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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説46

2021.05.13 23:00


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



おばあさん、そうですね、と。

そして、結果、どうなったか?

それだけ。おばばさま、其れから日の髙いうちに歸えられて、愚僧、翳りゆくに庭を見るともなく見て何をはかなむともなく、心に思いの形の纔かにだに結ばぬ始末、なんとも。

 生生生生暗生始 生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く

 死死死死冥生終 死に死に死に死んで生の終りに冥い

又時代も場所も異なるいつかに誰かが

 Jetzt nehmt den Wein! いまこそ取れその盃を

 Dunkel ist das Leben, ist der Tod! 生は暗く死も又昏い

尤も、空海の昏いとはわからぬ、ということで、マーラーとハンス・ベートゲの翻案李白のは其の儘存在否定の暗い、ということで、違いは違いとして決定的に違いますがね。

ところである友人がいた。島のおじいちゃん。是はわたしの年上だったひとで、もうなくなられたけれども、ご健在の比はわたしのへたくそな尺八をいいといわれてね、習いにこられて、時に哥の話になって頃は櫻もさかない今の如月、西暦の二月ね。いまのひと、わからないのね、櫻は如月、と、いってもそれは二月でしょ、と。とまれ櫻の蕾みも無い中にそんなふうな話のあいだに言われたのがそれ、櫻を儚むのは唯の阿呆ですよと。

なぜ?

だってあれは櫻にとっちゃ枯れ木なす冬からの目覚めのくしゃみのようなもの、飽く迄そのあとの新緑の茂りの魁でしょう?どこに花さく一週間のうちの爲にだけ一年凌ごうちう櫻がありますかと。それ、人が阿呆で勘違いに儚むだけ、すこやかな大樹の目覚めのくしゃみにすぎませんとね。

其の新緑も濃く成るだけ濃くなって、もうそろそろ散り時をさぐるころあい、庭の沙良もすでに花散らし終ったところ。

 Ich bin der Wert abhanden gekommen,

 わたしは此の世に忘れられ

 Ich leb' allein in meinem Himmel,

 in meinem Lieben, in meinem Lied.

 私の至福の、私の愛の

 私の歌のうちにのみ生きる

花の心木の心、察したと思うそれこそ人の阿呆、そんなものかもしれませんが。

以上、ただとりとめもなく。

                     腐れ坊主

〇圓位あて淸雅文書2

(阿輸迦王から并餼に。メール、2019年9月04日)

今更雪零目八方蜻火之燎留春部常成西物乎

 伊麻沙羅邇

 由伎布良米夜母

 迦岐呂比能

 毛輸流波留倍登

 那利丹志母能乎

嚴島沙羅樹の翳りの師に。紅葉を待つあなたにとっておそらくは季節感を大きく外した歌に始めることを詫びなければなりません、尤も常綠樹の下げた蔦の翳りに隱れるここにいるかぎりあなたに身近かの季節感は抑々存在しはしないのです。

個人的な追憶として、海を渡る時にわたしが唯一日本から持参した書物は萬葉の校本一卷でした。やまとうたはひとのこゝろをたねとしてよろつのことのはとそなれりけるというのは事実だったでしょう、ともあれその種に生じた葉を見る時にだれがその種の形を見匂いを嗅ぎ色を見るでしょうか?

わたしが萬葉一卷を持参したのはひとのこころのざわめきそのものから離別するためだったに外なりません。あなたはむしろ山に離れることによって花の色を見ようとするのでしょうか?久村のわたしに傳えたことが事実なら、願わくば山に遠く見る花の翳りの下に添うて死のうと?

花の翳りの色の、あなたにそれ以上のあわく且つは解き難い陰影を沁まさぬことを願うばかり、なぜならあなたのような人こそあれよりも傷つきやすいはずですから。ところで、師よ、未来の話です。

