GAME CHANGE
幸せの在処(ありか)は今どこに?
子供の頃に夢中だったゲームや玩具を未だに追いかけることがないように、人の興味・関心は年と共に変化していく。
それは皆さんが日頃よく使う 価値観 や 幸せを感じるポイント も同じではないだろうか。
散々「自分の時間が欲しい」と言っていた彼も、自分の時間など持てなくても十分に幸せであることに気付いたようで。
また、あそこの彼女も「自分を分かってくれる人が居ない」と言い続けていたのに、今ではベクトルが他人優先になり「彼の喜ぶことがしたい」と言うようになった。
人は変わる。
ただ、その変化は生物学的に歳を重ねることで自然と起きる変化なのか、環境や体験による刺激から影響を受けて変化したのか、はたまた予期せぬ時代の流れによって最適なマインドになるよう本人の知恵と悟りでピント調節をした結果なのかは分からない。
何がどう働いたのかは分からないが、間違いなく 物より体験 に人々の価値が移行している。
・・・私は人生で最も重要なことは「良き思い出を作ること」だと思っている。
このコンセプトはシンプルで良い。
困ったら、迷ったら「よい思い出を作る」という観点で物事を見れば良い。
そこに争いは要らない、自己満足は欲しい、他人の喜ぶ姿は欠かせない。
他人に優しくしたけど見返りがなかった場合、そもそも見返りを求めている自分がいけない。
「あいつは感謝がない」と言っている時点で、感謝されてしかるべきと思っている自分がいけない。
これらは、よい思い出を作るのに相応しくないマインドである。
かつてはユニクロの洋服を「中に着る分には良いよね」という会話があったが、今ではユニクロを着て街ゆく人とカブっても、別に気にすることがなくなるというトコロまできた。
これこそがプチ仏教。
ユニクロがカブっても気にならないのは間違いなく人々が次のステージに移行している証。
人々がブランドや、衣服によってステータスや社会的価値を採寸する時代が(一時的に)終わり始めている証拠でもある。
そんなことよりも、性格が明るいだとか、幸せそうに仕事をしている姿が素敵だとか、自分との相性だとか、確実に20万を運んでくる優秀な父親だとか、そういった素の部分に目を向けるという無意識の仏教的悟りが蔓延する社会とは、やはり景気が良くないということなのかもしれない。
これに対しネガティブな感情を持つ必要はないと思っていて、ただ今は「そういう時」だという理解が求められているだけなのである。
景気は悪いよりも良い方がいいが、悪くなり始めのムードさえ乗り切ってしまえば、お金が無いほうが「無くても楽しめること」を人々は探し始め、そのほうが原始的な快楽や喜びに触れる機会が多く、個人的には意外と嫌いではない。
コロナは多く見積もって、あと数年。
その後もゼロにはならないものの、ある程度の景気回復は当然 成される。
しかし、それとは別問題(対米 対中や少子化など)で右肩下がりを予測しない評論家は誰一人として居ない。
今私たちに求められているのは、お金を作り出すスキルもいいが、それ以上に 幸せを感じる力 に他ならない。
私は20代前半で「向上心と現状に満足を感じることの反比例」を悟った。
それが後に知るパーキンソンの法則にも繋がっていた。
お金は稼いでも稼いでも、もっともっとが欲しくなる。
やがて生活レベルは上がり、収入に応じて出費は増える。
向上心として頑張っているのか、現状に満足する力が低くて「もっと」を求めているのかは際どいところ。
これを絶えず自問自答し続け、最近のトレンドという感じで常に変化する自分の幸せに対し周波数を合わせていくための感情教育が重要である。
幸せの在処(ありか)は今どこに?
自分が今欲しいモノは自分で理解できると良い。
無駄を省き ➡ 経済的にゆとりを作り
➡ そのゆとりで仕事の手を少し休めるという贅沢を味わおう
無駄を省くとは・・・?
他人から良く見られたいと思って買う全ての物である。
私には時間がある。。