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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説45

2021.05.12 23:00


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



すこし、懐かしいけど。

不幸なことには母がもう一度金色の誰かさんに忍び込まれたことだ。

その夜に、僕は物音に目覚めた。

ベッドの中には僕の気配しかなかった。

母は流しの近くに立っていた。

後ろに昏い翳りがあった(…すくなくとも、そう十二歳の少年の眼は記憶した)。反対にあざやかなのは母だった。

ひとりで母だけが際立っていた(まるで何かの供物が奇蹟的に差し込んだ一筋のひかりに照らし出されたかにも似て?)。

窓からの光が母だけを出らして居た(嘘。そうじゃない。手当たり次第、いつものように照らしながら、母も差別なく照らし出されいたのだ)。

逃げようとしたのだろう。

母は後ろから翳りに占められていた。

怪しんだ。

餘に華奢な人影だったから。

そこにいるのが僕と同じくらいの子供だとあやしんだくらいに。

孤独に際立って目を見開いた母の眼があった。

僕は助けようという氣さえ起こさずに母を見ていた。

どれだけ時間がかかったのだろう?

人はなかなか死なないものだ。

僕ははっきりとそう悟っていた。

軈て、いつという切っ掛けもいつという記憶もないなめらかなだけのその時に、母は崩れ落ちた。

手を離したから。

僕は母を見ていた。あお向けて、大股を開け、腰をひん曲げたように倒れて、そして一二度起き上がりそうにもゆらゆらして、そして、とつぜん雪崩れた。

母はのけぞって横たわっていた。

騒音が耳にした。

見ると部屋の中はただ靜かだった。

翳りが部屋から走り逃げたその時のドアが鳴り響いた音だったのか。

遠ざかる足音がいつまでも聞こえ続ける気がした。

母をまたぎ、見下ろす。

そのとき、僕は自分が翳りのしたことの模倣をしている気がした。

ぞっとした。

母は死んでいたに違いなかった。

確信がなかった。母は實はすでに死んでいたに違いないと思った。二度殺されたのだ。僕を宿らせた時の、あの十五歳の時。そして今。だったら彼女はふたたび生き返って再び苦しみの多い生を繰り返すに違いなかった。

堪えがたかった。

僕には。

僕は母の何時も使った包丁をつかんだ。しっかり母を見詰めながら、その目に突き刺した。深く。抉るように。

もう二度と目覚めないで済むように。

右の眼も。

僕は自分で通報した。

 Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen,

 來たれ娘ら、俱に歎かん

 Sehet -Wen? -den Bräutigam,

 見よ。…誰を?…その花婿を

 Seht ihn -Wie? -als wie ein Lamm!

 彼を見よ。…どちらの?…子羊のような!

 Sehet, -Was? -seht die Geduld,

 見よ。…何を?…彼の忍耐を

 Seht

 見よ。

僕は泣いても居なかった。動揺しても。僕は僕の心がただ靜まりかえるのを聞いた。

 - Wohin?

 …いづこを?

雫さえ埀れず、波紋すらたたない

 -Wohin?

 …いづこを?

昏く澄んだ水の面を

 -Wohin?

 …いづこを?

ひとり見た。

 -Wohin?

 …いづこを?

言葉も無く

 -auf unsre Schuld;

 …我等の罪を

大人たちが事の始末をつけて行くのを。母の亡骸からさえ隔離されて。僕をは阿波元方氏が引き取った。部屋の家主、母の二十七で死んだ母の四歳下だった。

彼の阿波家に引き取られて、元方氏の家族の中での立場が思い知らされた。我が侭で、手の施しようがなく、資産食いつぶしの元凶、と。大学在学中に子持ちの女と睦みはじめたのだった。籍も入れない儘その遺児を引き取るという。一課の不協和音そのものだった。家はそれなりの資産家だったが彼には手持ち資産など十數万円の貯金しかなかった。勤務二年足らずに使わずたまたま残ったはした金、という意味の貯金、ね。

彼は親に縋って…ないし、詰り怒鳴りちらすことによって僕を養育した。

大學には行ったときには彼の保護を離れた。彼の意向にはそぐわなかったけれどね。学費は彼が出した。大学で国文学を(尤も非生産的な学科ということで選んだ)学んだ。一年半だけね。そこで出逢ったのがかの久村氏です。ほとんど大学には顔を出しませんでしたが。

夜のバイトが忙しくて。ホスト。勧めたのは久村ですよ。放っておいても女が寄ってくるんだろ?いいんじゃない?って。

それから26歳ぐらいで目が覚めたように絵画にめ覚めて…即ち、自分の描くべき絵をはじめ知ったんです。…實はそれまでもペインティングでそれなりに名が通っていたのですが、それは迷いの中の、いわば雛のよちよちあるきの眼差し。

巢籠の中のね。空を知った鷲がもう一度巢籠でひよこと窮屈に共に休もうと思うでしょうか?巢に替えるのは鮭だけで十分。自分の縄張りでしか生きられない蚊や蠅のようでありたいと思いますか?

もっとも、誰も理解しませんが。

敢えて隠しませんが、所謂精神病院というのに出たり入ったりしたのは事実です。中学を留年しているくらいですから(母親の事件で、保護という名の不当な拘束にあっていたのです)なんども、繰り返し。

なにも面白いことはありません。

患者体も見慣れれば退屈なものです。せめて自分の舌でも引き抜いて裸踊りでも踊ってくれれば面白いのですが(…所謂狂人とあなた方にはあなた方と狂人たちが思う程の差異はない。四本脚の犬と三本足の居ぬほどにも違わないのです)。

ところで、さっきから憂鬱と冴えた感覚が同居します。何故?

