只見町「鬼が面山 」周回登山 2021年 初夏
“観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今回は、JR只見線を利用して只見町入りし、「鬼が面山」(1,465.1m)を途上に持つ“ヒメサユリ・ロード”を歩きたいと、只見沢(田子倉)登山口を起点に周回登山をした。
「鬼が面山」は「会津百名山」の第29座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。
鬼ヶ面山 <おにがつらやま> 1,465メートル
鬼ヶ面山は、浅草岳の一角をなしている山で浅草岳の山頂から西に前岳があり、そこからはほぼ南に大岩壁の稜線が延び、北岳、鬼ヶ面山(中岳)、南岳と連なる。中崎尾根と対峙し、東面の岸壁は圧観であり、多くのクライマーを惹きつけている。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p70
また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の會津郡の項に、「朝草山」(=浅草岳)が『鬼面山とも云』と記され、「鬼が面山」を含む稜線について表現がされている。*出処:新編會津風土記 巻之二十五「陸奥國會津郡之一 會津郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p7(コマ10) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202
朝草(アサクサ)山 鬼面(オニガツラ)山とも云
黒谷組田子倉村の西にあり、頂まで二里餘、伊北郷第一の高山にて躋攀すべからず、四時雪を戴き半山は草木地に蟠れり「ノコギリハ」と云處あり、峯尖鋸齒の如く、其勢恐るべし、遠方より望めば極て奇觀なり、田子倉叶津兩村に屬す、西は越後國魚沼郡に屬し峯を界とす、山中に二つ沼あり、一は強清水沼と云。周百六十間、一は小三本沼と云、周二百八十間、田子倉村より此山の南の腰を越て魚沼郡大白川新田村に出るを六十里越と云、叶津村より北の腰を越て蒲原郡芦平村に出るを八十里越と云、共に難所にて牛馬の往來なし
上記「新編會津風土記」の“峯尖鋸齒の如く、其勢恐るべし、遠方より望めば極て奇觀なり”とは、「鬼が面山」が含まれる、「南岳」(1,354m)-「鬼が面山」(中岳、1,465.1m)-「北岳」(1,472m)-「貉沢カッチ」(1,452m)-「前岳」(1,568m)-「浅草岳」(1.585.4m)の稜線で、雪崩路(アバランチシュート)と剥き出しの岩肌は、1,500m級の山々とは思えない険しさがある。
*上掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/
しかし、この険しい山稜はヒメサユリ分布地屈指の山岳群生地になっていて、6月下旬から7月上旬にかけて、登山道は“ヒメサユリ・ロード”となり多くの登山者を惹きつけ、目を楽しませている。
只見町に接する南会津町のホームページに、『「ヒメサユリ」は「オトメユリ」とも呼ばれ、宮城県南部及び新潟県、福島県、山形県が県境を接する飯豊連峰、吾妻山、守門岳周辺等にだけ分布する貴重な植物』、と記されている。*出処:南会津町「ひめさゆりについて」*ヒメサユリは合併前の南郷村の村の花に指定
また、脚本家・作家である田中澄江氏が、1995(平成7)年に著したエッセイ「新・花の百名山」にはヒメサユリの山として「鬼が面山」を含む「浅草山」(第70座)が記されているという。*参考:日本百名山.net「新・花の百名山」URL: https://www.xn--eqr28qn6hnjbk15b.net/hana100new.html
私は、2017年の「浅草岳」登山で稜線に咲き誇ると言われる「ヒメサユリ」の事を知り、その後、只見線沿線の「会津百名山」に登ってみようと決めた時、『鬼が面山に行くならば、ヒメサユリが咲く時期に』と考えていた。
「鬼が面山」に登る場合、只見町(福島県)側の只見沢(田子倉)登山口と魚沼市(新潟県)側の六十里越登山口のどちらでも構わないが、今回私は只見沢(田子倉)登山口を起点に六十里越登山口→「鬼が面山」→「浅草岳」を経て只見沢(田子倉)登山口に戻る、という登山計画を立てた。
今日の旅程は以下の通り。
・只見町内の宿を出て、自転車で国道252号線を進み、只見沢(田子倉)登山口に向かう
・只見沢(田子倉)登山口近くの田子倉無料休憩所に自転車をデポし、徒歩で国道252号線を進み、六十里越登山口に向かう
