くじら雲の印象
掲載:『民家を園舎に~依田さんの野外保育から考えよう』 新建築家技術者集団東京支部
>掲載稿
『くじら雲の印象』
「20 人にしているんです。これより多くなると、こどもたちが1日をどう過ご しているか、わからなくなるんです。」くじら雲の定員を尋ねたとき、依田さん は、このような答えを返されたと記憶している。法定の最低基準に従って保育士 数や、児童数を決めている、大方の保育所とは違い、明確な目的を持って決めら れた定員だ。芋を洗うような、都市部の保育所とは雰囲気が違う。くじら雲のよ うな保育が、認可を外れないとできないというのは、なんとも歯痒い。 焚き火スペースがよかった。適度な大きさで、背面が小さな崖になっているので、 開放的でいて、かつ包まれたような空間になっている。本当に羨ましい場所だ。 そこで、小さく穏やかな声で、輪になったこどもたちに話し掛けている依田さん の様子を見て、「保育」ではなく「当たり前の暮らし」を感じた。今までに見た いくつかの保育所では、大声で呼び掛ける保育士さん、という印象しかなく、保 育所はこどもたちの「暮らしの場」という言い回しを、きれい事だと思い始めた 矢先のことで、うれしかった。
多くのこどもたちのリュックには、鈴がついている。こどもたちに尋ねると、熊
除けの由。生きるための知識を、しっかり身につけている様子が伺えた。熊が出
るほどの自然環境は、都心部のこどもたちから見れば、羨ましい限りだ。
土や緑の少ない都市部でも、いのちに触れる体験をしてもらおうと、建築設計の
傍ら、兵庫の都市部で、保育所ビオトープづくりに携わっている。本ワークショ
ップの第2回でご紹介した「N 保育園」もそのひとつで、保育士、法人理事の皆
さんによるワークショップで図面を描き、池、水路、棚田を、こどもたちと一緒
に造った事例だ。依田さんに「都会でもできるんだという、いい事例でした」と
の感想をいただいた。
しかし、闇雲にハードとしてのビオトープを造ればそれでいいわけではない。設 計者の悪癖であるが、作りっぱなしが実に多い。ビオトープは「池」という形態 で普及しつつあるが、あくまで人工物であり、完全に自然化するのは難しい。干 上がったり、あおこが大量繁殖したり、維持していく過程に様々な問題が発生す る。造ることは簡単で、小さいものなら、こどもたちと一緒にのんびりと作業し ても、1日あればできあがるのだが、維持していく保育士さんは、たいへんなの である。
お昼前、庭先でカレーライス作りが始まった。実の詰まった硬い人参を、最後ま で根気よく切るこどもたちの姿が印象的だった。大人が電話帳を切っているぐ らいの感覚かと思ったりしたが、自分で何かを成し遂げる嬉しさを、こどもたち は感じているのだろう。不揃いの野菜がたっぷり入ったカレーを、おいしくいた だいた。
この庭先空間と、それに連なる内外の境界としての縁側が、とても有意義なもの であることを、こどもたちと一緒に調理することで再確認できた。 くじら雲では、運動場はなく庭先があり、厨房はなく台所があり、廊下はなく縁 側があって、保育室は8帖間なのだ。静かな時間は落ち着き、遊ぶときは縦横無 尽に駆け回ることができる。民家を園舎に使うということは、場の大きさが、よ り、こどものスケールに近づくということであり、広い外部との組み合わせで、 めりはりの効いた生活空間を実現させている。
園舎(というより、おうち)では、板、畳、三和土と様々な床が子どもたちを迎 える。狭い階段下に潜り込んだり、障子(指詰防止が施された木製戸より、はる かに自由で安全)を開け閉てして、部屋の大きさを変化させたり、山側の部屋で は闇を得ることができたりと、多種多様な空間の選択ができる。広い場所があれ ば、狭いところ、明るい場所があれば、暗いところ、大小、硬軟、高低、寒暖、 様々な空間が用意されている。入ってはいけない場所には、施錠するのではなく、 飾りものを並べるなど、やさしいバリアが設けられている。そこでは、「入れな い」のではなく、「入らない」という意志のある選択ができる。 住環境の均質化が進む中で、様々な素材に触れ、空間を体験し、選択していくと いうことが、「育ち」に繋がっているとすれば、建築や造園というものが、こど もたちの暮らしに、微力ながら貢献できているのかもしれない。このワークショ ップの中で、建築上の工夫にどれだけ意味があるのか、もしくは、建築に意義を 見いだせない、といった思いを吐露された方がいらしたが、くじら雲のこどもた ちに出会って、私は、少し、勇気づけられたような気持ちでいる。 建築の専門家と、保育の専門家がひざを突き合わせて話しあうということは、と ても有意義で、こどもたちの暮らしをサポートする者同士、これからも、さらに 知識を深めていけたらと思う。また、このような企画があれば、是非参加させて いただきたい。
最後になりましたが、貴重な体験をさせていただいた、くじら雲のみなさん、く
じら雲のこどもたち、実行委員のみなさんに感謝致します。ありがとうございま
した。