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映画『ペイ・フォワード 可能の王国』

2018.05.13 14:18

Facebook・船木 威徳 さん投稿記事【 私の好きなことば 】

私の好きなことば、愛していると言ってもよいくらいのことばに「恩」があります。

辞書を引くと、「めぐみ。いつくしみ、情け」「人から受ける感謝すべき行為」と書いてあります。

しばらく前から、私がしばしば想い出す人がいます。

私が大学生のころに数回、医師になってから、その人がある病気で相談を受けた時に会ったくらいで実は名前も忘れてしまったのですが、なぜか、一度聞いた、その人のことばが忘れられないのです。

一緒にタクシーに乗ったときだったか食事をしたときだったか、支払のときに、ずいぶんな額を上乗せして(学生だった私にはそう感じられました)お金を差し出していたのです。

私が、なぜそんなことをするのか(お金がもったいないではないか?と)その人に尋ねたときに、はっきりこう言われたのを覚えています。

「え、あたりまえじゃないの?ぼくは前から、タクシーでもレストランでも必ずお礼をこめて、多めに払うよ。」

もともと、少し変わった人だと感じていたのでそのときには「そんな人もいるんだ」というくらいにしか思いませんでした。

それが、自分でも本当に想い出せないのですが、いつからでしょうか。10年くらい前からか、私がクリニックを始めたころからでしょうか、私もいつのまにか、同じようにしています。

街の中華屋さんでも、タクシーでも、居酒屋さんでも、旅館の部屋担当の人や食事係の人にもお金を直感で決めた額を上乗せしたりお礼として手渡ししたりします。

特にタクシーの運転手さんにはワンメーター分では申し訳ないので2000円はお渡しします。

なぜか。相手の人の喜ぶ様子を見て、自分もうれしい気持ちになれるからです。

もう会うこともないであろう人がほとんどですがその人が、ほんの短い時間のできごとでいい気持ちで仕事をしてくだされば、また次のお客さんに笑顔でサービスをして新しく笑顔で過ごせる人を増やしてくれるならどうということもないことです。

なんとなく、気になって、「恩」ということばを調べていたら、「恩送り」ということばを知りました。

「恩送り」とは「親切をしてくれた当人へ親切を返そうにも適切な方法がない場合に、第三者へと恩を『送る』。

恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で善意を具現化することができるため、社会に正の連鎖が起きる・・・江戸時代では恩送りは普通にあったと井上ひさしは述べている・・・。」

(Wikipediaを参考、改変)

中学生のころ、旅行をしている途中、秋田県の羽後本荘(うごほんじょう)駅で駅員さんに一晩待合室を開けたままにしてもらい翌朝の始発列車まで泊めてもらったことがあります。

高校生のときには、真冬の夜のこと、もうすでに廃止されたJR北海道・松前線の旧・千軒(せんげん)駅の駅員さん用の宿直室に泊めてもらい、カップ麺までごちそうになったこともありました。

夜中、臨時で走った排雪モーターカーという除雪車両にも乗せてもらいました。

北海道・旭川市に住んでいた大学時代は、お金もなく、実家の神戸まで船や普通列車を乗り継いで行き来していたため、たくさんのひとたちのお世話になったものです。

当時、FM仙台のアナウンサーの方とひょんなことから知り合った私は、一度、仙台に伺ったことがあるのですが、そこでは地元の夕飯をごちそうになり、ホテル代も払っていただきました。

その際、そのアナウンサーの方に「私も、船木さんと同じように、旅行が好きでいろいろなところに行って、たくさんの人に助けてもらったり、ごちそうしてもらったりしました。

私はそのときの恩を返しているだけ。だから、船木さんも、将来、若い人たちを助けてあげてください。」と言われたのをいまでも忘れません。

医師になって、5年くらいのころだったか学会発表のためドイツに旅行し、ひとりでフランクフルトでビールを飲み歩いていたときも、おじいさんが旧・日本兵と知り合いだったという方に、ごちそうしてもらったことがあります。

私のつたないドイツ語が通じたことがうれしくてたまりませんでした。

先に引用した「恩送り」の説明は続きます。

「・・・ただし、現代の先進国などでは人々が、こうした良識やモラルを忘れがちになり、極端に利己的で近視眼的になる傾向があることやそれが社会的に見ると様々な害を引き起こしていることはたびたび指摘されている。

そのような状況の中、近年、英語圏では『恩送り』に相当する概念が、Pay it forward(ペイ・イット・フォワード)の表現で再認識されるようになった・・・」

お世話になった、すべての人に、恩返しをすることは残念ながら不可能です。

ですが、「恩送り」なら、今日からでも、できる範囲で、小さなことからいつでもできます。

現代の社会を、歴史をさかのぼりながら俯瞰して見ると(それを否定する意見があるのは十分承知していますが)、少数の者たちが、国家や企業という枠組を超えて、地球上の多くの人間を支配し、意のままにコントロールするためのシステムづくりを巧みな計画のもと、着々と進めているようにしか私には見えません。