・六十里越登山口から「鬼が面山」を目指して登山を開始
・「鬼が面山」登頂後、「浅草岳」山頂を目指して稜線をトレッキング
・「浅草岳」登頂後に、只見沢(田子倉)登山口に向かって下山する
・只見沢(田子倉)登山口から自転車に乗って、只見駅に向かう
・町内の入浴施設で汗を流した後、只見駅から代行バスに乗り、今夜の宿がある会津川口に向かう
福島県は梅雨の只中で、天気予報は曇り時々雨。『せめて下山するまでは雨は降らないで欲しい』と願い、「鬼が面山」の周回登山に臨んだ。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏ー
昨日、只見線を利用し只見町入りして宿泊。朝起きて外の様子を見ると、雨は降っていなかったが、空は濃い霧に覆われていた。
今回お世話になった宿は民宿「いわさき荘」。只見駅と只見ダムの中間ほどにあり、「ダイニングキッチンいわさき」としても営業している。
宿泊した室内は明るく綺麗で、フェイスタオルとバスタオルが用意されていた。素泊り利用としては十分だった。
民宿「いわさき」は、国道252号線沿いに“ダイニングキッチンいわさき”の看板が立てられていて、建物も見える。
5:30、お願いしていたおにぎり弁当を受け取り、登山に必要の無い荷物を預かってもらい、自転車にまたがって宿を出発。
国道252号線の緩やかな坂を上ってゆくと、5分ほどで前方が開け、全面が霧に覆われていた。
電源開発㈱只見発電所・只見ダムに到着。普段の様子が分からないほどの霧が発生し、上流側にある電源開発㈱田子倉発電所・田子倉ダムは、まったく見えなかった。
ダム築堤のそばにある電源開発㈱只見展示館を見ると、外観が変わっていた。
ベージュと薄い茶色から、塗り替えられていた。『ちょっと明るすぎる外観』とは思っていたが、四季を通じて周囲に溶け込むような落ち付いた外観に変わり、嬉しかった。中の展示品は、充実しているので、是非多くの観光客に訪れて欲しい。
只見ダム湖左岸に沿っている国道をしばらく進むと、ダム湖に架かる万代橋が見えてきた。「平成23年7月新潟福島豪雨」で被害を受け、両岸の架台を嵩上げするなどの増水対策工事が施されている。1955(昭和30)年12月の共用開始時から使われていた下路トラス橋は、そのまま転用されている。
宮渕集落の中を通り過ぎ、電源開発㈱田子倉発電所の入口から、巨大な田子倉ダムを見上げた。上部が霧に覆われ、全体は見えなかった。
国道を大きく右に折れ、登坂。道はヘアピンカーブが3か所あり、傾斜を緩やかにして敷設されているため、シフトを一番軽くして自転車をこぎ進める事ができた。
力を込めた登坂から解放され、田子倉第1トンネルに続く、比較的平坦が場所で麓を眺めた。
只見(ダム)湖と万代橋が霧に包まれ、幻想的な景観となっていた。
6:04、田子倉ダムに到着。
ダムの天端に行き、少し進んで、田子倉発電所を見下ろす。発電所施設ははっきりと見えた。この発電所の最大出力(400,000kw)は、更に上流にある奥只見発電所(電源開発)についで国内第二位となっている。*参考:経済産業省「水力発電について」URL:https://www.enecho.meti.go.jp/category/electricity_and_gas/electric/hydroelectric/kids/what004/
田子倉(ダム)湖側に移動し、これから登る「鬼が面山」方面に目を向けた。
晴れていれば見られる「南岳」-「鬼が面山」-「北岳」-「貉沢カッチ」の山並みは、雲に覆われほとんど見えなかった。
6:11、田子倉ダムを後にして移動を再開。国道を進み、下平トンネルを潜った。
この後、田子倉スノーシェッド(以下、SS)、苧巻第2ロックシェッド(以下、LS)、苧巻第1LS、苧巻岳トンネル、苧巻第2SS、苧巻第1SS、後山SS、田子倉沢第3SS、田子倉沢第2SS、田子倉沢トンネル、田子倉沢第1SS、入間木沢第4SS、入間木トンネル、入間木沢第3SSを潜りながら、クネクネした道を進んだ。
入間木沢第2SSの手前で、前方に掛かった雲が薄れ、「鬼が面山」前後の山並みがうっすらと見えてきた。
6:33、入間木沢第1SSを抜け、只見線の田子倉トンネル出入口上部に到着。スノーシェッドで覆われた田子倉駅跡越しに、雲の間から顔を出した「南岳」から「鬼が面山」に続く稜線の一部が見えた。
余韻沢第2SSから余韻沢第1SSを潜り抜け、直線に入ると国道を横切る“けもの”が目に入った。野生のニホンザルだった。
