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「宇田川源流 日本万歳!」 小学生の自由研究が科学論文レベルになる日本の学問の自由

2021.05.09 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 小学生の自由研究が科学論文レベルになる日本の学問の自由


 ゴールデンウィークは「特別企画山田方谷伝」をお届けしていたので、一週間ぶりになるのであろうか。今週からまたいつものような内容に戻してゆくことになる。なお「山田方谷伝」については、かなり好評であったという気がするので、あの連載に関しては何らかの形にしておこうと思う。自分で言うのも変なのであるが、作家が自分の作品について連載でその内容に関することをわざと抜きにして、ポイントとなるところを説明する「解説書」を書くことは珍しい。そのようなことをすれば、本そのものが読まれなくなってしまうからである。しかし、今回のゴールデンウィークの特別企画は、その内容をあえて考えてみた。いや、それに挑戦してみたといった方が良いのかもしれない。それは、山田方谷という人物の一生を書いた小説であったことと、そして、その小説そのものに関してよりも、その背景や、陽明学という学問、そのような背景を知った方が面白く読めるということがいえるのではないかという気がするのである。

 歴史に限らず、学問というものは、深く学び知識が増えていった方が面白くなってくる。その面白さというのは、「知る」喜びだけではなく、「知った内容を活用する喜び」というものも入って来るのではないか。そして知っている人同士が話をすることによって、その知識が様々な「解釈」を産む。その解釈そのものが広がりを持つようになるのである。

 人間の行動というのは、一つの事実があったとそても、その事実そのものをどのように解釈してゆくかということが非常に大きな内容になる。そして、その解釈というものは、人それぞれ異なる。一番簡単なたとえ話をすれば、涙を流しているというような現象がある。しかし、その涙を流しているという現象をどのように解釈するのかは、「うれし泣き」なのか「悲しみ」なのか「懐かしみ」なのか「感動」なのか、様々な解釈があり、それは会話やその置かれた状況などから解釈をしてゆかなければならない。その解釈をどのように組み合わせてゆくかということが、重要になってくるのである。

 これは、今は小説的な話をしたが、理数系の実験などでも同じなのではないか。もちろん、文系ではないので、解釈そのものが小説的、心理的なものではないかもしれないが、しかし、それが理数系のだいご味なのであろう

「彼の自由研究はすでに科学論文」“カブトムシは夜行性”の常識覆した小6男子、共同研究の大学講師も脱帽

「日本に生息するカブトムシは完全な夜行性」という常識を覆した山口大学の研究成果が話題になりました。新知見もさることながら、論文の第一著者が小学6年男子、掲載先がインパクトファクター(ジャーナル影響度指標)が高いアメリカの一流学術誌というドラマのような背景が、衝撃をもって伝えられています。「小学生にやられた」「論文の著者の所属が小学校ってww」などと界隈をざわつかせた発見は、夏休みの自由研究から生まれました。山口大学の共同研究者に聞きました。

 国内に生息するカブトムシは日没後、主にクヌギの木に飛来。日付が変わってから午前2時ごろまでの間、個体数はピークになり夜明けには飛び去ります。埼玉県の小学6年生の柴田亮さんは、山口大学大学院創成科学研究科(理学部)の小島渉講師と共同で、シマトネリコという外来植物に集まるカブトムシは、夜だけでなく昼間も活動することを発見。アメリカの生態学専門誌『Ecology』に掲載されています。

 柴田さんは2019年と2020年の夏、自宅庭のシマトネリコに来るカブトムシの数を1日3~5回、毎日カウント。その結果、夜が明け完全に明るくなっても多くの個体がシマトネリコで採餌や交尾を行うことが分かりました。2020年にはカブトムシに油性マジックで固有の印をつけて追跡。162の個体調査から、多くの個体は夜間にシマトネリコに飛来し、日中もそのまま同じ木にとどまり続けていることが判明。中には24時間以上同じ木で観察される個体もおり、その活動パターンはクヌギでみられるものと全く異なるものでした。シマトネリコは台湾やフィリピンなど東南アジアが原産で、近年は庭木や街路樹で国内各地に植えられています。

  小島さんは「不思議だらけカブトムシ図鑑」などの著書がある昆虫生態学の研究者。「わたしのカブトムシ研究」(さ・え・ら書房)で、昼間にカブトムシがシマトネリコに集まる可能性について触れており、それを柴田さんは読んでいたそうです。2019年夏に届いたメールをきっかけに、柴田さんの研究の質の高さに驚き、2020年から共同で調べるようになったそうです。小島さんに聞きました。

