「死」について
人間いつどこで亡くなるのかは予め決まっています。
現世に生誕する前、霊界で決めてきているのです。
その人のカリキュラムや成長に見あった年月日・死に方が与えられます。
事故死や急な病などの突然死を嘆き不平等に思う生者・死者いることでしょう。
しかしそれらも宿命(予め決めた覆せない事柄)。
自らの意思で選択したことですから、受け入れるしかありません。
「老衰・事故死・病死」は宿命の死ですが、「自殺・殺人」は宿命の死には含まれません。
生誕前に自分を殺す死に方。誰かに殺される死に方。これらを自己の死因として選ぶ魂は一つとして存在しません。
自殺or殺害される。このどちらかで亡くなった場合、それはその人自身に問題があります。
自殺者は意志薄弱で視野が狭い。物事を多面的に捉えられない。様々な生き方や可能性、選択肢が視野を広げれば幾つもあるのに、一度自死を決断するとそれがファイナルアンサーかのように思い込み自ら延々の地獄に落ちていく。
人間には神より「自由意志」が授けられているのですから、その意志で別の生きる道を選ぶべきです。
殺人の被害者は、殺されるような悪行をしたか、もしくは過去生で殺人を犯してカルマが返ってきた。この二通りでしょう。どちらにせよ自業自得。償いです。
真面目に生きて幸せの種を蒔いていれば、自然な死を迎えます。
誰かに殺められるなどという特殊で残忍な死に方で幕を閉じることはありません。
◆最後に「安楽死」について。
⇒スピリチュアル的に安楽死は自殺に分類されます。
いかなる理由にせよ安楽死は、生を放棄して自らの意思で寿命を縮め死ぬわけですから、首吊りや飛び降りと一緒の自殺。
楽に死ねるかもしれませんが、自殺者のその後は大変です。
来世では逃げた試練が持ち越され、前世でクリアした課題は全てリセットされて1から再び挑戦しなくてはいけません。そして最悪なことに別種の苦も付属されるという悲惨な人生が待っているのです。
日本では安楽死は法的に認められていませんが、海外ではオランダ・ルクセンブルク・スイス・ベルギー・カナダ・アメリカの一部の州でお金を払えば法的に認められているというのです。
これは国が「お金くれたら楽に殺すよ」と自殺幇助をしているようなもの。
こういった制度があるのもまだまだスピリチュアリズムが普及していない証拠。
スピリチュアリズムの一大計画「地上天国化」はまだまだ遠い未来の事になりそうです。