6:37、田子倉駅跡(2013(平成25)年3月16日廃止)に到着。
田子倉駅跡はスノーシェッドと一体化した駅舎は取り壊されず、内部は営業当時のままになっている。鍵のかかった扉の隙間からカメラを入れて内部を撮った。いつでも、営業再開ができるような状態に見えた。
田子倉駅跡から国道を少し進み、架道橋の手前で未舗装の側道に入り進むと、前方に六十里越トンネル(6,359m)只見口が見えた。
岩場に穿かれたトンネルの只見口は野趣味があり、見ごたえがある。ここをSLが通ったら、絵になるだろうと思った。
六十里越トンネル只見口の北側に、只見沢(田子倉)登山口がある。「浅草岳」山頂が見え、駐車スペースには3台の県外ナンバー車が置かれていた。
新型コロナウイルスの影響がなければ、明日6月第四日曜日、山開き登山が行われ、この広場に多くの登山者の姿が見られたはずだった。
「浅草岳」と刻まれた石碑の前まで自転車を進め、記念撮影。
その後、奥にあるポストで登山カードを記入した。今回は六十里越登山口(新潟県魚沼市)側から登るが、只見沢(田子倉)登山口に戻ってくるため、ここに投函することにした。*参考:福島県警「登山届の提出」/県警が協定を結んでいる「Compass」URL: https://www.mt-compass.com/
登山カードの記入を終え移動。朝食を摂るため、只見線の線路の挟んで向かい側にある「田子倉無料休憩所」に向かった。
建屋の脇に向かい駐輪(デポ)してから、休憩所に入った。中に入るのは二度目だったが、広々として、ごみ一つ落ちておらず、整備されていた。
窓側のベンチに座り、民宿「いわきさ荘」で作ってもらったおにぎり弁当をテーブルに広げた。ペットボトルは新潟県柏崎市に本社があるブルボンの「福島県只見線応援天然水500ml」。“只見線の復興応援機運湧出と、防災減災対策啓発の思いを込め”商品化され、売り上げの一部は福島県只見線復旧復興基金に寄付されるという。*参考:ブルボンONLINE SHOP「福島県只見線応援天然水」URL: https://shop.bourbon.jp/products/detail/MI-34385
7:10、朝食を済ませ「田子倉無料休憩所」を出発。国道252号線に出て新潟県に向かって歩き出し、只見沢橋を渡った後に振り返って「浅草岳」を眺めた。
山頂がくっきりと見えた。
白沢SSを抜け、強い陽射しを受けながら国道を歩く。しばらくして、烏帽子岳(997.9m)と松渕山(690.6m)の鞍部に設けられた白沢トンネル(549m)に入る。“無灯火”のトンネル内を、歩くのは初めてだったが、歩道があったのでハンディライトを持ちながら安心して歩く事ができた。
白沢トンネルに直結した烏帽子SSの柱の間から、田子倉ダム湖を眺めた。入り組んだ山々の稜線を包んでいる木々は朝日を浴びて鮮やかな緑を発し、湖面の濃青緑との構図が綺麗だと思った。右端には前毛猛山(1,233.4m)の山頂が雲の上に出ていた。
山の神第3SSを抜け、前方を眺める。険しい山岳地帯に設置されたコンクリート製のSSと、奥会津産の電力を県外に送る高圧電線鉄塔に、先人の仕事を思い描いた。
山の神第2SS、山の神LS、山の神第1SS、ブンドウ沢SSを潜り抜けると、出逢橋で出逢沢に下る側道の新設工事現場があり、振り返って眺めた。除雪された雪を沢に流し込む道だろうか、と思った。
7:53、アイヨシの滝に到着。
山の中腹に見られる滝は、実際の大きさが想像できない。歩道があれば、滝つぼまで行って見上げてみたい。
アイヨシSSを潜り抜けしばらく歩くと、前方に石碑が見えてきた。
8:02、“会越の窓開く 昭和49年9月 内閣総理大臣 田中角栄”と刻印された「六十里越峠開道記念碑」に到着。
記念碑越しに只見町方面を眺める。政治の力が無かったならば、この道(国道252号線)や鉄道(只見線)はこの山岳地帯には敷設されなかっただろう、と改めて思った。成否や功罪はさておき、田中角栄氏は稀代の名政治家だった。
国道を少し進む。まもなく、遠方に白く四角の構造物が見えた。
巨大な金属板が向かい合った、電源開発㈱鬼面反射板が見えた。登山道の途上にあり、登り始めるとこの金属板の間を通って「鬼が面山」に向かう事になる。
国道を進む。
豪雪地帯で除雪されない区間のためか、崖側にはガードレールは無く、コンクリート製の防護柵が並んでいた。
路の縁に立ち、只見川が大鳥ダム-奥只見ダム-三条ノ滝-尾瀬へと続く、田子倉(ダム)湖の狭隘部を見下ろす。湖は沢の形状で水が満たされているため、風景は見る度に変わった。天気が良いこともあり、景色を見ながら歩くことで苦にならず、只見沢(田子倉)登山口~六十里越~六十里越登山口という国道移動も、十分“登山ルート”として楽しめると思った。
