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日・越における民間信仰と外来宗教の混合について

2018.05.16 03:15

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【日・越における民間信仰と外来宗教の混合について】より

リュウ・ツイ・トウ・トウイ

1. 日本の民間信仰と外来宗教の混合について

 日本でも仏教など外国からもたらされた宗教が共存しているが、これはベトナムの宗教状況と非常に似ている。この点でも日本とベトナムを比較することに興味が湧く。これまで日本人が接した宗教は、道教・儒教・仏教・キリスト教などであるが、仏教伝来以前の日本の宗教はどのようなものであったのだろうか。アイヌの信仰、『日本書紀』の記録をもとに縄文人・弥生人などの古代人の信仰を推理してみたいと思う。

日本への仏教の導入

 538 年に『日本書紀』によると 552 年、『元興寺縁起』などでは 538 年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典・仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりとされる。その後、推古天皇の時代に「仏教興隆の詔(みことのり)」が出され、各地で寺院建設も始まった。命ある者がこの世で受ける恩の中で最も大切な親の恩に対して感謝を捧げ、冥福を祈るために仏像を身近に置きたいと考えた。ここに仏教信仰が始動する11。なぜ、仏教は日本に定着したのであろうか? 日本の宗教を研究する学者たちによると、仏教が日本に定着し、日本人の文化や精神世界に深く入り込んだのは、6 世紀、聖徳太子の力によるところが大きいとされている。最初に仏教に興味を示し、これを受け入れたのは蘇我氏だった。

日本にどのように仏教が伝わったかを考える際、百済の聖明王が政策として機を見て使者を遣わしたとも、もとより早くから国外に目を向け、深いつながりのあった

百済系氏族から中国や朝鮮半島情勢について情報を入手していた蘇我氏の要請を受けて送られてきたとも考えられる2。いつ仏教が伝わったのかという議論については、当時は百済から多くの渡来人が日本に来ており、渡来人たちが仏像や経文など仏教に関わるものを個人的に持ち込んだと考えるのが自然だろう。それゆえ、いつ伝来したのかを特定することはできないというのが正しいのかもしれない。したがって、「仏教伝来」=「仏教公伝」という言葉を使い、仏像や教論などが朝廷に献上された時を日本に正式に仏教が伝来した年と解釈したい。

1 末木文美士『日本仏教史――思想史としてのアプローチ』新潮社、1996 年。

2 同上。

 鎌倉時代初期まで日本の仏教は八宗、すなわち三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の南都六宗と、天台宗・真言宗であったと考えられている。しかし、鎌倉時代には、定着した仏教文化を背景に、法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、日蓮が日蓮宗を創始するなど、日本人による独自の仏教が創唱された。また、この時代には入宋した栄西と道元により、臨済宗と曹洞宗が伝えられた。そして、戦前、宗教団体法ができる前に公認された仏教宗派は 13 宗 56 派であった。それほどまでに日本に仏教が広く浸透しているということである。平成 21 年の文部科学省の文化庁の調査結果によると、日本では約 9600 万人が仏教徒である。全世界の仏教徒が 3 億数千万人程度とされていることを考慮すると、やはり一大仏教国であるといえる。寺院は約 7 万 5000、仏像は 30 万体以上あるといわれ、他の仏教国と比べても桁違いに多い。この調査の結果によると、現在日本の仏教徒の大半はいわゆる鎌倉仏教の門徒である。浄土宗系の宗派と日蓮宗系の宗派が特に大多数を占めており、大乗仏教が特に多いといえる。古代より、様々な宗派の仏教が日本に伝来したが、その中からさらに多種多様な宗派が生まれ、そのほとんどが現在まで継承されているといえる。

こうして日本の宗教の多神教的な側面が明確になっていく。仏教が日本に伝来した時、原初的な仏教はまだ根付いておらず、土着の宗教と混合して日本の仏教になっていった。したがって、日本の仏教信徒の中には、神道も信じる人も存在する。これは外国と比べると珍しいことである。日本人の精神的な生活と文化に対して、仏教は大変大きな影響を及ぼした。

