幸せが先
大きな罪悪感、思い込みが一つ外れようとしている。
いいえ、もう外れてしまったのかもしれない。
誕生日の日
生まれ変わったように
ただの私になって
それを感じていたのかもしれない。
外側の現象は何も変わっていないと思う。
それでも
この内側からくる
溢れてくる
静かな情熱は何だろう?
私はただの私
何者でもない私
小さい頃の記憶
誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ
生活ができると思ってるんだ
何もできないくせに偉そうにしやがって
子供なんて一食飯を抜かせばゆうことを聞くんだ
私にとって
誰かのサポートを得る
ということは
自分を表現してはいけない
自分の気持ちを素直に表現してはいけない
何かを得る、ということは
得ることと共に
我慢、屈辱、虐げられることを意味していた。
そして、
早く早く、
自立したかった私だけれど、
早く早くと焦るたびに
もがき、足に何か掴まれるように
うまくいかないことが多かった。
そしてまた、
ほら、
俺のゆうことを聞かないからいけないのだ
という
私が全て悪いから
という思いをずっとずっと持っていた。
この感情(エネルギー)が昇華され
私は今
ただの私になった
そしてさらに
私の本質(エッセンス)を表現すると
罰せられるという
恐怖から
私の本質を遠ざけ
別なものにしようとしたり
押し殺していたことも
今、変化しつつある。
人は
その人の本質を生きようとすると
輝き出す
それをブロックしているエネルギー
感情
思い込み
それを解いていってあげるだけで
静かな情熱が
内側から
溢れてくる
最近幸せそうだけど、何かあった?
と聞かれ
本当に
何にも変わっていないのだけど
むしろ状況は大変かもしれないけど
確かに何かあったかも
私の内側で
静かに
何かが溢れ出している。
この経験は
私のギフトの一つ
きっとあなたにも
同じように
あなただけのギフトがある。
読んでくれて
ありがとう