雪割り街道展望台駐車場の少し先から、六十里越を眺める。六十里越トンネルに繋がっている赤柴SS(703m)の長大さに、開通に至る工事の過酷さを思った。
この“六十里越街道”、峠の頂は分かっているが、国道252号線が開通する前の“旧街道”が不明だ。
「新編會津風土記」の田子倉村の項には、六十里越が“朝草峠”と記述されている。*出処:新編會津風土記 巻之四十六「陸奥國會津郡之十八 會津郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p274(コマ144) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202
朝草峠 一に六十里越とも云
村端より峯をわたること二里十八町頂上に至る、其間程久保・舟清水・割石など云難所なりて牛馬通ぜず、此を越え大白川新田村を經て糸魚川領魚沼郡穴澤村に至る、坂東路六十里ある故六十里越の名ありと云、然れども里程正しく左あるにあらず、山中の徑路曲折籔囘にて行人その嶮岨に苦しむ因て此名ありとぞ
国道を進むと、赤柴SSの手前でスノーシェッドの新設工事が行われていた。
豪雪に耐えるためか、柱の基礎となるであろう構図物の大きさに驚いた。国道252号線六十里越の工事(1958(昭和33)年~)で、陸上自衛隊が加わったという史実が納得できる現場だった。
赤柴SSに入り歩道を歩く。150mほど進むと、SSの天井に川床が築かれている赤柴沢の水が勢いよく落ちていた。
SSの入口から歩くこと7分、六十里越トンネルが現れ、その先に新潟県側の出口の光が見えた。
トンネルの手前のコンクリートの壁に扉があった。施錠されていたため、『これが、“六十里越街道”に通ずる道か!?』と思った。
8:27、六十里越トンネル(789m)に入った。
8:30、福島県から新潟県に入る。歩いて越えるのは初めてだった。
5分ほどで六十里越トンネルを潜り抜け、新潟県魚沼市の空気を吸った。
少し進むと、トンネルのすぐそばにある駐車場には車があふれ、路駐車も含めると60台を超えていた。地元・長岡ナンバーが目立ったが、やはり関東圏のものが多かった。最盛期を迎えているヒメサユリの集客力に驚いた。
この光景に比べて、福島県側(田子倉(只見沢)登山口)の駐車場の少なさを考えた。複数人のグループが新潟県側(六十里越登山口)に車をデポ(一時置き)し、福島県側には乗り合いで向かい、田子倉(只見沢)登山口~浅草岳~鬼が面山~六十里越登山口と一筆書きのコースを採っているのだろう、と思った。
8:42、国道を少し下り六十里越登山口に到着。「田子倉無料休憩所」から歩き出し、1時間32分掛かった。
登山者カードは福島県側で書いていたが、新潟県側はどうなっているのだろうと、登山者カードポストを開けてみた。用紙が乱雑に置かれ、『回収は行われているのだろうか?』と思ってしまった。
登山道は、多くの登山者が訪れるだけあって、しっかりしていた。序盤は、赤土と岩が混じっていて、昨夜雨が降ったせいか、土の部分は滑り易かった。また、一か所だけ、深く切れ込んだ赤土の急坂があり、少し手を汚した。
まもなく、最初の分岐が現れるが、東北電力㈱の表示板が左は送電鉄塔に続く保守道を示していたため、迷うことなく右に進んだ。
登山道はしばらく、沢の縁をなぞるよう延びていた。強い陽差しが照り付けた。
9:02、六十里越の分岐に到着。このあたりは新潟県と福島県の境界付近で、ここを直進すると赤柴SSと六十里越トンネルの接続部付近に出ると言われている。
国土地理院の地図を見ると、この分岐から“旧街道”が延び、赤柴SSに繋がっている。接続するSSの場所は、扉の位置と合っている。この扉は“旧街道”に繋がっている事は間違いない、と思った。是非、イベントなどで、通行することを許可して欲しい。
「浅草岳」と書かれた表示通りに、分岐を左に曲がり、北に進路を採った。
9:04、高圧送電鉄塔が建ち、刈払いされた空間を進んだ。この送電線は、黒谷発電所(只見町)→田子倉発電所→信濃川発電所(新潟県津南町)を経て関東に向かう東京電力㈱中東京幹線。
送電線を過ぎると、再び森の中に登山道が延びていた。
しばらく進むと、また、前方が明るくなった。
9:28、電源開発㈱鬼面反射板に到着。無給電中継装置と呼ばれ、田子倉発電所から発せられたマイクロ波を、魚沼市の鳥屋ヶ峰(681.2m)の北東にある無線中継所に送っているという。
