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道教と日本思想 ③

2018.05.16 03:36

http://honnomori.jpn.org/syomei/4-ta/dou-nihon-1.html 【道教と日本思想】 著者 福永光司 徳間書店  より

「空海」という漢語は空と海の意

「遊心」の哲学から「遊目」の哲学へ

 -まず中国の学界、思想界で伝統的な哲学ということになりますと、やはり老荘の哲学が中心となるのですが、これはだいたい3世紀の終り、魏・西晋の頃までは感覚・知覚的な世界を軽視して、むしろ内面的な精神の世界を重視します。いわゆる精神の自由を重視するわけですが、それを『荘子』の哲学用語で表現すれば「遊心」すなわち心を遊ばせる、囚われない自由な心を持つということになります。つまり「遊心」の哲学がその主流をなすわけです。

 ところが西暦4世紀、東晋の時代になって中国で貴族社会が確立してきますと、貴族は欲望の充足において一般の人々よりもはるかに有利な立場にあります。そこで、それまでとは欲望に対する考え方が変わってきて感覚・知覚的なものをも重視するようになり、いわゆる「遊目」の哲学が知識人たちの関心を集めるようになるわけです。

 「遊目」すなわち「目を遊ばせる」というのは、「目」すなわち視覚が代表する人間の感覚・知覚的な能力のすべてを媒介として、根源的な真理の世界、「道」の世界に参入し、悟りの境地に遊ぼうとするもので、-山水自然の哲学が展開し、-六朝の山水の文学を生みだし、さらに絵画芸術のほうでは宗柄の「山水を画くの序」によって代表される山水画の芸術理論を確立することになります。

 いずれも即物的、感覚的なものを重視し、それを媒介にして根源的な真実在すなわち「道(タオ)」の世界に迫っていこうとする、「遊心」の哲学から「遊目」の哲学への転換を示すものといえましょう。

 -このような具象の世界-形体や色彩をもつ存在、視覚的ないし感覚的な認識の対象となりうるものを重視するという時代風潮が、さらに中国における真言密教、その曼茶羅の思想信仰とも連接していきます。すなわち曼茶羅もまた密教の根源的な真理を視覚化し、具象化し、図形化したものであり、これの尊重は中国における上述のような「遊心」の哲学から「遊目」の哲学への展開の大きな流れのなかに位置づけることができるというわけです。

 曼茶羅はもちろんサンスクリット語のmandalaの音訳であり、インド西域から伝えられたものであって、本来的には中国のものではありません。しかしながら中国に伝えられますと、六朝随唐期における遊心の哲学から遊目の哲学への展開の流れのなかで、帝王を中心とする宮廷社会の上層部に愛重され、宗教的真理の図形化ということでは道教の五岳真形図や九宮貴神壇図などと原理的に共通する面もあって、唐代には鎮護国家仏教のシンボルマーク的存在になってもいます。そしてその曼茶羅をまた、中国に留学された空海さんが真言密教と共に日本に持ち帰っておられます。

密教の「即身成仏」と道教の「即身不死」

 次に第二の即身成仏という言葉と思想の問題です。

 即身という言葉が中国で用いられるようになる事情と、この言葉自体のもつ思想も、これまで申してきましたような中国六朝随唐時代における遊心の哲学から遊目の哲学への展開の大きな流れと密接な関連を持ちます。

 すなわち4世紀、東晋時代の半ば頃から、遊目の哲学が六朝貴族の知識社会で拾頭してきますと、この「目を遊ばせる」感性的な生活文化の思想と関連して、単に観念的、抽象的、思弁的なものよりも、具体的、個別的、現実的なものを重視する風潮が高まり、「即事」、「即物」すなわち「事に即して」、「物に即して」という発想と文字表現が、詩文の著作のなかで目だつようになります。-そして「即物」すなわち「物に即する」の「物」という言葉は漢訳仏典では多くの場合、「色」と言い換えられていますから、この時期の仏教僧侶の著作では「即物」の語に換えて「即色」が用いられるようになってきます。