中国から導入した道教について

 道教は、日本の主要な宗教ではないが、日本人の日常生活に大きな影響を及ぼした宗教である。753 年、日本の遣唐使が、玄宗皇帝に中国の僧・鑑真の日本入りを願い出たところ、玄宗皇帝は道教の道士と一緒ならという条件で許可した。遣唐使はこの返事を朝廷に持ち帰ったが、日本の朝廷は「異国の皇帝の系列である宗教を日本にいれることはならない」という判断を下したため、鑑真は禁を犯して密航する羽目に陥った。道教は正式に日本に入ることはなかったが、遣唐使などを通じてわずかに伝えられたのである4。日本には、邪馬台国の時代に鬼道という名前で道教呪術が取り入れられていたといわれる。そして、陰陽道の呪術や神仙道に受け継がれたり、山岳信仰に結びついたりした。日本道教の流れを二つに分けるとすれば、占星術・方位・反閇・祓い・人形などの具体的呪法を道教から受け継いだのが陰陽道であり、道教の神通力開発法を中心に受け継いだのが神仙道だといわれる5。

3 『宗教年鑑 平成21年版』7頁より引用http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/pdf/

h21nenkan.pdf(2013 年 8 月 2 日最終アクセス)。

4 福永光司・千田稔・高橋徹『日本の道教遺跡を歩く――陰陽道・修験道のルーツもここにあった』朝日新聞社、2003 年、289 頁。

5 道教、http://heianjiten.fc2web.com/doukyou.htm(2013 年 8 月 6 日最終アクセス)。

日・越における民間信仰と外来宗教の混合について

仏教と比較すると、道教が日本人の日常生活にかなりの影響を及ぼしていることが明確にわかる。道教は単独の宗教としては少数派となってしまったが、その思想は宗教や習慣に影響を及ぼしている。一方、道教には、迷信的な儀式や作法も多く、このうちのいくつかは、今でも地方の民間行事として残っている。これは、現代日本人の精神的な生活に道教が及ぼす影響の一つの表れである。

 道教の専門家によると、道教では、剣・鏡・壷が重要かつ神聖な宗教道具で、冠婚葬祭や国家・家庭の平安、民族・家族の繁栄などを祈るときに使われたという。

九州の古墳から 3 世紀の剣が出土することや近畿の古墳から 4 世紀の鏡が多く出土していることを考えると、同時代に、九州から近畿まで道教の教えが普及していたようである6。また、最近の研究で、前方後円墳は壷を寝かせた際の形を古墳にしたものであるとの報告もあるが、これが事実だとすれば、ますます、道教が日本中に広がっていたことになる。これらを通して道教が日本人の生活に浸透し、影響を及ぼしていったことが想像される。

日本の儒教について

 神道・仏教とともに、儒教は日本の三大宗教の一つである。儒教の思想は 4 ~ 5世紀頃、中国から朝鮮半島を経由して日本に伝えられた。日本に最初に漢字が入って来たのと同じ時期であるといわれている。歴史的に見て、日本に儒教が伝来し導入されていく過程には様々な浮き沈みがあった。伝来した後、大きな発展をとげた時期もあれば、そうでない時期もあった。日本は様々な国の影響を受けているが、日本人の精神に最も大きな影響を及ぼしたのは、支那大陸7から伝わった文化・思想であり、とりわけ儒教の影響が大きかった。その影響は現代に至るまで続いている。

 儒教思想において、孔子が最も重要と考えたのは「仁」である。人を愛することである「仁」を最高の徳とし、学んで知を得ることによって徳を積めば仁に至るという。そして、行動の規範として「礼」を重んじる。さらに、親に孝行し、年長者に素直に従うことである「孝悌」の実践が大切であるとされている。また、孟子は人を愛する心で正しい行いをするという「仁義」を説いている。そして、孝悌に基づく「五倫」を説いたのであった。「五倫」とは、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信であり、これによって社会秩序が保たれるとした8。この思想が各国に伝来した後、そのままの形で守られたかを確認することは難しいと思う。