―SNS上では『Ecology』に掲載されたことへの驚きがありました。

 「生態学分野でもトップクラス(上位10%くらいに入る)の雑誌で、掲載してもらうのは容易ではないと思います」

―柴田さんの研究の価値を。

 「着眼点の面白さに加え、やはり、データの重厚さが肝だと思います。私を含め、この現象自体に何となく気付いていた人はいると思いますが、データとして示した人はいなかったからです」

―データを粘り強く集める探究心は研究者も顔負けだとか。

 「彼のデータは、2年とも7月下旬から8月下旬まで、一日たりとも欠けていません。午前1時から4時ごろの記録も多く残しています。小学生の夏休みと言えば、他に楽しいこともたくさんあるはずなのに、それらを投げ打ってこの研究に取り組んだというのは、信じがたいことです」

―論文に対して全体的な責任を負う第一著者に柴田さんの名前があることも話題です。

 「今回の論文のデータはすべて柴田さんがとられたものですし、彼の自由研究は、文章自体も非常に論理的に書かれており、すでに科学論文に近い体裁をとっていました。私はそれを英語に直しただけのようなものです。彼を第一著者にする以外の選択肢はありませんでした」

「なぜシマトネリコでは昼間もカブトムシが活動するのか、が彼のこれからの研究の中心になると思います」と小島さん。2021年夏の自由研究が今から待ち遠しいですね。

(まいどなニュース・竹内 章)

2021年4月26日 19時0分 まいどなニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/20095453/

 日本国憲法には、「学問の自由」というものがある。最近で学問の自由が問題になったのは、昨年の9月、学術会議に推薦された6名の研究者を、政府が承認しなかったことによる。その時は「学問の自由の侵害」などとマスコミがあれだけ騒いでいたが、いつの間にかその騒ぎはなくなってしまっている。まあ、時間をおいて話がなくなるということは、それだけ重要ではなかったということなのかもしれない。そもそも政治的な主張をすることは学問の自由ではない。政策は政治学になりうるが政局は学問にはならないからである。その辺、学問の自由とは全く関係ない話を、自分たちが学者であるという「自称」から、「学問の自由の侵害」などということを言っているのがおかしな話なのではないかと思っていた。SNS上にも、「学術会議や学者、一部のマスコミの言っている学問の自由」は何かがおかしいのではないかというような意見が多数あった。

 さて、本日は「日本万歳!」であるので、そのような「おかしなこと」を指摘するのではない。今回は、「本物の学問の自由とは何か」を教えてくれる、それも小学生が教えてくれるのである。

 内容は、カブトムシが我々の常識では夜間活動すると思っていたが、実際は昼も活動するのだということを、毎日観察し続けた小学六年生がレポートし、それを見た人が素直に称賛したということである。まさに、その内容は「彼のデータは、2年とも7月下旬から8月下旬まで、一日たりとも欠けていません。午前1時から4時ごろの記録も多く残しています。小学生の夏休みと言えば、他に楽しいこともたくさんあるはずなのに、それらを投げ打ってこの研究に取り組んだというのは、信じがたいことです」<上記より抜粋>というように、何よりも「カブトムシを観察することが夏休みで最も楽しかった」ということに他ならない。「学問を楽しむ」ということ、あるいは「楽しいことがいつの間にか大発見につながった」ということになるのではないか。

 私が指摘したいのは、このようなことを許しているということであるし、また、そのレポートを素直に称賛し、そしてこの大発見を学術的に解釈できるということであろう。もっと言えば、その出所が小学生であるということであっても、その内容で判断できるということであり、同時に、その小学生の研究を「一人前」として認めていることではないか。

 「今回の論文のデータはすべて柴田さんがとられたものですし、彼の自由研究は、文章自体も非常に論理的に書かれており、すでに科学論文に近い体裁をとっていました。私はそれを英語に直しただけのようなものです。彼を第一著者にする以外の選択肢はありませんでした」<上記より抜粋>

 まさに、このように小学生などの自由な発想で研究をすれば、より良い物が出てくるのではないか。この自由さや奇抜さを失わずに、自由な学問が学べる日本のすばらしさを残してもらいたい。