鬼面反射板から先は、緩やかな上りとなり、快適だった。
高山植物も目に入ってきた。タニウツギは満開だった。
少し歩き、“鉄塔三兄弟”の下を通った。この送電線は、本名発電所→伊南川発電所→長岡変電所に向かう東北電力㈱越後線。
左側に目を向けると、裸山(1,010.4m)が眼下に見えた。巨大スラブが露出した、特徴的な山だ。
9:40、初めて下山者とすれ違い、まもなく分岐に到着。登山道は右、直進は電力会社の巡視路、とは標杭を見るまでもなく踏み跡を見て分かったが、地図を見て大切な事に気付いた。
この付近が、只見線六十里越トンネルの真上だったのだ。正確な位置が分からないのが残念だったが、是非、GPSを用いて割り出し、標杭などを立てて欲しいと思った。
分岐を過ぎると、登山道は傾斜が少し増した。眺望が無く気分が上がらなかったが、日影が多く体力的には助かった。
足元の高山植物が増えてきた。元気づけられた。
ユキザサ。初めて見た。
イワカガミ。この後、何度も見ることになるが、花びらの細さに惹かれた。
前方が開け、明るくなった。
10:05、右(東)側が切れ落ち、素晴らしい眺望が現れた。田子倉(ダム)湖が“十字”に見えた。田子倉ダムでせき止められた只見川が横線、奥に“白戸川入江”、手前に“只見沢入江”の縦線が美しく、これが人間の手によって創り出された事に感嘆した。
田子倉駅跡も俯瞰できた。このロケーションは国内無二だと思い、田子倉駅を復活・リノベーションし、観光施設にできないものか、と改めて考えた。*参考:拙著「只見町「田子倉駅跡」 2017年 秋」(2017年10月14日)
また、登山口に向かう途中に立ち寄った田子倉ダムの躯体も見えた。只見川をせき止め、国内第3位となる総貯水量(約5億㎥)を人工的に創り出し、半世紀以上その水圧に耐え続け、更に電気を生み続け人々の生活を支えているコンクリートの構造物に、先人の奮闘を想い感謝した。
眼下に広がる風景から元気をもらい、先に進んだ。本日3人(組)目の登山者すれ違う。軽やかな足取りだった。
少し登坂すると、最初のピークが見えた。
10:11、ピークに立つと、前方に「南岳」と、その先に「浅草岳」が見えた。
この先、開かれた登山道を、「浅草岳」を見ながらアップダウンを繰り返しながら進む山行となった。
足元には、私が好きなアカモノの群生が続いた。花びらの赤い筋の濃淡が美しいと思う。
ゴゼンタチバナは、この後、多く群生が見られた。
次のピークとなる、「南岳」山頂に登った。
10:15、「南岳」(1,354m)に到着。
“眺望はピカイチ”と言われるだけあり、360度素晴らしい眺望が得られた。
振り返って南側を見ると、六十里越の鞍部の先には、毛猛山(1,517m)-中岳(1,443m)-百時が岳(1,443m)-太郎助山(1,417.5m)の“塊”が見え、その奥には越後駒ヶ岳(2,002.7m)-中ノ岳(2,085.1m)から尾瀬方面に連なる山並みが確認できた。
鬼面反射板もくっきりと見えた。
景色をしばらく眺め、北側に延びる登山道に踏み出し「南岳」を後にする。先には「鬼が面山」の頂が見え、稜線が「浅草岳」に続いていた。ここに“ヒメサユリ・ロード”がある。
少し下ると、足元から斜面にかけて、ハナニガナの群生があった。
また、少し進むとサラサドウダンが咲き、
オニアザミも、鮮やかな紫の花を咲かせていた。
...そして、今日の「鬼が面山」周回登山の主役、ヒメサユリが現れた。
“ヒメサユリ・ロード”とは大げさではなく、登山道の両脇にヒメサユリの群生帯が、長く続いた。
登山道の両脇に、ヒメサユリが待ち受けていた。咲き始めて間もない花は濃い色合いで、
満開の花は薄いピンク色だった。
振り返って「南岳」からの登山道を眺める。“ヒメサユリ・ロード”は「南岳」北側の鞍部がスタート地点だと分かった。
この先も、群生が間を置いて見られる“ヒメサユリ・ロード”が続いた。1,500m級の山並みと言え、ここまで大型の花が、群生しそれが長く続いている事に驚いた。
ヒメサユリの群生を所々に見ながら、進む。ヒメサユリに気を取られて、あまり気に留めなかったが、登山道は片側が切れ落ちた険しいものだった。
両脇に灌木があることで恐怖は感じなかったが、見下ろすと、吸い込まれるような絶壁の上を歩いている事を実感した。
登山道をヒメサユリに癒されながら進んでゆくと、「鬼が面山」が近づいてきた。“鬼”と名に付くのでどれだけ険しい山容かと思っていたが、剥き出しの岩壁がほとんどなく、少し拍子抜けした。