6 松田智弘『古代日本の道教受容と仙人』岩田書院、1991 年、496 頁。

7 ユーラシア大陸東部の広い陸地(亜大陸)である中国大陸の別名。日本では第二次世界大戦前までこの名称を使用していたが、「支那」という用語を避け「中国」という用語が奨励されたために、現在ではこの名称をあまり使用しなくなった。

8 孔健『孔子の人間学・人生を切り拓く 7 つの思想とは』PHP 研究所、1991 年。

ベトナムと日本と韓国という三つの国は儒教思想の影響を強く受けた。この思想は古代から現代にかけて、各国の政治思想・教育・文化・道徳などの分野にも影響を及ぼした。したがって、儒教思想が日本人の精神に染み込んでいるのは当然のことといえる。

日本のキリスト教について

 あくまでも仮説であるが、日本に初めてキリスト教が伝えられたのは 5 世紀頃、秦河勝などによるという研究がある9。ただし、歴史的証拠や文書による記録が少なく、はっきりしない点も多い。したがって、歴史的・学問的な証拠が明確にあり、教科書などでキリスト教が日本に最初に伝来したとされるのは 1549 年、カトリック教会の修道会であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルによってだった。当時は戦国時代だったが、その 50 年間に、信者は 45 万人に達したといわれている。しかし、やがて国の統一が進むと禁教令が出され、鎖国の時代に入ると多くの信者が殉教した110。

 明治維新が起こると、欧米列強と不平等条約を結ばされ、諸国と対等になろうと必死だった明治政府は、政治・経済・法律・軍事など、あらゆる分野での改革を断行した。その中には、キリスト教の布教許可(明治 6 年= 1873 年)も含まれており、完全ではなかったものの信教の自由が法的にも保障された。19 世紀のうちに、カトリック教会・プロテスタント諸教派・正教会など、伝統的なキリスト教会のほとんどが日本に伝道して教会を建てた。しかし、1890 年以後、日本は天皇を神聖な元首とし、富国強兵を目指して思想・教育をも統一管理する方向で突き進んだ。そして、第二次世界大戦においては、教会も戦争協力を強いられたのだ111。戦後の日本では、ほぼ完全な形で法的に信教の自由が認められ、制限のないキリスト教布教が開始された。このように、日本の外来宗教の中ではキリスト教が一番後に伝来した宗教である。

 現在の日本のキリスト教には、伝統的で典礼や儀式を重んじるカトリック、明治以来のプロテスタント、新しくアメリカから渡ってきたペンテコステ系の聖霊運動、ドイツ神学を主流にしたキリスト教学がある。個人名を挙げるならば、伝統的なカトリックを代表する人物として、マザー・テレサがいる。日本の文化に対してキリスト教は様々な影響を与えている。文化庁の『宗教年鑑』では、信者数は総人口の1%となっている112。

9 日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988 年。1「景教」の項目。広隆寺がなんらかの役割を担っていた、といった記述もある。複数の文献が掲載されている。 

10 日本のキリスト教の歴史、http://www.calvin.org/nagano/rekisi.htm(2013 年 8 月 15 日最終アクセス)。

11 日本とキリスト教との出合い、http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koen/chap7.h(2013 年 8 月 15日最終アクセス)。

この信者数を他宗教の信者数を比較すると、日本のキリスト教の役割と立場がはっきり見えてくる。日本では、キリスト教は 4 番目に信者数が多い。日本がキリスト教から受けた影響はどのようなものであろうか? 井上章一氏はその著書で113、日本のキリスト教は外来宗教としながらも、土着の信仰と混じりあうことで日本独自のスタイルが形成されたと指摘する。このようにして日本のキリスト教が正式に認められるようになっていったのである。

 このような日本において、キリスト教伝来の辿った道は平坦ではなく、滝を登り峠を越えなければならないほど困難なものであった。この点において、日本へのキリスト教伝来とベトナムへのキリスト教伝来には共通点が多く見られる。日本の外来宗教の混合は、仏教・道教・儒教・キリスト教など、どの宗教においても共通して見られる。その点で日本の宗教は、一神教的信仰には見えず、多神教的であり調和的だと思われる。