誰が何と言おうと画家であるわたしは(仮にまともにさくひんを発表しもしなければ故に称賛されることのない…とは言え、罵倒と軽蔑だけ身に浴びるのはいかがなものでしょうか?いずれにせよ、私が私を画家としてこそ認識していることは事実だったのです)その影の翳りのもっとも深い處で革命家だったのでした。それは久村も知る王黃鸎という片足の自稱中國人に焚きつけられたことだったかもしれません。おそらく、王黃鸎は我々すべての(時ならぬほどに寵愛され金銭援助さえ受けた久村を含めて)彼がわたしの子供と呼んだ青年たちに、かの拠点たる赤坂の彼の持ちビルの最上階事務所でその偽名と信じられ疑われなかった名前で呼ばれながら、左右色の違う目で我々にやさしく微笑みかけた。おそらく彼は父親として存在せずにむしろ母親のように存在しようとし、そしてむしろ口うるさく同時になげやりな姉のように存在することに不本意ながら成功した、そう謂えばいいのでしょうか?或いはあなたが興味あれば久村に尋ねられればよりこまやかで私のように恣意のない王黃鸎のイメージを鮮明に与えてもらえるでしょう。わたしがあなたに与えられるイメージは久村のデジタルカメラによる解剖映像の如きではなくて、むしろ短編時代のグリフィスのモノクロームの古い映像に近い。リリアン・ギッシュの髙貴さのない王黃鸎は、もちろんときに聲を立てて笑いながら窓越しの光にその表情を刻ませ、邪気もなく云った。

あなたたちは、もっと、あたらしい風景、みなければね。

彼のお気に入りたる私たちは彼の言葉に耳を傾け、そして又王黃鸎は云った。

あなたたちが見るの、それ、あなたたちの風景、…ね?それは、ぼくの見た風景、違う…ね?

声を次第にしだいにひそめつつそう云って

そうでしょう?

彼は笑った。はじめてあった時から彼の傍らに添うていた少女、…もっとも大きく見積もって上限十八歳未満、その華奢な浩然(…ハオ、ラン。われわれは比呂、ないし許宇と、浩の一字を取って多くの場合彼女をそう呼んだ)遠く思い出しても垣間見た一瞬の桃色の夭たる夢のように美しい人、比呂はむしろ老人を嘲るように窓際に刹那みやり、そしてその背後から黃鸎の正面にソファに身を投げた我々を見て、すこしだけ笑んだ。葉の翳りにしかも色を隱しもしない白い夏の椿にも似て。

私と久村がその名を號して白雪革命集団に参加したとき…それは外に対して閉鎖的だが内に於ては自由な所謂秘密結社のようなものだった。すでに会員は百人近くに膨れていて、彼等はそれぞれに議論に興じた。彼等にとっては何より議論こそが必要だった。なぜならやるべき事は既に見えて居乍ら、その方法とたどりつく結果はまるで見えて居なかったから。やるべき事、即ち国家という統治形態そのものも超克。まるで乙女の夢じみた名前の由来についていえば、それは単に王黃鸎の個人的な感傷に基づく。其よみひと未詳ノ歌曰

梅花咲落過奴然爲蟹白雪庭爾零重管

 宇米能波奈

 沙伎智利須岐奴

 志迦須賀邇

 斯良由伎丹波爾

 布利志伎利都都

革命集団に入会するのは到って簡単だった。会員の誰かが王に紹介し、かつ王自身の気に入ればそれでよかった。思うにその知性の度合いと性格的な良否は問われなかった。おそらくは黃鸎にその基準など無かったに違いない、彼はいつか行った、…知ってる?

——なに?

蜥蜴には蜥蜴の眼、…ね?あなたにはあなたの眼、…でしょう?

——眼?

鷲には鷲の、虎には虎の、…ね?

——それで?

どの眼が正しいって、誰が言った?

そうささやく黃鸎にとって、彼の選別の基準は彼にとって美しく見えるかどうだったかに違いない。おそらくは同性愛者からいつかのなにかの契機に川をわたってバイになったらしい王にとって、彼に美しい男以外の男に囲まれるのは不愉快以外のなにものでも無かったのだろう。尤も彼の美の基準はときには私たちの多くの予測した基準をおどろくほどに超えた。それについてはまたいずれ。

ともあれ我々は話し合い、議論し合いながら具体的な方法をもたず、方法の無い故にその結果を見ない儘に時間をすごし、軈て王黃鸎その人はその身を土に隠してしまった。しかすがに白雪は溶けるでもなくて比呂の、…その浩然の周辺に、彼女がなにを仕掛けるともなくに維持され、保持されるどころか次第しだいに膨張した。浩然は王からは何も譲り受けなかった。その新規会員の選別權さえ彼女は讓られず、それどころか誰に譲られるともなく、自然会員本人の選別によって行われた。故、いつか選別は慎重に判断すべき倫理の第一義にさえなりおおせた。