自分の事を語るのは、思った以上につかれますね。

ぼくに、僕の心がつぶやきます。

 Blicke mir nicht in die Lieder!

 Meine Augen schlag' ich nieder,

 wie ertappt auf böser Tat.

 わたしの歌を覗かないで!

 まるで惡さでもしたみたい

 うつむいてるしかないみたい

                     せめてもの羞を知る者

追記、次はせめて未来について話すべきでしょうね。ぼくらは。

〇香香美あて圓位文書1

(并餼から阿輸迦王に。メール、2019年9月03日)

 Ich atmet' einen linden Duft!

 Im Zimmer stand ein Zweig der Linde,

 ほのめきたつ香りを嗅いだ

 部屋に菩提樹の小枝があって

 Ich atme leis in Duft der Linde

 der Liebe linden Duft.

 香りただよい舞ううちに

 そっとほのかな愛の香を嗅ぐ

いまも遠い異國の地…南のブーゲンビリアとプルメリアの花の影落とす海辺にお住まいなのでしょう。

初秋、未だ紅葉の色の前触れもない残暑の東國にひとり羨ましむ次第。

不思議に、いつかあなたに奇妙な親しみをさえ感じ始めます。

あなたの話を拝読して、ふと思い出したことがありました。

つまらない説法を始める気はありません。あなたには不用でしょう?又これは私にとって個人的な話でもなく、さらに言えば一部で有名な話です。ご存じかも知れない。

広島の原爆投下の直後に附近の収容所に収容されていたということなのでしょう、市街地の電柱に針金で張り付けられた米兵の死骸が転がっていたという話。

おそらく、原爆直後の混乱の中…文字通り

 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍

 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍

の惨状が市街に拡がる譯で、その悲惨は思うに想い描き得ないものだった筈ですが、その中でおそらくは被爆しかつ被爆したかたがたっかのリンチを喰らった、ということなのでしょう。

ある人の曰く、気の毒に異国に死ぬ、と、そう思ったと。ある人の曰く、こみ上げる怒りと共に石を投げつけたとね。

ここからさまざまな教訓を引き出せるでしょう。

また、人はそうするべきでしょう。

ですが私はそれ以前に、彼の最後に見た風景を思うのです。

内地に住む人でさえも阿鼻叫喚の爆風、熱風、破壊の嵐と業火の内に、周囲に立つ異国語の響きと死穢の群れの中で。

彼は何を見ながら死んだのでしょうか?

私には死んだ者もそれを憐れんだものもそれに石打った者も、すべからくひたすらにただ痛ましくならないのです。

これはこちらに流れ着いてから、広島の方に出向いたときにふと伺った話でした。未だ自虐史觀という言葉も席巻して居なかった頃のこと。

また、こんなおばあさんにお会いしたことがる。是は、この島で。こちらの沙羅樹院のお世話になり始めてからですが、島の祇樹古藤記念園という事前施設に入院された息子さんを見舞いに来られた方で、おばあさんと云えども今思えば今の私よりもはるかにお若くてらして。年のころ60ばかりでしょうか。

四十近い息子さんがどうにも今に言う鬱のひどいの?…察するに、関東の医者に藥づけにされた弊害でということみたいですが(是はそのおばばさまが暗に仄めかされたのを察しただけ)ま、お世話になられると。

お若くていらしていたわしい次第、こちらの同情もひとしおのところお伺いするに抑々の因縁、息子さんの飲酒運転が因のようでしたようで、飛び出してきた子供を引き殺して仕舞ったと、跳ね飛ぶ幼子の姿が思い出されて鳴らないところにその子、ひとり子でらして三十なかば超えてようやくに恵まれたお子だったような話。

ご両親もなかれるわけですね。

頭を下げに入ったがよいが、飛び出しは飛び出しでして、且つはその運転手のほうもなにも泥醉したわけでなし、友人の家の新築祝いで昼間一滴二滴およばれしたに過ぎない由、親ごさんも年の功非常におできになった方でらしてなにを責め咎めるわけでもないのがむしろ一層身中を掻き毟られ曳き裂き苛まれる悔恨のみ感じさせ、どうにもいたたまれぬ、と。

香持つ手も震える次第のしだいしだいにお心を病まれて。

終に島に渡られたということを語られるうちに不意におばあ様曰くに、…なにを恨んだんならいんでしょうかと。

私は若くて、そのときにはいいえ何も恨みますな、何も思うますな、何をも咎めなさいますなとね、しかれども、口でははぁはぁ殊勝な得意顏にお聞きになられながらに庭に出られてしばし散策するときに、ふと、それでも、いっそ狂ってしまえればいいと。

息子さんも、わたしも、いっそ狂ってしまえばいくらかは…とね。

あなただったら、なんといわれますか?

私はただ、ひとこと言うに、花がきれいですな、と。

時はちょうど夏の終わり、寺本堂両脇に沙羅の樹(タイの國に言うサーラの木)が地から湧きたつように咲いていて、我々日本人にはなんともグロテスクな花でございますが、咲いてますな、と。