2. ベトナムの民間信仰と外来宗教の合併について

 ベトナムは、インド文明と中国文明の影響を受けて活気と多様性に満ちた宗教を持っている。複数の神を崇拝する信仰があり、多くの宗教大学が存在する。多くの宗教の共存により新しい混合が生まれ、また、安定的にローカライズされたものもある。

 仏教はベトナム最大の宗教であるが、日本と同様に仏教徒の定義が難しいため、仏教徒の割合を正確に示すことができない。しかし、ベトナム人のおよそ 8 割以上が広い意味での仏教徒であるとはいえる114。ベトナムの仏教はほとんどが大乗仏教である。それは、ベトナムが中国領の一部であった時代(前 179 ~後 938 年)に、中国から大乗仏教が入り定着したためである。タイ・ミャンマー・カンボジア・ラオスなど東南アジアの他の仏教国が、南方上座部仏教(小乗仏教)であるのと対照的である。これは東南アジアの国とベトナムの仏教導入経緯が異なっているためで、仏教がベトナムに導入された時、もともとのインド仏教から様々な変化が見られた。

ベトナムの仏教徒の多くは、仏教徒でありながら民間信仰を崇拝している。この点は、イスラム教やカトリック、キリスト教とは異なっている。ベトナム宗教の持つ穏便で調和的特性はベトナムに起源があるといえる。

 儒教・道教とともに、仏教はベトナムの伝統的三大宗教の一つである。このうち儒教と道教は著しく廃れているうえに、教団としての組織力がほとんどない。

12 文 化 庁 編『 宗 教 年 鑑 平 成 21 年 度 版 』2012 年 2 月 3 日 閲 覧。http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/pdf/h21nenkan.pdf(2013 年 8 月 18 日最終アクセス)。

13 井上章一『キリスト教と日本人』講談社現代新書、2001 年。

14 この統計の数はベトナムの宗教院による 2009 年の宗教調査結果である。

仏教のみが社会的勢力をかろうじて保っている。この現象は、14~15世紀に三教共同(儒教・道教・仏教)と呼ばれた。

 ベトナム仏教の特徴の一つは、ベトナムの仏教に道教の要素が混じり込んでいることである。道教の最高神である玉皇や、中国の三国時代(220 ~ 280 年)の歴史的人物で『三国志』にも登場する関羽の像が仏寺に祀られている。道教の神様の像が仏寺に祀られているのに驚かれるかもしれないが、ベトナムではありふれた現象である。

 道教は、中国の老子(前 6 世紀頃)と荘子(前 4 世紀頃)の思想に、様々な民間信仰が混じり合って成立した宗教である。ベトナムに道教が入ってきたのは、中国に統治されていた時代(前 179 年~後 938 年)のことであるが、10 世紀の終わり頃からベトナムでも道教の発展が見られるようになり、やがて仏教・儒教とともに、伝統的三大宗教を構成するようになった115。道教寺院は「道観」と呼ぶのが普通であるが、代表的な道観としては、ホーチミ

ン市第 1 区マイティリュー通りにある玉皇殿や、ハノイの西湖岸にある鎮武観などが挙げられる。また華人文化が根付いているホーチミン市では、道教に関連した施設が多数あり、特にチョロン地区へ行けば容易に見つけることができる。

 道教の特徴は、風水・吉日凶日・方角などの占いやまじないといった民間信仰との結びつきが強いことである。道教と一体化した様々な民間信仰を、道教とそうでないものに分別することは難しい。道教には組織化された教団としての力はないが、民間信仰を道教の一部と見なすならば、道教はベトナムの日常生活のかなり深くに根を張っていると言える116。

 キリスト教とカトリックについて見ると、ベトナムの総人口の 1 割強がキリスト教徒である。そのほとんどがカトリックであり、カトリック信徒は総人口の約10%を占めている。プロテスタント信者117は総人口の 1%弱と少数派である118。

 アジアでカトリックの比率が最も高い国はフィリピンで、総人口の 8 割以上がカトリック信徒である。1 位と 2 位の差はきわめて大きいが、ベトナムはフィリピンに次ぐアジア第 2 のカトリック国である119。

15 Trung tâm Khoa học Xa hoi va Nhan van Quoc gia, Viện Nghiên cứu Tôn giáo. Về tôn giáo tínngưỡng Việt Nam hiện nay. Nxb Khoa học xã hội. H., 1996.