ただ、注意深く、歴史を学び、あらゆるできごとが、偶然に起きたのではなく何者かの意図ある計画のもとに実現したものだと考えるなら。

私たち、一般の人間が、到底太刀打ちできないほどの、賢さを持った者たちになくて、

むしろ、私たちに、当たり前にあるものは何か?ひとつは、絶対的な人の「数」です。

それは、私たち自身が、合理主義、功利主義を当然とする時代に生きてきて忘れそうになってしまっている、もの。

そう、短期的に考えれば、かつての私のように「なぜ、そんな(ばかげた)ことをするのか?」と驚いてしまうくらいに、変なこと。

それこそが、「恩」であり、「恩送り」のようなばかばかしく感じられる行為なのではないでしょうか?

この間も、どうしても急ぐので短距離をタクシーに乗り、「大変な時期ですが、お互い頑張りましょう」とお金を渡した時の運転手さんのうれしそうな笑顔を想い出しても私の方がはるかに幸せをもらっているように思えてなりません。

社会のあり方を変えるきっかけは意外とすぐそばに、あまりにもばかばかしく思えるほど小さなことのなかにあるのかも知れません。

しかし、ひとりひとりは弱くても、ばかばかしいことを束になって繰り返すことのなかにとんでもない力が生まれるように思えてならないのです。

~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり


https://www.youtube.com/watch?v=4RojlDwD07I&t=108s 【映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の概要】 より

中学一年生になったトレバー・マッキニーは、社会科の最初の授業でシモネット先生に出会う。

シモネット先生は生徒らにある課題を出す。

その課題とは、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を考えることだった。

トレバーは一人の人間に親切にされたら三人の人間に同じことをする「ペイ・フォワード」を思いつく。

実際にペイ・フォワードを実行していくトレバーであったが……。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の感想

善意の心を次から次へと渡していくアイデアは面白いと感じました。

誰だって人から親切にされて嫌な気分になる人などいないでしょう。

その感謝の気持ちを恩返しするのではなく、次の人に渡していき、善意でどんどん繋げていく。

善意の心が満ちていけば、世界が平和になる日もそう遠くないでしょうし、世界は良い方向へ向かっていくはず。

もちろんこれは理想論。本作はその部分も衝撃的なラストできちんと描いています。

善意が必ずしも良い結果には繋がらないのだ、と。

ラストに関しては賛否両論ありますが、個人的にはありだと思っています。

本作で少し残念だと感じた部分は、ペイ・フォワードとは関係ないシモネット先生の話が展開してしまって少しテーマ性がずれてしまったこと。

むしろシモネット先生が主人公で、ペイ・フォワードのプロジェクトがサイドストーリーなのではないかと思ってしまいます。

シモネット先生が変わっていく姿はいい話なのですが、ペイ・フォワードをもっと深掘りしたストーリーが観たかったです。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の考察

『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)のメッセージを考察していきます。

本作はどんな大きなことでも、まずは小さな一歩(行動)が大切だということを伝えているのではないでしょうか。

そもそもペイ・フォワードのきっかけとなったのは、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題。

「世界を変える」なんてとんでもなく大きなことです。

しかし、そんな大きなことでもまずは行動を起こさないと何も始まりません。

実際、トレバーのペイ・フォワードの考え方は世に広まり、世界をそして人々を変えました。

きっかけは、三人に善意を施すというものだったのです。

どんなに大きな目標でも最初から諦めるのではなく、行動を起こしてできることからやっていく。

その小さな積み重ねが大きな目標を達成させる一番の近道なのではないかと思います。

まずは自分を信じて小さくてもいいから一歩を踏み出してみましょう。

そもそも「ペイ・フォワード」とはなんなのか?活動や仕組みの解説

「ペイ・フォワード」とは、一人の人間に親切にされたら三人の人間に同じことをする活動。

つまり誰かに親切にされたら、その人に恩を返すのではなく、別の三人に恩を渡す仕組みです。

恩返しではなく、恩渡し(恩送り)。

三人に恩を渡していくことで、その恩の連鎖はどんどん増えていくというわけです。

ちなみに「ペイ・フォワード」という言葉はアメリカやイタリアなど海外で起こった出来事が始まりと言われているそう。

『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の原題・タイトルは、『Pay It Forward』。

「pay if forward」は、良い行いをされたらそれを他の人に同じくする、恩送りをするという意味。

「恩送りをする」という意味で使われる英語フレーズなのです。

邦題の『可能の王国』という副題は、課題を出したシモネット先生の「これは可能だ」という説明に由来していると考えられます。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)のは実話?原作や元ネタはある?