王黃鸎を愉しませはしても無益だった我々の議論は、時を經てそれなりの方法論を手に入れにそうなっている。その視察を兼ねて古への舊友たちにもういちど逢おうとしているのです。本当は、それが次の帰国のもっとも大きな理由。

そして、おそらく私は例の美しい夢の少女にももう一度会いたがっているのでしょう、コウ、ヒロ、ハオ・ラン、浩然、彼女に。我々のうちだれもがその名字…ファミリーネームを知らない儘だった、——そしてそんなもの、おそらくは彼女の永い長い永遠に近い固有の時間の中ですでに忘れられてしまったに違いない浩然。晝の光に見た夢の人。こんな思い出がある。

コウはひとりで一番町の千鳥ヶ淵を見おろす古い昔の高級マンションの最上階に住んでゐた(おそらくは黃鸎が買い与えたのでしょう、王は損害を嫌う人だった。彼にとって与えることは獲得することに他ならなかった。譬え比呂の身がいかになろうとも、それはいずれにせよ彼の資産の一つだったにはちがいないから)。そのマンションに、私がまだ白雪に入会して日も浅かった十九歳だったかの比に、しのび込んだことがあった。

何をもとめて?

私にはわからない。その時には顯だったに違いない。でも、いま、その顯らかだった輝きは消えて仕舞った。すくなくとも私の眼には捕えられないのだった。まるで飼い犬がまよいさ迷う彷徨の果てにでも終には栖み家に帰りつこうとするかにも、わたしはその夜明けの前の比に歩いた。その一番町の街路を。

すでに人氣はなく、未だにも人氣はない日昇の光の東に空間を裂き始める寸前にわたしはマンションのロビーを入った。二十四時間常駐だったはずの管理人たちはフロントには居なかった。あるいは通りがかりに私が喰い千切ってしまったか?冬だったに違いない。

エレベーターの中に入った時に、いまさらに館内の暖房に肌が一気に上気している事実に気付いた。思った、…たしかにそうなる以外にすべはない、なぜなら雪が舞っていたから、と。

吾袖爾 零鶴雪毛 流去而 妹之手本 伊行觸粳

 和我蘓傳爾

 布利都流由伎母

 那我禮沙利弖

 伊母賀多毛斗邇

 伊由伎布禮奴迦

ベルを鳴らすことを思い附く前に、わたしは思わずドアノブをまわした。そのとき、開錠の爲に結局は彼女を起こさなければならないのだと思った時にわたしの掌は知っていた、すでにドアが開かれていたことを。わたしは玄関の中の暗がりに身をすべられせて、そして物音を聞いた。

なにも聞こえなかった。

彼女は休んでいたに違いなかった。

以前に安原という男と、王につれられて此処に来たことがあった。だからその時の記憶の儘に進んだ突き当りの居間に入った。ひたすらに廣い空間の(…何畳あったのだろう?一般的なファミリーマンションの2LDK一つ分くらい?)向こうに空は未だに明けない儘のあざやかな暗がりをさらしていた。いつもの常に、カーテンは閉められてはいなかった。わたしは左の眼のはしにかすかにそれ、靑暗い鮮明な統一の破綻が萌しているの気付いた。それからは目を逸らそうとしたかのように、わたしはすでに身を翻していた。

比呂の寝室のドアを開けた。

彼女の残した体臭がわたしの眼をくらませた。

わたしは赤裸々に、彼女に愚弄され、容赦のない軽蔑とともに誘惑されたのを感じた。

ベッドに誰の影もなかった。比呂はそこにいなかった。

彼女は逃げて仕舞ったに違いなかった。

わたしは彼女に逃げられたに違いなかった。

だから、わたしのその認識はふと気づいた瞬間にはわたしをあからさまな悔恨と喪失で満たして仕舞ってた。わたしは彼女の残したあまりにも綺羅らかな香の充満の中に、彼女に見捨てられひとりその不在の内に取り残されて仕舞ったのだった。

喪失の想いが舌に味覚だに染ませ胎内にせりあがって終にいたたまれずに振り返ったそこ、開かれたドアの傍らの彼女は立っていた。

やわらかな部屋着の儘、寝起きで、そして壁に身を靠れ。

比呂はささやく。

——どうしたの?

私は思わずに、笑みに顏を崩した。

聞く。

——いきなり…

その聲、やや髙めの、そしてすこし硬い音色のソプラノ。

——ぼくに気付かなかった?…どうしたの?…まだ、夜じゃない?…なにか、あった?