 ところで、この「即事」ないし「即色」の言葉と思想ですが、それは六朝時代の半ば以後、さらに「即身」という言葉と思想へと展開していきます。悟りの境地をただ単に心の問題として観念的、思弁的に考えるのではなくして、生身の肉体、現実・現世の生活に即して実現していくのだという考え方が、斉梁の時代以後、次第に有力になって、上に述べたような「即事」、「即物」、「即色」の思想が、さらに肉体を持ったままの永遠の生命の実現を究極的な理想とする道教の神仙信仰と結合して、「即身地仙」もしくは「即身不死」を標榜するところの宗教哲学となります。

 では「即身地仙」の「地仙」というのは何なのか。

 不老不死の神仙となることができても昇天せずに、なお地上の世界に止まっている道教の得道者をいいます。また「即身不死」の「不死」というのも、これまた道教の不老不死の神仙を意味します。仏教でいえば羅漢に相当しましょうが、いわばこの「即身地仙」、「即身不死」という言葉には、生身のままで、もしくは現世に住んだままでという道教の即物的、現実的な考え方が、最も端的に示されております。

 そして、このような即物的、現実主義的な道教の考え方の源流をなすものは、やはり遠く古代に遡って孔子(『論語』先進篇)に代表される中国民族の現世第一主義、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」にあるといえましょう。ここで「いまだ生を知らず」の「生」とは、生身の体を意味し、もしくは現世の生活を意味します。そして「即身」という言葉こそ使っていませんが、ここにははっきりと「即身」の思想の源流が指摘されます。

 それと今一つは『荘子』の「神人」の哲学ですね。超越的な神としての性格を持ちながら人として現実の地上の世界に住みつづけており、生身の人間でありながら同時に超越的な神でもある。いわゆる明神(あきつかみ)の思想であり、わが日本国の天皇を明神と呼んだのも(『日本書紀』)、この『荘子』の神人の哲学を根底に持つと私は考えますが、このような「神人」の哲学もまた一種の即身の思想であると見ることができ、道教の「即身地仙」もしくは「即身不死」の宗教哲学の思想的源流をなすと考えることができましょう。

 -この頓悟(とんご)論争の経緯と、詳細な内容を記録しているのは上記謝霊運の『弁宗論』と呼ばれる著作ですが、ここにはインド仏教の漸悟すなわち気の遠くなるような永い時間をかけて、たくさんの修行の段階を経て、やっと最終的な悟りの境地に到達すると説く仏教の教義が、インド民族に対する中国民族の文化的優越の主張と共に手きびしく批判されていて、頓悟すなわち一挙に悟りを得て成仏することができるという一種の即身的な成仏論が展開されています。

 そしてこのような頓悟の主張は、六朝宋斉の頃から中国仏教がそれまでの『般若経』などの説く「空」の哲学から、『涅槃経』などの説く「常楽我浄」の「妙有」(不空)の哲学へと教理学の重点を移向させる動きとも対応していますが、

 これを要するに中国仏教におけるこのような頓悟の主張は、この民族に伝統的な現実的、現世肯定的な思想傾向を根底基盤に踏まえて、後の唐代の真言密教的な即身成仏論へと展開していく、宗教思想史的土壌を準備したものと見ることができるだろうということです。

 空海さんが中国に留学して学ばれた真言密教の即身成仏の教義も、私はインド西域における即身成仏の思想が、中国伝統の生身のままで神となることができ、神仙不死者となることができるという思想信仰、ないしは陶弘景の『真誥』などにいわゆる道教の即身地仙もしくは即身不死の宗教哲学と重ね合わされ、一体化されたものと理解しますが、同様に、空海さんが日本に持ち帰られた即身成仏の教義も、即身成仏が中国語であり漢語である以上、中国語、漢語の用語例、造語法に従ってその意味もしくは意味の歴史を先ず検討していくことが必要ではないかと考えます。