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【NEXT FUTURE】日本文理大学サッカー部 高昇辰選手インタビュー

2021.05.17 09:00

 「自分ならではの、オリジナリティある選手になりたい」

 九州・大分にある日本文理大学サッカー部でプレーする高昇辰(コウ・スンジン/大学3回生)は、自身の理想をそう話してくれた。

 日本文理大学サッカー部とは、2020年度九州大学サッカーリーグ1部で当校初の「優勝」を果たし、全国の強豪校やJユースから名だたる実力者が揃う強豪サッカー部である。その優秀な人材が集まる熾烈な環境のなかで、京都朝鮮中高級学校出身の高選手は1回生の後期からトップチームとして抜擢された。

  

 身体能力が持ち味のストライカーは、身長こそ高くはないが、パワフルなドリブルと強引にゴールへと向かう愚直さを持ち合わせている。また、アクロバティックな態勢からでもゴールを狙える意外性があり、ボールを持つと期待せざるを得ない選手だ。

    

 日本文理大学サッカー部での”武者修行”に至るまで京都の朝鮮学校一筋で過ごし、高校進学時には強豪校から声も掛かったが、京都朝鮮中高級学校に進学することを決めた。

 その後、九州の地に出た。日本文理大学サッカー部では、レベルの高い競争が日々繰り広げられている。その荒波のなか、わずかなチャンス、わずかな隙を突くために集中力を研ぎ澄ましている。高選手が描くオリジナリティある選手とは如何に。

 今回のインタビューは、“野心高き次世代ストライカー”の今に迫りたいと思う。

九州大学サッカーリーグ1部優勝も「満足は出来ない」

  

ーー高選手は高校卒業に至るまで京都一筋で過ごしてきましたが、その後、九州の日本文理大学サッカー部への進学を決断されました。その背景にはどのような想いがあったのでしょうか。

   

:「これまで京都で多くのことを学ばせてもらいました。そして、多くの指導者の方々と出会わせてもらって、どんどんサッカーが好きになっていきました。その過程でプロになりたいと思い始め、『その為には』と、考え始めたのがきっかけです。もちろん、僕一人ではこの決断を下せませんでした」

   

ーー実際に京都の地を離れ、当初はどのような心境でしたか?

   

:「入学前からトレーニングに合流したんですが、早々に怪我をしてしまったこともあり、少し気持ちが落ち込んだ時期もありました。その環境から逃げたくなったといいますか。でも、そういった時でも京都時代のコーチや監督たちに正直に悩みを相談し、そうすると、その悩みに真剣に向き合ってくれ、今でも気にかけてくれて、僕にとっては恩師のような存在です」

   

ーーその後、高選手がトップチームに昇格したのは1回生時の後期でした。

   

:「そうですね。毎日、トップチームに上がりたいの一心でやっていて、やっとの思いで上がれた時は本当に嬉しかったです。そこからはよりサッカーが楽しく感じられました。ただ、トップチームに昇格したことはあくまでもスタートラインに立てただけに過ぎず、そこからが本当の試練だったと思います」

   

 2回生当時に臨んだ九州大学サッカーリーグ1部では、日本文理大学サッカー部初の「優勝」に貢献し、全日本大学サッカー選手権大会にも出場した。

 しかし、自身の現状に満足はしていなかった。「優勝できたことはもちろん嬉しい。ただ、自分のイメージとしては全試合にスタメン出場し100%の貢献をしたかった。もっと試合に出て力を示したかったという悔しさが残ります」

 高選手はプロになる為には更に圧倒的なパフォーマンスと結果が必要だということを繰り返し話していた。

わずかなチャンスで結果を残す

   

ーー自身の夢を叶えるための大学生活が残り2年となりました。現状を踏まえたうえで、どのような心境を持っていますか。

   

:「3回生になった今季は本当の意味で最後の年だと考えています。昨年からトップチームの試合に出場するようになりましたが、どこか自覚が足りませんでした。今年はもっと自覚を高めて取り組む必要があると思っています。そういった意味でも今季のリーグ戦では、主に途中出場ではありますが、そのなかでも得点などといった結果を残せていますし、今後もこのようなわずかなチャンスを全て掴みにいきたいと思っています」

   

ーー「わずかなチャンスを掴む」ですか。

   

:「そうです。どこで誰が見ているのかは分かりませんし、いま目の前にある小さなチャンスを全て掴んでこそ大きなチャンスが転んでくると思っています。これまでのサッカー人生ではそのような目の前の小さなチャンスを取りこぼしてきた経験があるので、今は目の前のことに集中しています」

   

ーーそのような目の前のチャンスを掴むため、日頃から意識していることはありますか?

