
正直、私も肉を食べるのをやめようかと思ったわ。
だけどね、じゃあ何故野菜は食べていいのか、という疑問が生まれたのよ。たまたま私が見たポストは、「こんなに愛おしい動物達が残酷に殺されています!本来人類の身体はお肉を食べなくていいように出来ているのだから、食肉をやめましょう!」みたいなものだったのだけど、生き物、という視点で考えたら、野菜だって生きているものでしょう?
確かにトマトをもいだり、キャベツを刈り取っても、動物のように悲鳴を上げたり血が流れたりする訳ではないけれど、やっていることは同じ。本当は曲がっているのが当然のキュウリをまっすぐにしたり、食べもしないものを飾りで盛り付けてゴミのように捨てたり。形が悪いだけで捨ててしまうのだから。それは残酷ではないの?ってこと。
つまりね、「可哀想だから食べるな」とか「こんなに愛おしい動物達を食べるなんて問題外!」みたいな主張は論点がおかしい、と思ってしまうのよ。
自然の摂理で言えば、動物も植物も全て食物連鎖の輪の中にいるけれど、過剰に発達してしまった人間が、必要以上のものを消費してしまうこと、それが最も悪く、一番の問題。
だから、家畜をもののように扱ったり、野菜を無駄に捨てるような命を無駄にする行為にはもちろん意義を唱えていくべきなのだけど、それは愛おしさをベースに語るべきではなくて、問題点を冷静に論破していかねばならないと思うの。
誰もが必要なだけいただく生活をすれば、きっと食料生産のバランスも変わるでしょうね。でもそこで、産業を優先したら、おそらく近い将来、様々なバランスが取り返しのつかないレベルに崩れてしまうような事態になるはず。
そういう意識を持つことが大切だと思った冬の夜。