『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の原作は、キャサリン・ライアン・ハイドによる小説『Pay It Forward』です。

小説は2002年に角川文庫より刊行されています。興味がある方は読んでみてはどうでしょうか。

【比較】映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の原作と映画版の違いは?

『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の原作と映画版は、ストーリーも設定もかなり違っています。

原作では、ベトナム戦争やクリントン大統領、黒人差別も絡んでくるのですが、映画版にはそういったシーンは全くありません。

背景としては、原作のほうが壮大です。

また、映画版の舞台はラスベガスになっていますが、原作は違います。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の生まれるきっかけは、原作者であるキャサリン・ライアン・ハイドの実体験にもとづいているようです。

キャサリン・ライアン・ハイドは、治安の悪い町を運転していたのですが、エンストしてしまいました。そこへ近づいてくる二人の男。

その二人の男に恐怖心を抱いていたキャサリン・ライアン・ハイドですが、なんと男は車の修理をしてくれたのだそう。

この体験がきっかけで「善意を他人へ回す」というアイデアが生まれました。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の解説②:主人公の少年トレバーが「ペイ・フォワード」を思いついたのはなぜ?

トレバーが「ペイ・フォワード」を思いついたのは、学校の課題があったから。

中学一年生になった時、トレバーは社会科の先生であるシモネット先生に出会います。

シモネット先生は生徒らに「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を出しました。

この課題をきっかけにトレバーは「ペイ・フォワード」を思いつき、まずはホームレスの男を自宅に招いてお世話をするのです。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の解説③:ペイ・フォワードは失敗だった?

トレバーはペイ・フォワードが失敗だったのではないかと考えますが、失敗ではなかったと思います。

なぜならペイ・フォワードはトレバーの気づかないところで確実に広まっていたから。

トレバーが最初に助けたホームレスで麻薬中毒の男が自殺しようとする女性を助けるなど、トレバーの見えないところで善意は渡されていたのです。

ペイ・フォワードはラスベガスを越えてロサンゼルスへ。

善意のバトンは街を越えて広まっていました。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の伏線や繋がりを解説

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の伏線①:記者の取材

映画の冒頭で立てこもり事件の取材をしようとした記者が車を壊されてしまいます。

途方に暮れていた記者でしたが、見知らぬ男性が車を譲りました。

その善意が信じられなかった記者は男性に取材を申し込み、ペイ・フォワードについて調べ始めます。

取材を重ねるうち、ペイ・フォワードの発端がトレバーだということにたどり着きました。

そうしてトレバーはテレビ出演することになり、彼の存在が世間に知れ渡ります。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の伏線②:いじめっ子の存在

本作ではいじめっ子が出てきます。

トレバーはいじめられている友達を何回か助けます。

このいじめっ子の存在が結末では大きな伏線となりました。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の伏線③:アーリーンとシモネットのロマンス

トレバーの母であるアーリーンとシモネット先生の恋愛も重要な伏線になっています。

シモネット先生は自分を変える勇気が持てなかったのですが、トレバーのおかげで勇気を持ち、アーリーンと結ばれます。

アーリーンとシモネットのロマンスはトレバーのペイ・フォワードの象徴だったと言えるかもしれません。

自宅で二人が寄り添うシーンは印象的でした。

『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の結末で、トレバーはいじめっ子からいじめられている友達を助けようとします。

しかし、いじめられっ子の一人が刃物を持っており、トレバーを刺してしまいました。

トレバーは病院へ運ばれますが、死んでしまいます。

その後、トレバーの自宅にはテレビで彼を知った人々がろうそくを持って、訪れるというラストになりました。

『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)の最後は衝撃的でした。

この衝撃的な最後には賛否両論があります。

個人的には賛。

なぜなら善意は必ずしも良い結果に結びつくとは限らないと伝えているからです。

例えば、溺れている人を助けようとして自分も溺れて死んでしまったり、駅のホームから転落した人を助けようとして自分も電車に轢かれて死んでしまったりという事件が現実の世界でも起こっています。

こういった事件からも見ても、善意は必ずしも良い結果に結びつくとは限りません。

「予想外」を入れ込んだ点は評価できますし、良い話(現実を見せた)で終わらせなかった点も評価できると思います。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000)のその後、現在は?

トレバーの始めたペイ・フォワードは今後も広まっていくでしょう。

テレビ出演したことで広く知れ渡り、実行する人も増えていくと思います。

もしかしたらアーリーンとシモネットは、トレバーの遺志を継ぎ、ペイ・フォワードを広める活動をするかもしれません。