   

:「結果です。そして、その結果を得る為の“駆け引き”ですね。これまでは身体能力に頼るような感覚的なプレーが多くありました。高校まではそのプレーでも通じるんですが、今後自分がプロを目指すにはその本能的なプレーだけではいけません。なので、相手との駆け引きに勝ち、如何にシンプルにゴールを奪えるのかという部分を特にこだわってやっています」

   

ーーそのうえで参考にしている目標の選手はいますか?

   

:「FC今治の梁賢柱選手です」

    

 梁賢柱選手(リャン・ヒョンジュ/以下:梁選手)とは関東大学サッカーリーグ1部早稲田大学ア式蹴球部から2021シーズンFC今治への入団した、高選手の2つ上にあたるJリーガーだ。

   

 梁選手は、大宮アルディージャU-15、東京朝鮮高級学校を経て、早稲田大学に入学。2015年にはU-17朝鮮民主主義人民共和国代表(以下:朝鮮代表)として「U-17W杯チリ大会」に出場。2018年には、U-23朝鮮代表としてインドネシアで開催された「アジア競技大会」に出場した。

 高選手の課題である「ゴールへの形」を持っている選手の一人でもある。

     

:「梁賢柱選手とは高校1年の時に全国選抜として一緒に平壌に行ったんですけど、その上手さに驚きました。しかも、上手いだけでなく着実に結果を残すことも出来るんです。その姿に学ぶべきものがありましたし、僕自身も負けてられないと思ったことを覚えています。また、在日コリアンでありながら、日本の大学サッカー部で活躍した先輩としての憧れもあるし、今後超えていきたい存在ですね」

     

 梁選手を目標に据え、更なる高みを目指す。しかし高選手は、決して他の誰かに染まるつもりなど、一切ない。

恩師たちへの感謝を胸に


:「あくまでも参考や目標にしている選手は他にもいますが、『その選手みたいになる』ではなくて、その選手から『盗む』といった感覚に近いです。そのうえで僕は僕ならではのオリジナリティある選手になりたいんです」

   

ーーなるほど。では高選手が現在思い望む理想像はどのようなイメージですか?

   

:「身体能力を生かした力強さももちろんですが、そこに加えて、駆け引きでの緻密さであったり上手さを兼ね備えていきたい。豪快かつ賢いプレイヤーになりたいです」

   

ーーありがとうございます。では最後に高選手のこれからの抱負をお聞かせください。

    

:「応援してくれている京都の方たちの為にも頑張りたいという気持ちがあります。先程も言いましたが、僕は京都時代に多くの指導者の方々と出会わせてもらって、サッカーで上を目指したいという気持ちが芽生えたんです。その方たちは今でもトレーニングにみっちり付き合ってくれたり、常に応援してくれています。だからこそ、僕が苦しい時やモチベーションが不足している時はそういった方たちの想いを起こしてモチベーションを高めていますね。なんとしてでも、そんな方たちに自分の良い姿を見せたいです。僕の最終的な夢は朝鮮の国家代表になることです」

    

 これからも感謝の気持ちを忘れることはない。それほどに高選手にとって、恩師たちの存在は大きなものだった。

 “京都産次世代ストライカー”は、これからも愚直に夢に向かって走り続けるだろう。

   

 そして、全国各地には高選手同様に次世代を担うであろう若き在日フットボーラーがたくさんいる。そういった“原石”たちが切磋琢磨し、成長することによって在日コリアンサッカー界も新たな未来を形成していくのだ。今後も次世代を担うであろうフットボーラーたちの動向に注目していきたい。