16 Doan Chinh and Nguyen Sinh Ke. Ve qua trinh Nho giao du nhap vao Viet Nam – Tu dau cong nguyenden the ki XIX. Tap chi Triet hoc. Vien Triet hoc. So 9. 2004, pp. 57–68.

17 プロテスタントとは宗教改革運動を始めとして、カトリック教会、また西方教会から分離し、特に広義の福音主義を理念とするキリスト教諸派の総称である。

18 ドー・ワウアン・フン『ベトナムのキリストの歴史について』総合大学出版社、1991 年によると、現在カトリックの信徒数人はほとんど変わってない。これは 2009 年の人口調査の結果である。人口調査の中で宗教の率も含む。

19 ベトナム通信情報学会特別編集『宗教と現代生活』、2002 年。注目は 1997 年から 2001 年まで、H、291 頁。

 ベトナム人にとってキリスト教は、遅れて導入された宗教であるが、信徒は続々と増加している。ベトナムでカトリックが優勢なのは、この国が 19 世紀後半から20 世紀前半にかけて、カトリック国フランスの植民地であったことに主な要因がある。

 しかし、キリスト教がベトナムに初めて伝えられたのは 1533 年で、スペインの宣教師によってであった。19 世紀後半、ベトナムを植民地にしたフランスは、ベトナム各地に多くの教会を建て、カトリックはそれを地盤に大いに勢力を拡大した。

 これに対してプロテスタントは、1911 年になってようやくベトナムでの布教を始めた。その中心になったのはアメリカの教団で、特にベトナム戦争の時にアメリカとの接触が多かった旧南ベトナム地域で信者を増やした。ベトナムのキリスト教信者には、本式のキリスト教のルールを守る人もいるが、キリスト教の信徒でありながらベトナムの祖先を崇拝する人もいる。これは多神教の特徴の一つである。

 イスラム教は、ベトナム語では「ホイザオ(Hoi giao)」または「ダオホイ(DaoHoi)」という。ホイは漢字で「回」、ザオは「教」なので、日本語でのイスラム教の古い呼び方「回教」とまったく同じである。ダオは「道」、転じて「教え」の意味となる。ベトナムには約 4 万 5000 人のイスラム信者(ムスリム)がおり、およそ 70 カ所にイスラム寺院(モスク)がある。ベトナムのムスリムには民族的な偏りがあり、チャム族・クメール族の一部のほか、インド系などの少数派の住民にほぼ限られている20。

 現在のベトナム中部には、192 年から 1697 年までの 1500 年にわたるチャム族によるチャンパ王国があった。チャンパはヒンドゥー文化を受容したが、かなり早い時期から海上交易を通じてイスラムにも接する機会があった(チャンパの衰亡期にあたる 15 ~ 17 世紀には、チャム族の中にかなりのイスラム信者がいたとされる。現在ベトナム中部に住むチャム族のイスラム信者は 2 万 5000 人ほどであるが、信仰内容は祖先崇拝などと混じり合っており、かなり現地化している21)。

 ベトナムにおけるイスラム教の流れは国際共同体的である。一つの大きな流れは、アンザン省などメコンデルタに住むクメール系住民の一部で、18 世紀から 19 世紀にかけてマレー方面からの影響を受けてイスラム教を信仰するようになった。約 2万人の信者がいるとされる。またメコンデルタには、チャンパの滅亡とともに逃げてきたとされるチャム族の末裔がおり、その中にイスラム信者が含まれる。これらメコンデルタのイスラム教は、中部のチャム族のイスラム教と比べると、あまり現地化が進んでおらず比較的イスラムの原型をとどめている。

