わからないことを頭に抱えておく辛抱がない
この言葉は、解剖学者の養老孟司氏の言葉です。
様々な辛抱がありますが、これ言えていると思います。
全ては答えがあると思っているとんでもないです。
高校時代、面白いことがありました。一見関連性のないような言葉を言って、その関連性を解くクイズがちょっと流行った時があったんです。
何問か正解を出して、一人がそれを言い当てました。
なに、こいつ、凄いこと当てるやん!!
って思っていたのですが、そいつに意地悪しようと二人が組んで、それらしい正解のない問題を作って答えさせました。授業中も考えていたみたいです。
結局答えなんかあるはずないのに、正解があると思って一生懸命答えようとする訳です。
かなり躾濃く答えを探したので最後に二人が「だましたろとおもて」と白状したら、滅茶苦茶悔しがっていたのを今でも思い出します。
なんで、そんなことをずっと鮮明に覚えていたのかはわかりませんが、もの凄く、この出来事が気になっていたのです。
社会に出てみると答えがないのが答えというのが沢山あります。現象はあっても、なぜそうなるのかはサッパリわからない。しかし、現存するから仕方がない。
私の仕事は、一応の説明はできますが、なぜここに刺激をするだけで症状が緩解するのか科学的な説明はできません。科学はそれをまやかしとかプラシーボと言うのだと思います。
しかし、そんなことで説明をされて安心しているのなら、きっと頭に抱えておく辛抱のない人です。
現実的には起こってしまっている訳です。それが頭の隅に引っかかっていなければなりません。
私もずっとひっかかっています。なんとかならないものかと思っています。
だから、今やれる基礎をしっかりやる。知識じゃないですよ。
それを目指すための基礎です。
職人芸では駄目とか言う人がいますが、身体をしっかり観察したら必然的にそうなるのです。
どんな分野であっても職人芸のないプロを見たことがありません。
それができるかできないかではなく、それを目指すか目指さないかの違いです。
税務署員が、この人はどこにお金を隠しているかを言い当てる人がいるそうです。これも一つの職人芸です。全ての人がそうなる必要はないのかもわかりませんが、それを誰でもできるようにしたら、きっと直ぐに対策されますよね。(笑)
誰でもできるレベルを上げれば、当然ですが、職人芸の価値は更にあがります。
そんなことは社会に出たらいくらでもありますよね。
そのことに説明はいらないように思います。
わからないことを頭に抱えておく辛抱がない
わからないことはわからないんだから一旦は脇に置いていて、わからないことに変な言い訳をしないことは大事ですね。
それを目指してやれることをやる。それしかない。それを知っているかどうかなんだろうなと思います。できないと思ってしまったらできませんからね。