下山してくるハイカーとすれ違い、振り返ってみると、良い景色が見られた。
少し長めの“ヒメサユリ・ロード”が現れた。
登山道に、ヒメサユリの群生ポイントがこれほど続くとは想像を超え、感動が続いた。
場所によっては、切れ落ちた崖に咲いていてた。
10:40、振り返ると、「南岳」からだいぶ歩いてきたことが分かった。
コンデジをズームにして「南岳」山頂を撮ると、休憩しているハイカーの姿が確認できた。
“ヒメサユリ・ロード”がまたやってきた。
続く続く、ヒメサユリ。
陽の光を通して見ると、一層綺麗に見えた。
ヒメサユリに目を取られながら先に進むと、前方にピークが現れ、人影が見られた。
杭標が見える場所まで少し斜面を登ると、ヒメサユリが出向迎えてくれた。
11:02、「鬼が面山」山頂に到着。「田子倉無料休憩所」から歩き出して3時間58分、六十里越登山口から2時間19分掛かった。
三等三角点標石に触れ、登頂を祝った。
眺望は良かった。田子倉ダム湖は、十字というか、手裏剣っぽく見えた。
田子倉ダム湖上から見える「鬼が面山」。「鬼が面山」や「北岳」は西側に入り込んだ稜線上にあるので、湖上からは低く見えてしまう。ちなみに、「鬼が面山」は“中岳”とも言われている。
国道252号線の田子倉トンネル出入口上のポイントも見えた。
今朝、田子倉トンネル出入口上から見えた光景。正面から少し道、左端の「南岳」から4つ目のピークが「鬼が面山」になるが、雲が掛かって良く見えなかったと分かった。
「鬼が面山」登頂を果たし、次は「浅草岳」に向かった。
しばらく歩いて、振り返って「鬼が面山」を眺めた。こちらから見ると、“鬼”らしさは一層感じられず、緑に包まれた優しい山に思えた。“鬼が面”とは「南岳」から「浅草岳」に至る稜線を指し、“中岳”が代表して「鬼が面山」を名乗ったのではないかと考えた。
さらに進むと、登山道の右側の緩やかな斜面に平たい大石があった。「浅草岳」も見えることから、ここで昼食を摂った。民宿「いわさき荘」で作ってもらった朝食のおにぎりを一つ残していた。山とおにぎりは相性が良いと思った。
昼食を終え、先に進むとヒメサユリの蕾の群生が現れた。日影になっている箇所ということで、開花が遅いのだろうと思った。
蕾の群れの後には、“ヒメサユリ・ロード”になった。
そして、前方に大きな頂が現れた。「北岳」(1,472m)で、山頂が登山道から左(西)側に入ったところにある。
コバイケイソウの群生の脇を進む。
途中、雨宿りできそうな岩場があった。
11:38、「北岳」に到着。体力が消耗してきたため、山頂には行かず、先に進もうとした。
しかし、少し進んだところで登山道が目の前から消えた。立ち止まって待っていると“真下”から人の声がして、まもなくハイカーの姿が見え、続々登ってきた。相当な急坂のようで、皆ゼェゼェと息を切らしていた。
登山者が居ないことを確認し、この急坂を下りる。振り返って見上げると、『登る事にならず良かった』と心から思った。この後、この急坂を超える難所は無かった為、この“「北岳」北側の取付き”は、「浅草岳」から「鬼が面山」を経て六十里越登山口に向かうコースの最難関のようだった。
先に続く登山道は、鋭く切れ落ちた東側の縁に沿って伸びていた。
そこをハイカーが歩く光景は、山登りの醍醐味を伝えてくれるものだった。
またしばらく歩き、振り返って、たどってきた登山道を眺めた。
ここでも、コンデジをズームにすると、すれ違うハイカーの姿が確認できた。左側に灌木があるハイカーが道を譲り、崖側を歩くハイカーが頭を下げ通り過ぎていた。
この崖縁際に延びる登山道で唯一、危ないかな、と思った場所。灌木の根が登山道の崩落を防いでいた。左(西)側の面は切れ落ちていない為、歩くのに支障は無く恐怖も感じなかったが、右側は崖なので、保護をして何らかの対策をして欲しいと思った。
11:58、前方に「貉沢カッチ」(1,452m)が見えてきた。こちらの方が“鬼が面”っぽかった。
12:13、「貉沢カッチ」に到着。ここでも立ち止まらず先に進んだ。斜面に突き出た大岩の先に「浅草岳」が見え、だいぶ近づいてきたことが実感できた。
「貉沢カッチ」を下ると、鞍部に“ヒメサユリ・ロード”があった。結果、ここが最後の“ヒメサユリ・ロード”だった。
約2時間、鞍部などの平坦部を中心にヒメサユリの群生が続いた。期待以上の、美しく心地よい空間だった。
“ヒメサユリ・ロード”過ぎて、少し進むと岩壁の間から麓の景色が見えた。私にとって、「新編會津風土記」の“峯尖鋸齒の如く、其勢恐るべし”という表現を、登山道から実感できた場所だった.
