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祖父が最期にくれたもの

2016.12.08 04:14

私事ですが…

先日、祖父が天へと帰って行きました。


少し前から覚悟はできていたのですが

いざとなると、堪えました。


祖父がいなければ

私はもちろん、父も、子どもたちもこの世には存在し得ないわけで。


亡くなる命があれば

生まれてくる命も

同時に存在し合っていて。


地球に命が行き交う映像が浮かび

なんだか気持ち悪くなったり。

(きっと本質に触れたから)




祖父の生き方から感じるものも沢山あり

この一週間は私にとって

すごく深く人生を見つめ直す時間となりました。


葬儀では普段会わない親戚にも会い

同じ血が流れている者同士であっても

生き方も価値観も全く違って。


また気持ち悪くなって(笑)

(だってそれも私の一部だから)




人は皆、自分の経験から自分だけの哲学を持ち

それは正しいとか間違っているとか

そういう物ではなく

皆、自分の信じたいものを信じ

大切にしたいものを大切にし

それがその人の「正解」になっていくのだなと。


そして、自分が大切にしたいものを

堂々と大切にしたらいいのだということ。


どのみち誰かを傷つけることになるのだとしたら

自分の大切な人を守ればいいのだ。


自分の想いこそ一番に大切にしなければならない。




祖父はキリスト教を信仰していましたが

それは、私が思っていたよりも熱心なものだったみたい。


何年か前にリーディングしてもらった時に

イエス・キリストが生まれた時を同じくして

私も生まれた過去があったことを知った。


もしかしたらその人生でも

祖父と一緒だったのかもしれないなと

ふとそんなことも思った。


私の中でもキリスト(教)の存在は当たり前にあるし

祖父がお空に帰った今

キリスト=祖父

となった。


昨日も渋滞に巻き込まれ

思わず祖父に助けを求めた(笑)




肉体は滅びてしまったけど

存在はより濃いものとなり

なんだか不思議な感じがして気持ち悪い。(またかよw)


少し前に流行った

「♪私の〜お墓の〜前で〜」

という歌があったが

本当にその通りだと思う。


いつでもどこにいても

私が祖父を思い出し感じれば

そこに祖父は存在するのだ。




そして、自分が信仰していたキリスト教式の葬儀を執り行ってもらえて

たくさんの家族が集い涙してくれて

「あぁ、おじいちゃんは幸せだね」

と、少し羨ましくもなった。


どこかの言葉で

生まれた時にはみんなが笑い

亡くなる時にはみんなが涙する

そんな生き方が幸せだ

みたいなものがあったと思うけど

本当にその通りだなーと。


私もそんな風に見送ってもらえるように

精一杯生きていこうと思った。



「死」は誰にでも平等に訪れる。

だったら思いっきり好きなように生きるのみ!!


誰かに遠慮なんてしている場合じゃないのだ。


自分が生きたいように

自分が「幸せ」だと感じるように生きればいい。


お金や地位や名誉なんかでは

「幸せ」は測れない。


誰かと比べて劣等感を感じる必要も皆無。

自分の生き方に堂々と胸を張っていたらいいのだ。



祖父を感じる時

「ありがとね〜」と

満面の笑みで微笑む祖父がそこにはいる。


色んなことがあったけど

きっと祖父は幸せだったのだと思う。


私も常識にとらわれず

人の目を気にしず

思いっきり生きていこう!!


そろそろ私もいつものペースへと戻っていこう。

少しずつね…♪


ありがとう!

また逢える日まで^^