【独占インタビュー】カダフィ主義緑の党党首の素顔
今、世界で静かなざわめきを起こしている“カダフィ主義緑の党”。最近できたばかりの、まだ議席も少ない小政党でありながら、過激な言動が支持を得、主にムスリムの間で支持されている。今後の選挙では間違いなくその議席を拡大するだろう。しかし、その党首“ムハンマド・アタール”氏については、フルネームが長すぎるという事以外あまり知られていない。因みに彼のフルネームは“ムハンマド・ハンニバール・アブデュルアズィズ・ムアルタセーム・アル・アタール(muhammad hannibahl abdulaziz muartaseim al atahl)”。
今回は、そんな彼に最早恒例行事と化したインタビューを行った。
記者(以下“記”)「初めまして。」
ムハンマド・アタール(以下“ア”)「初めまして。」
記「よろしくお願いします。」
ア「お願いします。」
記「アタールさんはカダフィ時代のリビアの生まれだと聞きました。そこでカダフィ氏の思想に影響を受けたのですか?」
ア「はい。そうですね。元々リビアという国は、アフリカでも三本の指に入る程豊かな国でした。“緑の書”に記されている指導者(カダフィ氏)の独自の穏健的でもあり急進的な社会主義理論によって、リビアは安定した庇護下にありました。ホームレスはおらず、石油リッター2円の世界です。アフリカ、アラブの様な不安定な地域に安定をもたらしたカダフィは、平和を守る最後の壁だったと感じています。欧州の利権の為に、かつての豊かな砂漠のオアシスはもうありません。その事がより一層、指導者と緑の書の価値を私の中で高めました。」
記「なるほど。なぜ帰化する先にインドネシア国籍を選んだのですか?」
ア「私は元々ジャーナリストをやっていました。イスラム世界を中心に、イラク、イラン、イエメン、シリア、ES、パレスチナ、アフガン、西サハラ…それはもう色んな所に行きました。世界を動かす大事件をこの目でしっかりと見てきました。そして2011年の1月に、まだ停戦状態に留まっていたアチェに取材しに行ったとき、故国が滅びました。内戦に陥ってから万が一を考えて家族をアチェに呼んだことが不幸中の幸いです。しかし、友人は死に、親族の墓も置いてきてしまいました。もう二度と、あの豊かな故郷はおろか、故郷すら見られないでしょう。私が友人と遊んだ思い出の場所は今や、世界最悪の戦場の一つです。当時、ドゴロニデ首相がアラブ難民の大量受け入れを行っており、言語さえどうにかなれば、国籍を取れるようになっていました。この時ほどアッラーに感謝したことは無いし、受け入れてくれたインドネシアという土地の人々と国家に感謝しています。」
記「たまたまアチェに来ていて、簡単なインドネシア語を喋れたから、なんとか命を繋げられたんですね。そういえばジャーナリストとしてパレスチナに訪れたと言っていましたよね。だからパレスチナに関する発言が多いのですか?」
ア「そうですね。滞在中に出来た友人はもう何人もイスラエル軍に殺されました。余りにも理不尽ですよ。“二千年前には俺たちが住んでた”というほぼ言いがかりみたいな難癖を付けて、二千年間住んでいた人々を排斥し殺害するなんて。」
記「世界で貴方のナチス発言がざわついていますが、やはりユダヤ人への憎悪は大きいですか?」
ア「いえ。そこは誤解しないで下さい。ユダヤ人への憎悪とかは無いです。私が言いたいのは“イスラエル国家がナチスみたいな事やってるのに、どうして誰も何も言わず、責めなで許されているのか”、“なら逆にどうしてナチスが責められているのか”という事を言いたいのです。パレスチナにも、立ち上がるカリスマが必要だと。
昔、パレスチナの友人がイスラエルとの境界の方を向いて“アイツらがナチスだ”と言ったのが、今でも強く印象に残っています。私が憎むべきはイスラエル国家の首班や、アラブ人に対してのホロコーストを喜ぶダブルスタンダードも甚だしいユダヤ極右なのです。逆に、パレスチナ側が怒りに身を任せて行動するのも非難されるべきですし、それは自らを滅ぼします。だから、ユダヤ人とアラブ人が手を取り合い、互いに敵では無いと行進するニュースは大変嬉しく、喜ばしいものです。しかし、やはりそれは難しいものです。