12:33、後方を振り返り、“鬼が面の稜線”を眺めた。『ここを歩いてきたのかぁ』と思ってしまった。
「前岳」の手前のピークからは、中崎(只見)尾根が見えた。今日の下山ルートとなっている只見沢(田子倉)登山道が通り、“鬼が面の稜線”を一望できる「鬼面の眺め」がある。
「前岳」(1,568m)頂上の少し西側を通る登山道を進んだ。
「前岳」を越えると、前方に木道が見えた。「貉沢カッチ」より先の登山道の下調べが不十分だったため、この木道が何か分からなかった。
残雪の上を慎重に下ると、木道は長く続く立派なものだった。
木道に立ち、標杭を見た。“桜曽根方面”と書かれ、新潟県側のムジナ沢登山口からの桜曽根コースの木道のようだった。
この分岐について、帰宅後に調べてみると、“前岳分岐”と呼ばれているという事だった。
“前岳分岐”から木道を西に進み、「浅草岳」に向かった。
まもなく、真北が開かれた場所に、大きな雪渓が現れた。表面が滑りやすく、慎重に越えた。
振り返ると、雪渓が木道を塞いでいた。
木道は歩き易く、しばらく「浅草岳」方面に続いた。
斜面には、階段も設けられていた。
さらに、木道を進むと二手に分かれ、左側に進むと『タンポポの綿毛!? いや、時季ではないし、まん丸でもない』、ふわふわした群生が目に入った。近づくと、ワタスゲだった。初めて本物を見て、感動した。
しかも、この先には夏草とワタスゲが取り囲んだ池塘があり、想定していなかった光景に、しばし見惚れてしまった。今日の好天に、一番感謝した瞬間だった。
木道が途切れ、両側にロープでガイドが作られた登山道を東に進んだ。ワタスゲと池塘に元気をもらったとはいえ、だいぶ体力を消耗し、向かう前方のピークが何なのか考える余裕も無く、足を進めた。
灌木の間を抜けると、前方が広範囲に開け、石祠が見えた。『あれっ、もう浅草か⁉』。
ピークの全景が見え、設置物に既視感があり、ここが「浅草岳」山頂であることを認めた。「鬼が面山」登頂後は、“道は尾根の一本道”と「浅草岳」までの行程に無頓着だった為、拍子抜けしてしまった。
13:09、「浅草岳」山頂(1.585.4m)に何とか到着。「鬼が面山」から2時間7分掛かった。
コンクリートで根固めされた一等三角点標石に触れ、二度目の登頂を労った。*参考:国土地理院「一等三角点標石の構造」
一等三角点標石の背後から、田子倉方面を眺める。前回は曇っていて、周囲の山々を見通せなかったが、今日は良く見えた。
見晴らしは良く、左(北)から伊南川の河岸段丘に延びる集落、「会津朝日岳」、「丸山岳」、うっすらと「会津駒ヶ岳」「燧ケ岳」等の会津百名山、そして尾瀬を取り囲む山々が見え、右(北)には、新潟県境にそびえる「前毛猛山」「毛猛山」が確認できた。中央には、“寝観音”を表現している「猿倉山」から「横山」の稜線もはっきり見えた。
逆方向、北西の眺望。左に「守門岳」と「烏帽子山」、中央に「粟ヶ岳」などの山々が見えた。
再び、田子倉(ダム)湖方面に目を向け、只見沢(田子倉)登山口付近を見下ろすと、只見線のレールがはっきり見えた。
今朝、レール側から「浅草岳」が見えた。沿線にあり視認できる最高峰である「浅草岳」は、気象条件により見えない事もあるが、“観光鉄道「山の只見線」”にとって無くてはならない山だ、と再認識した。
カメラのズームを最大にして麓を撮ると、田子倉休憩所の脇には、私の自転車がおぼろげながらに見えた。
13:12、「浅草岳」から下山を開始。赤土が露出する分岐を、右に鋭角に折れた。
この分岐をまっすぐ進むと、まもなく「天狗の庭」となり、入叶津登山口に至る。「天狗の庭」は、「新編會津風土記」に記された「朝草山」の謂れともなった場所とも言われ、公益社団法人 福島県森林・林業・緑化協会が制定した「ふくしま緑の百景」に選ばれている。*ふくしま緑の百景 URL: http://ohkoshi.la.coocan.jp/fukusima100/fukusima100.html
登山道は、明日の“山開き”に備え、刈払いされていた。
また、少し進むと、ヒメサユリが咲いていた。只見沢(田子倉)コースでは貴重な“小”群生だった。
14:06、下り坂を利用し、中崎尾根を勢いよく駆け下り「鬼面の眺め」に到着。奥まった「北岳」の中心に、“峯尖鋸齒の如く、其勢恐るべし、遠方より望めば極て奇觀なり”(新編會津風土記)という表現が大げさでは無い眺望だった。「鬼が面山」は、やはり“鬼”の名からは程遠い緩やかな稜線だった。
14:09、少し下って「剣が峰」に到着。只見沢(田子倉)口から登ってきた場合、「浅草岳」の全貌が初めて見られるポイントだ。
14:27、中崎尾根の端になる「田子倉の眺め」を通過。眺望が得られるのはここで終了。傾斜が急になった灌木の中を進んだ。
灌木は、しばらくするとブナ林に変わり、気持ちの良い空間になった。
ブナ林を歩き続けると、水音が聞こえてきた。
14:52、大久保沢に到着。前回は給水しなかったが、ペットボトルが空になっていた事もあり、沢に向かった。思いのほか奥まっていて導水管も無く取水に手間取ったが、旨い沢水を飲み、ペットボトルを満たした。
ひと休みし、下山を再開。足元には、ギンリョウソウが見られた。いつみても、ゾクゾクする容姿だと思った。
15:10、幽ノ倉沢にかかる仮設橋を渡った。
