5月16日 礼拝
2021.05.16 05:00
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書6章5-7節
祈っても願いがかなえられない。
祈りになんの意味があるのか。
祈りとは何か。
イエス様は大通り、街角で祈りをささげる者を偽善者と言う。
ただこれは人の分類ではない。
私たちの心の在り方を示している。
大通り、街角
目立つ所。
私たちの心はそういう所に置かれる時がある。
人の言葉に支配され
人が求めるものを我先に獲得しようとする。
富、名声、権力、仲間、健康。
人の言葉
この世界の言葉に心が奪われる。
心が乱れている。
「奥まった所で祈れ」と主イエスは言う。
心の場所。
人の言葉が行き交う表象ではなく
人の言葉が聞こえなくなる奥底に潜っていく。
自分だけの所に潜っていく。
隠れた所に神はいる。
私の心の奥に神がいる。
奥底
そこで何が起こるのか。
祈りが起こる。
心の奥底で神と会う。
本当の私が見えてくる。
私はなんのためにいるのか。
生まれてきたのか。
神から与えられた使命が見えてくる。
「御心のままになりますように」
我慢して、渋々、願うのなら、それはまだ心が大通りにある。
奥底。
乱れていない心
整った心
神様と私とがひとつになる。
御心
神の計画
賜物
私が喜んで行えるもの。
体が疲れても楽しくて行えるもの。
走っても疲れることを知らないもの。
祈りは神と私が重なること。
心乱れた、奪われた時の願いは祈りではない。
独り言。
心整え
神の思いが我が思いとなる。
祈りとは何か。
私に喜びを与えるもの。
本多記念教会
サイト
https://www.hondakinen-church.com/
https://www.facebook.com/hondakinen/
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCRRjBPZolWZWF7Z1jedKfqg