20 Tran Thi Minh Thu. Khai quat ve Hoi giao va Hoi giao o Viet Nam tren dia chi: http://btgcp.gov.vn/Plus.aspx/vi/News/38/0/162/0/954/KHAT_QUAT_VE_HOI_GIAO_VA_HOI_GIAO_O_VIET_NAM(2013 年 8 月 25 日最終アクセス)。

21 注 19 と同。

 インドネシアやマレーシアのムスリムが、世界的なイスラムコミュニティとのつながりを維持しているのに対して、ベトナムのイスラム教はほとんど現地宗教化している。例えばメッカを巡礼する習慣は、ベトナムのムスリムにはない。それはなぜだろうか。現在ベトナムには二つのイスラムのグループがある。本式のイスラムのルールを守っているグループとチャンバニ(Cham Bani)というグループで、後者はイスラム教の五つの条件を守らず、ラマダン月のみイスラムのルールを守る。

そしてこのグループは現地の民間信仰の母系性と多神教的影響を強く受けたため、元のイスラム教に比べて、より民族的になっている。

まとめ

 以上、本稿では、日 ・ 越の民間信仰における外来宗教の混合についてまとめた。

ベトナム社会に導入された他宗教が現地化し、また、他国の宗教によって民間信仰も変容した。それは、宗教生活の実践や活動にも表れている。このようにベトナムの民間信仰は豊富で流動的であり、一神教的な面と多神教的な面の両方を持っている。そして日本において、内・外の宗教の影響によって変化していった日本の多神教的な側面が見えてくる。しかし、両国の外来宗教の混合については相違点も多いと思う。

 両国では、比較的穏便に各宗教と民間信仰とが共存してきた。そして、それが現地の民間信仰と外来宗教が混合するという結果につながっていく。一神教的な国と比較すると、日本とベトナムはいずれも調和的である。どちらの国も伝来した宗教は、主に中国とインドを経由している。現地宗教と仏教・道教・儒教・キリスト教の混合は、時間をかけて変遷した。特にキリスト教の伝来・普及にあたっては両国ともに「禁教」の時代を経験した。一般的にいって、両国の文化・社会生活に外来宗教は多大な影響を及ぼした。宗教が政治に影響を及ぼした時代があったのだろうか。これは一神教的な国と比較すると、非常に異なっていると思う。一般的に一神教的な国では、宗教と政治の結びつきが大変強い。日本とベトナムでは政治と宗教の関係はさほど深くなかったので、調和的に融和しやすかったのだろう。現地信仰および外来の宗教が混合する上で、調和と平和は重要である。両国の墓地がよい例である。日本とベトナムの様々な墓地を参拝したが、あるところではキリスト教徒の墓と仏教徒の墓、神道の信徒の墓などが並んでおり、宗教による区別はほとんどなかった。これは一神教の国ではないことである。これは多神教的な信仰の調和の一つの例ではないだろうか。

 外来宗教が日本とベトナムに伝来した際、もともとの宗教が残ったのではなく、次第に現地の宗教と現地信仰と融合し、土着化していった。たとえば、仏教と道教と儒教は日本に伝来すると、日本の神道と融合して日本的な仏教・道教・儒教に姿を変えた。

 ベトナムの場合も同じだと思う。日本の場合、道教と儒教が精神・文化・生活に及ぼした影響は、ベトナムよりも少ないと思われる。日本の文化は閉鎖的で内向的となる傾向があり、外来宗教が日本に伝来したのもベトナムより遅い。

 また、日本には古来からの独自の宗教や神道が存在する。日本神道の太陽女神崇拝を基礎に、現地信仰および仏教の要素と儒教の要素が混合したように思われる。

神道はベトナムの現地宗教にはないので、神道との混合という点は、日本とベトナムはまったく異なっていると思う。ベトナムの現地宗教はダウマウ(Dao Mau)であり、ダウマウ(Dao Mau)には外来宗教の要素はほとんどなかった。日本においては、大乗仏教は例外として、外来の宗教は盛んではなかった。ある時期、日本は中国を理想的なモデルとして中国の知識を取り入れた。日本に伝来した儒教はオリジナルというより、日本人が儒教の一部を選択して取り入れたものだった。儒教の教理は取り入れたが、その教育制度や官吏を選択する制度は適用しなかった。それに対し、ベトナムは儒教の教育制度を受け入れた。したがって、ベトナムでは試験を受けることを前提にして学ぶ儒教であった。江戸時代には、儒教は一部で専門的に学ばれた22。日本とベトナムにおける儒教の影響について眺めると、ともに他の宗教に比べて希薄であるが、定着の仕方も異なっていることがわかる。