15:19、重低音の雷鳴が、山間に響き渡った。『これは、まずいっ』と重くなってきた足を必死に動かし、前に進んだ。すると、木道が現れ、ゴールは近い、と安堵した。
3本目の木道を抜けると、前方が開けた。
15:25、只見沢(田子倉)登山口に戻ってきた。「浅草岳」山頂から2時間13分で下山し、約8時間で周回した。
広場の車は、全て消えていて、がら~んとしていた。
広場を進み、振り返って「浅草岳」を見た。雷音は鳴り続け、黒い雲に覆われているのではないかと思ったが、そうではなかった。
「鬼が面山」周回登山を無事に終える事ができた。
今回の登山の所要時間は、8時間を超えて只見線沿線の登山で過去最長になった。今まで何度も見てきた「南岳」-「鬼が面山」-「北岳」-「貉沢カッチ」-「前岳」-「浅草岳」の稜線を、青空の下、美しいヒメサユリを見ながら踏破でき、大満足の山行になった。
福島県側の只見沢(田子倉)登山口に自転車をデポし、国道を歩き、新潟県側の六十里越登山口から登山を開始する今回の試みは、疲労に見合った満足が得られると感じ十分勧められるものであると思った。只見町の市街地から只見沢(田子倉)登山口まで、車での送迎があれば幅広い層の登山客の利用が見込まれるのではないだろうか、とも感じた。
只見沢(田子倉)登山口から六十里越登山口までの国道252号線は、六十里越トンネル内以外、歩道や路肩があり通行車両はあまり気にならない。また、国道を歩きながら、田子倉ダム湖を包む雪崩路などをもった険峻な山々の、変化する風景をゆっくり見られるというのは良い。さらに、六十里越の険峻を見ながらスノーシェッドからトンネルに入りに、県境を越えられるというのもの良い。
登山道は、全般で良く整備されて歩き易く、踏み跡もしっかりしているので、最低限の注意を払えば迷う可能性は低いと思う。六十里越登山口から「南岳」と「浅草岳」から只見沢(田子倉)登山口にそれぞれ至るルートは、1,500m級の山相応の傾斜で過度な負荷は掛からないだろう。また、「南岳」-「鬼が面山」-「北岳」-「貉沢カッチ」-「前岳」-「浅草岳」の稜線は、「北岳」北面の急坂以外は厳しいアップダウンは無く、“峯尖鋸齒の如く、其勢恐るべし、遠方より望めば極て奇觀なり”という景観を眺めながらの山行は格別だ。さらに、この時期は “ヒメサユリ・ロード”を歩ける。 吹き曝しの尾根に咲き誇る淡いピンクの花の密集地が、断続的に“鬼面”の登山道に続く空間は、心地良い。
今回の登山を終えて、「南岳」-「鬼が面山」-「北岳」-「貉沢カッチ」-「前岳」-「浅草岳」の稜線山行(登山)は“観光鉄道「山の只見線」”には欠かせない山岳アクティビティだと感じた。まずは、ヒメサユリが登山道に咲き誇るこの時期に、只見線を利用した登山客を呼び込み、美しく心地よい景色を堪能してもらい、“観光鉄道「山の只見線」”を印象付けて欲しいと思う。
15:35、「田子倉無料休憩所」に行き、デポしていた自転車に乗って只見駅に向かった。
途中、田子倉駅跡越しに「鬼が面山」方面を眺めた。すこし霞んでいたが、雲は掛かっておらず、山の稜線は見えた。
16:06、田子倉ダムに到着し、天端から「南岳」-「鬼が面山」-「北岳」-「貉沢カッチ」の稜線を眺めた。『よく歩いたもんだ』と、改めて思い返した。
16:30、国道252号線の下り坂を快調に下り、只見駅に到着。只見沢(田子倉)登山口から、寄り道をしなければ、ゆっくりと自転車を進めても1時間と掛からず戻ってこられるので、下山後でも負担は少ないだろうと、改めて感じた。
会津川口行きの只見線代行バスの出発時間まで時間があるので、昨日に引き続き「ふとっぷろ まち湯」に立ち寄って汗を流すことにした。
ゆっくりと湯に浸かり「ふとっぷろ まち湯」を後にし、只見駅戻った。自転車を折り畳み輪行バッグに入れ、駅舎に入り窓口で切符を購入した。只見~会津川口間は510円。
17:45 、駅頭に付けられていた代行バスに乗り只見を後にした。
代行バスは只見線の運休区間に沿うように、国道252号線を進んだ。
会津蒲生“駅”を経て「第八只見川橋梁」を渡る。復旧工事は進んでいて、只見側には真新しい擁壁が白く浮かび上がり、会津若松側では仮設が組まれ重機が置かれていた。
会津塩沢“駅”を出発後に、塩沢スノーシェッドを抜け只子沢橋を渡り只見町から金山町に入る。只見川は電源開発㈱滝発電所の滝ダム湖になり、大きく蛇行していた。
会津塩沢“駅”出ると、国道の二本木橋から上流側に「第七只見川橋梁」が見えるが、シャッターを押すのが遅れてしまった。
会津横田“駅”、会津越川“駅”を経て、本名“駅”手前で、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端(本名橋)を渡り、架橋工事中の「第六只見川橋梁」を眺めた。
終点が近づき「第五只見川橋梁」が姿を現すと、只見川の下流側に川霧が見えた。
18:35、会津川口に到着。駅前の加藤商店で買い物をして、宿に向かい、今日の予定を全て終えた。
(了)
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*参考:
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。