だからせめて台頭になるために、パレスチナには民族の地位向上を掲げる強いリーダーが必要です。そういう者が現れれば、ユダヤ人が噴水を作っているのに、パレスチナ人が雨水を溜めて餓死ギリギリの状況に追い詰められているのを眺めるだけのパレスチナ政府も変わるでしょう。
そもそも、イギリス政府の腐った汚いベロから出された噓が始まりなんです。だからイギリスが何らかの形で身を削って解決に当たるべきなのに、知らんぷりして過去の栄光にしがみ付いてデカい顔しているのが両民族にとっての一番の災難でしょう。」
記「反欧米なんですね。ドゴロニデ政権や、次の首相当選が確実視されているアブド・ソイセノ氏は親欧米的ですが、どう思っていますか。」
ア「インドネシアにも過酷な植民地時代がありますから、恐らく100%欧米を信じ切っているとは思いませんよ。長いドゴロニデ政権の間、彼は一回もネーデルランドに目を向けていませんから。また、私が国民左派党時代にソイセノ副首相に“欧米を信じ切っても良いのか?”と聞くと、“良い。だが、その万が一の為、また植民地を築こうとする卑劣で野蛮な奴らが攻めてきた時の為に、我々は軍備・経済・国際社会で強くなろうとしている”と返ってきました。野党としてあまり言う事ではありませんが、彼らになら国を任せられるという確信と安心感を得たのです。一部の政策に物申すことはありますが、彼らがトイレと違って売国奴では無いことは確かです。」
記「一部では、カダフィは残忍で冷酷な独裁者だという声もあります。実際、カダフィ・リビアではバスケットボールコートで公開処刑が行われたという映像もあります。これをどう考えていますか?」
ア「確かにそうです。否定しようがありません。彼は万能で完全な哲人独裁者だった訳ではありません。ただ、不安定極まりない地域に安定をもたらしたのも事実です。故郷の事を悪く言うようではありませんが、あんな所なのです。欧米の差し金によって崩壊しましたが、安定しているインドネシアの土地で指導者の著した緑の書に領導される政治を行えば、必ずや成功し発展するでしょう。」
記「緑の書についても、“理想論的過ぎる”という声が上がっていますが、それはどうなのでしょうか?」
ア「確かにそうです。理想論的です。なので緑の書領導を如何に出来るだけ現実的に施行出来るかを、日夜研究しています。また、その研究発表会・交流会も行っています。緑の書は、もし地球連邦が結成された際には第一の指導書となるべき進んだものです。それ故に進みすぎています。私達はそれの問題を認め、更に豊かに、進める為に結党しました。」
記「過激な言動は、やはりカダフィ氏に意識されての事ですか?」
ア「そういう所もありますが、指導者の過激を通り過ぎて、もはや一個人に対しての失礼に値する一部の行動は賛成出来かねます。大政党の重りが外れたので、思う存分本心を晒しているだけです。ムスリムの本心を臆さず代弁しているだけです。」
記「ナチス発言の後、パレスチナではわが闘争が飛ぶように売れているそうです。また、その発言からパレスチナではあなたへの支持が広がっています。どうお考えですか?」
ア「我が党のメインは緑の書で、ナチ党ではないので出来れば緑の書を買って貰った方が嬉しいのですが…。まぁでもそれがきっかけで立ち上がってくれる勇敢な聖戦士をパレスチナが求めていると言うことでしょう。イスラエルがナチスだから、パレスチナもナチスになって良いわけではありませんから。ただ、間違いなく何度でも言えることは、パレスチナは立ち上がれということです。」
記「今後首相になるであろうアブド・ソイセノ氏への期待や要望等ありますか?」
ア「彼は良い政治家です。インドネシアのカダフィとなり、何事にも臆さず物を言う政治家の鑑となるでしょう。まだ我が党は政権を奪取するほど勢力はありませんから、誤った道に進んだり、腐った政治家にならないように我々は彼の目の上のたんこぶになるよう努めます。もちろん良い案には賛成し、腫れは引きますが。」
記「本日はどうもありがとうございました。」
ア「ありがとうございました。」
後記
記者:スダラ・ムガラ
彼は今までの言動から、ソイセノ副首相やカダフィの様に一癖も二癖もある人間なのかと思っていた。しかし、いざ会ってみると少々口の悪い部分は垣間見えたものの、かなり紳士的な人物であった。今後の動きや、党勢に注目したい。