 本稿では日本とベトナムについて民間信仰の基礎をあらためて確認しながら、両者の外来宗教の混合の特徴を明らかにしようとした。日本でもベトナムでも、社会に国外の宗教が移入されて現地の宗教と混合し、外来宗教の現地化あるいは民間信仰の変容が起こった。その歴史的経緯は異なっているにせよ、多神教的な側面が、現代社会においても実践・活動の中に表れている。この点で、日本とベトナムの人々の信仰は、しなやかで柔軟な生命力を有しているのだと思う。

参考文献・資料

1. 末木文美士『日本仏教史――思想史としてのアプローチ』新潮社、1996 年

2. 福永光司・千田稔・高橋徹『日本の道教遺跡を歩く――陰陽道・修験道のルーツも

ここにあった』朝日新聞社、2003 年

3. 日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年

4. 井上章一『キリスト教と日本人』講談社現代新書、2001 年

22 Doan Le Giang. So sanh Nho giao Viet Nam va Nho giao Nhat Ban(ドン・レージャン、ベトナムの儒教と日本の儒教の比較について)。この研究報告は 2009 年 5 月 25 日にホーチミン社会人文大学で開催されたシンポジウムの報告である。http://khoavanhoc-ngonngu.edu.vn/home/index.php?option=com_content&view=article&id=352%3Anho-giao-nht-bn-va-nho-giao-vitnam&catid=72%3Ahi-ngh-khoa-hc-han-nom&Itemid=146&lang=vi(2013 年 8 月 25 日最終アクセス)。

5. 孔健『孔子の人間学・人生を切り拓く 7 つの思想とは』PHP 研究所、1991 年

6. 深津容伸「日本人とキリスト教」Journal of Yamanashi Eiwa College 5, A17–A25,

2006–12

7. 小原克博「一神教と多神教をめぐるディスコースとリアルポリティーク」(テーマ

論文一神教と多神教、PDF)『一神教学際研究(JISMOR)2』同志社大学、2006年 2 月、

 1 ~ 4 頁、ISSN1881-9494、2009 年 8 月 8 日閲覧

8. 『朝日新聞』社説「﹁千と千尋の﹂精神で――年の初めに考える」2003 年 1 月 1 日

9. Trung tâm Khoa học Xa hoi va Nhan van Quoc gia, Viện Nghiên cứu Tôn giáo. Về tôn giáotín ngưỡng Việt Nam hiện nay. Nha xuat ban Khoa học Xã hội. 1996

10. Tran Thi Minh Thu. Khai quat ve Hoi giao va Hoi giao o Viet Nam. http://btgcp.gov.vn/

Plus.aspx/vi/News/38/0/162/0/954/KHAT_QUAT_VE_HOI_GIAO_VA_HOI_GIAO_O_

VIET_NAM

11. Doan Le Giang. So sanh Nho giao Viet Nam va Nho giao Nhat Ban. http://khoavanhocngonngu.edu.vn/home/index.php?option=com_content&view=article&id=352%3Anhog i a o - n h t - b n - v a - n h o - g i a o - v i t - n a m & c a t i d = 7 2 % 3 A h i - n g h - k h o a - h c - h a n -nom&Itemid=146&lang=vi

12. 文化庁編『宗教年鑑 平成 21 年版』。http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/pdf/

h21nenkan.pdf(引用は 7 頁による)

13. 道教、http://heianjiten.fc2web.com/doukyou.htm

14. 日本のキリスト教の歴史、http://www.calvin.org/nagano/rekisi.htm

15. 日本とキリスト教との出合い、http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koen/chap7.h